「金と顔と若さと人脈だけが女の人生を決める」ギャラ飲みを斡旋する整形アカウントに心酔して…/短編「あなたの鼻がもう少し高ければ」全文公開①

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/19

大学生のトヨは、この一年ほどSNSの美容アカウント、整形アカウントに入り浸っている。自分の本当の力を発揮できれば、称賛してくれる人々はもっといるはずなのに…。そう焦りながら、気づけばギャラ飲みやパパ活の斡旋をする「モエシャン」にあこがれるように。ある日、渋谷の高級ホテルにモエシャンの斡旋するギャラ飲みの面接を受けに行くが…。感染症の流行直前を描く、川上未映子氏の新刊『春のこわいもの』(新潮社)に収録された1編「あなたの鼻がもう少し高ければ」を、全5回で全文公開!

※本稿は『春のこわいもの』(川上未映子/新潮社)から一部抜粋・編集しました。

春のこわいもの
『春のこわいもの』(川上未映子/新潮社)

あなたの鼻がもう少し高ければ

 誰にも頼まれてなどいないのに、あるいは自分で自分に課しているわけでもないのに、感想というのは常にやってくるからしんどいものだ。

 何かを食べてなにこれうまい。関係のない誰かの噂を仕入れて、信じらんない馬鹿じゃないの。ぱんぱんにむくんだ自分の脚をみてまじ終わってんなこれ。デパコスの新色をタップして最高すぎる。トヨを出入りする感想はいたって単純で、通過したあと大した痕は残さないけれど、何しろ量が多いので、自分でも気づかないうちに通路はみるみるすり減って、しかしどこに修理を頼めばいいのか、いつまでもつのかわからない。

 朝、目をひらくと同時にトヨはスマートフォンでSNSをひらき、メンションとダイレクトメッセージをチェックして、フォローしているアカウントを巡回する。

 気合の入っている写真がアップされていたら「天才♡可愛い♡顔面国宝♡」「ベリ可愛! 優勝! 似合い散らかしすぎだから!」みたいなことをえんえんリプライしてからライクボタンを押し、うっざ馬鹿じゃねありえないから、と知らない相手からのメンションに悪態をつきながら、布団のなかの時間はいいな、と思う。温かいし、動かないでいいし、一生ここから出たくないな。トヨはいつも心からそれを思う。

 じゃあもう外に出なくていいように、死んでみるっていうのはどうか。

 そんな考えがよぎらないこともないけれど、この心地よさを味わうことと、そこから出ることと死んでしまうということの関係がやっぱりさっぱりわからないし、すぐに面倒になって忘れてしまう。

 それからゆっくり、モエシャンの、みっつのアカウントをチェックする。

 モエシャンが何歳なのか、どこに住んでるのか、色々なことは謎。顔もいい感じに角度をつけて、ちらりとしか写さない。それだってきっと盛られてるだろうけど、まつげが長く、メイクが上手で、きれいな髪が印象的だ。そんなモエシャンには敵が多くて、彼女を面白く思わない、主に匿名アカウントが彼女についての色んな憶測をひんぱんに書き込んだりするけれど、ほんとのところはわからないし、モエシャンは相手にもしない。

 トヨは、モエシャンのチームの女の子たちに憧れて、なんとか一員になってみたいその他大勢の女の子たちとおなじように、モエシャンのSNSのアカウントをフォローして、モエシャンがどんな一流店でどんな高級料理を食べて、どこのハイブランドで買い物をして、どんな服を着て、金持ちの男たちの金をどれくらい使ってどれくらい可愛い女の子たちと一緒に遊んでいるか、そうした情報を彼女の気まぐれなポストから摂取するだけ。

 この二日間、つぶやきもないしストーリーズもあげてないし、取り巻きのアカウントにもどこにも登場していない。たぶんモエシャン、リアルが楽しすぎて忙しいんだろうなとトヨは思う。時計を見る。初めてモエシャンとその界隈の存在を知って半年。今日、じっさいに自分がモエシャンに会うのだと思うと、トヨのみぞおちはきゅうっと縮まり、死ぬほどどきどきする。いけんのかこれ。

 でも、服もメイクも迷いに迷ってどれで行くかちゃんと決めたし、今さらびびってもしょうがない。トヨは自分を勇気づける。駅前にある評判のいい洋菓子店で手土産のフィナンシェ詰めあわせもちゃんと買って、用意してある。少し迷って五百円高いほうのセットにしたし、それにこの日のためにサラダチキンと冷奴だけを食べる生活を二週間つづけて体重をなんとか三キロ落として頑張った。見た目にもちょっとすっきりして、心なしかすっぴんの状態でも目が少し大きくなった気がする。じゃっかん達成感あるな……トヨは自分自身をからかうように鼓舞しようとするけれど、そんなことでは胸の底にはりついている緊張は剥がれず、無意識のうちに人指ゆびの爪で歯の隙間をひっきりなしに引っ掻いている。流れてきたアパレルの広告を反射的にタップする。セールか。こういうサイトあったんだ、なんかふつうにかわいくない?  でもけっきょく骨格ストレートって限界あるんだよ、こういうフレア系とか全滅すぎて笑えるよな。まじ骨格ウェーブで優勝したい。だいたいなんでわたしはブルベ冬として生まれてこなかった人生なのか。どうでもいいけど黄色すぎるから顔。そんなふうに何秒間かがっかりして、またべつのページに飛ぶ。

 学校は休校。授業はオンラインになるとかどうとか。田舎の親が学校に行かないぶんの授業料は返ってくるのか、そういう話はないのかと訊いてくる。知らないし、まだわからない、と答えても、少しするとまたおなじことを、おなじように訊いてくる。ひょっとしてこれがぼけの前兆なのかと思うとわりと切ない。年齢的にはまだ早いとは思うけど。それに戻ってくるかもしれない娘の学費を当てにしたいくらいにはうちってやっぱり金がないんだなと思うと、わかってはいても、なんともしょっぱい気持ちになる。そんな陰りを打ち消すように、トヨはスマートフォンの画面をスクロールしつづける。

 関東近郊のしいたけ農家で生まれ育って、都内のなんてことない大学に進学したトヨの日常には、目立った困難も不満もとくになかった。けれどトヨには、昔からどうも何かを謳歌するということが、うまくできないところがあった。

 それがはっきりしたのは思春期のころ。

 いつからか彼女をじっと監視している視線の存在に気がついて、それ以来、トヨがちょっとでも浮かれたり、楽しいな、などと思ってうっかり心を弾ませるようなことがあると、それは即座に「身の程を知れ」と警告するようになったのだ。その視線がどこからやってきたのか、トヨにはわからない。けれど、鏡に映る自分の顔を見たり、仲の良い女の子たちと一緒に撮られた写真を見たり、布団の中で一日の出来事のあれこれをふりかえり、たとえば男子たちが自分にとった態度や無関心や表情なんかをふと思いだしたりするときに、その視線は一段と強く、鋭くトヨを睨みつけるような気がした。

 トヨは美人というわけではなかったけれど、べつに醜いわけでもなかった。

 ただ、圧倒的に人の印象に残らない顔というか、その雰囲気も含めて、人の明るい感情や、また会いたいな、みたいな、そういうポジティブなあれこれをほとんど喚起させない、そういう感じの顔をしていた。

 ただ普通にしているだけなのに、親や友達から、どうしたの?  退屈なの?  怒ってるの?  と訊かれつづけて、そんなことないよという正直な反応も、言い訳やある種の拗ねとして受けとられてゆくスパイラル。トヨに「身の程を知れ」と警告してくる視線と、そうした自分の容姿は何かしら密接な関係にあるのではないかとトヨは感じていた。

 かといって、トヨは自分にまったく自信がないわけではなかった。というより、ふつふつとした野心すら秘めていると言ってもいいくらいで、トヨは自分の髪が美しいことを知っていたし、額の形を気に入っていたし、並行二重ではないけれど、いい感じに垂れた目には、ほんの少しだけ自信があった。

 ただ上顎、上の歯茎が少し前に出ており、横から見ると口がもっさり厚くみえるのが嫌いだった。顎はふつうの角度なのでバランス的にはそんなに悪目立ちはしないけれど、鏡で横顔をチェックするたびに、自分の口元が美人の条件であるEラインからは程遠いことを思い知らされてがっくりきた。額も目も、パーツじたいは致命的という感じはしないのに、全体で見るとなんでこんな感じになるんだろう。なんでわたしは、ぱっとしないんだろう。自分自身が生まれてこのかた地味で凡庸な存在であると見られつづけていることに、トヨは慢性的な苛立ちを感じていた。

 自分の本当の力を発揮することができる舞台はすでにいくつも存在しているのに、そこに行けないもどかしさ。

 そして、本来の能力を発揮した自分を称賛してくれる人々はじつはもうたくさんいるっていうのに、そんな素敵なみんなにまだ出会うことのできない孤独な焦り。

 自分という存在が、何かをじっと待機している状態そのものであるような、トヨはそんな感覚がずっとぬぐえなかった。小気味良い音をたてて何かがかちっと噛みあいさえすれば、オセロがずらっと裏返るみたいに、すべてが変わる気がするんだよなあ。それはたぶんちょっとしたことなのだ。わたしという存在を、もっと、くっきりさせなければ。早く本当の自分を発揮して、みんなのいるあの場所に行かなければ。ぎりぎりいっぱいに開かれたトヨの目は、常にスマートフォンに張りついていた。

 そんなわけで、焦りと鬱屈が交互にやってきては少しずつ幅を利かせてゆく実生活もそこそこに、トヨはこの一年ほどSNSの美容アカウント、整形アカウントに入り浸るようになっていた。

 整形手術が、ある種の惨めさとともに見世物であった時代は終わり、女の子たちの術後、術前の写真のせきららな公開や、ダウンタイムに耐える姿と詳細なレポートは輝かしい戦歴の証、そのものになった。トヨにとっては眩しさそのもの。理想の首根をつかんだら最後、文字通りの満身創痍で正々堂々とおのれと戦い、そして血まみれの勝利を手にして快哉を叫ぶ姿は憧れだった。

 トヨは、そんな彼女たちにみるみる夢中になった。これだ。わたしが本当のわたしになるためにまず必要なのは、これなのだ。そんな彼女たちのサバイブと、それを可能にしている金の流れを目を赤くしながら追っているうちに、自然にモエシャンに辿り着いたのだった。

 そう、整形と美容には、とにかく金がかかる。

 自分とそう年の変わらない女の子たちが、どうやってそんな大金を工面しているのか、いちばんの疑問はそれだった。女の子たちの日々をつぶさに観察していると、背景は女の子の数だけあるにしても、そこにはいくつかのパターンがあるようだった。

 まず実家が太い子。そして風俗などで稼いでいる子。それから水商売をしている子。あとは男と会って食事したりカラオケをしたりすることでお小遣いをもらうというようなことをしている子。ほかには、それのパーティーヴァージョンという感じで、ギャランティが発生する金まわりのいい飲み会で稼いでいる子たち。

 モエシャンはそうしたことを希望する男たちに、女の子たちを適材適所、大量に紹介する元締めとして存在していた。そして、悪びれることなく自分のその斡旋業のことをSNSで公開していて、とにかく言葉遣いが辛辣なことでも有名だった。

「わたしに話しかけていいのは美人だけ」とか「ブスは貧乏のもと」だとか「金と顔と若さと人脈だけが女の人生を決める」みたいなことを言って憚らなかった。

 彼女に群がるようにそれらを謳歌している女の子たちは、まるでモエシャンの価値観をそのまま体現しているかのように、みな若くて美しい艶に満ち、自分たちが参加したパーティーや飲み会の様子や、銀座や麻布なんかのミシュラン星つきのどこかで食べた何かとか、男に買ってもらったバッグや時計なんかを、堂々とアップしつづけていた。

 整形していることを隠さずシェアする女の子たちにはトヨも慣れてはいたけれど、知らない男たちに――彼女たちがいったいどこまでのことをしているのかは実際にはわからないけれど、それでも一応、そうした男たちに媚び、いわゆる自分自身の一部を切り売りする的な行為全般にいっさいの後ろめたさを感じていない、モエシャンとそのまわりの女の子たちの様子に、トヨは鋭いノミか何かを前頭葉にカッと突きたてられたような衝撃を受けた。

 そして何より、

〈心じゃない。顔と向きあえ〉

 モエシャンのアカウントのプロフィール欄にただひとこと書かれてあったその文句に、トヨは痺れた。

 トヨの大学のリアルの友達や知りあいは、最近は口をひらけば多様性とか自尊心とか、ルッキズムに反対しますとか、そんなことばかりを口にするようになっていた。人にはそれぞれの良さがあり、それは他人に決められるものではない。自分の価値は、自分で決める。トヨのリアルの友達がそういう感じのことを得意げに言ったりSNSに書き込んでいたりするのを目にするたびに、トヨは白けた。

 だって、そんなの嘘じゃん。トヨはシンプルにそう思った。彼女たちの話をそのまま真に受ければ、ブスも美人も、この世界には存在しないことになる。

 でも普通に考えて、そんなことはありえない。じっさいに、美人はいるしブスもいる。そんなの当たり前の話だった。自分で決められる価値もそりゃあるにはあるだろうけど、同時に他人が決める価値も、あるに決まってるじゃんか。得をするのはいつも美人で、損をするのはブスなのだ。だいたい美醜が個人の気の持ちようなんかでどうにかなるとか、本気で思ってんのかな。思いとか気合とかで、なんとかなるとか?  もしそうなら、モデルとか芸能人とかどういう理由で成立するわけ?  みんな何に金を払っているわけ?  美しさとかきれいさっていうのは、例えば、しあわせとか愛とかそういうなんかふわふわした適当なものとは根本的に違うんだよ。美っていうのは、どうしたってはっきりしていて、ぜったいに見間違えようのないものなんだから――ってま、あの子たちも、本当はわかってるんだろうけど。

 そっち側にはなりたくないな、とトヨは思った。ただの弱さが、なんか気づき、みたいになってるのも気持ち悪いし、誰も傷つけない自分はえらいと信じることで自分を慰めるしかないような、そういうのはきっついな、と思った。

 それに比べてモエシャンはどうよ。モエシャンは強い。嫌われることを恐れない。人の顔色を見ない。モエシャンは逞しい。自分の価値観を信じて突き進んで、モエシャンは今を生きている。そして何より、モエシャンは真実を言っている――こうしてトヨは、モエシャンとその仲間たちに心酔するようになっていった。

<第2回に続く>

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