大人にはわからない日本文学史 (岩波現代文庫)
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大人にはわからない日本文学史 (岩波現代文庫) / 感想・レビュー
佐島楓
歴史や社会構造という規定されたものから完全に自由になった小説というものを読んでみたいけれど、おそらく無理(書くのはもっと無理)なのだろう。講演の動画を観たら高橋先生ご自身も小説の背景にある時代を意識して読め、的なことをおっしゃっていた。うむむ、でもそれでも、限界を壊すのがアーティストなのではないのか。ふわっとした感想しか持てない自分がどうにももどかしい。
2018/04/07
ちぇけら
高橋源一郎は言う。綿矢りさを読むと樋口一葉や国木田独歩の『武蔵野』が思い出されると。同時代に書かれた『蒲団』と『道草』よりも、『蒲団』と『恋空』のほうが似ていると。穂村弘の『短歌の友人』で書かれていることは、近代から現代の小説についてでも同じではないかと。小説の世界にいながら、小説についてこれだけ考えられる源一郎さんはめちゃくちゃすごい。小説はこれまでもこれからも、きっと同じようなことを描き続けるのかもしれない。あるいは、「私」が消えた世界で、新たな小説が生まれるのかもしれない。
2019/05/19
ころこ
普通のひとが見過ごしてしまうものに立ち止まり、大きく驚く、著者の小説はそのようなものを書いてきましたが、本書についても同様の問題意識がうかがえます。2日目にある、綿矢りさ『インストール』が国木田独歩『武蔵野』に触発されて書かれたという事実はないでしょう。むしろ、そのように解釈していくことで、文学史をつくっていく。本書で行われているのは、既に出来合いの文学史を語ることではなく、講演で語ったこととその再構成の仕事のうちにも、「文学」の生成は行われているということです。同じく2日目に、小説と詩の違いとして、小説
2018/02/23
りょう
高校の時の文学史の授業が素晴らしくつまらなかったので、それ以来文学史に触れることはなかった。まあしかしこの本を読むと、文学史は作者-作品名の暗記なんかではなくて、ちゃんと『歴史』なんだなということを気づかせてくれるわけでして、そして筆者の論がなかなか結構、面白いわけです。でもまあ、このレベルを国語の先生に求めるのは流石に酷か。
2014/06/02
武井 康則
「日本文学盛衰史」で、近代文学がいかにその文体を獲得していったのかを小説仕立てで活写した著者が、その先を考える。近代小説は表現として自然主義リアリズムを採用したが、可能性のリアリズムとして樋口一葉を併置する。これでも十分リアルは伝わる。リアリズムの可能性がいくつもあることを示唆した後、今の小説の違和感を指摘し、それが表現を支える根本の変更であるという。近代は「近代的自我」を描くために自然主義的リアリズムを採用したが、今の小説に「近代的自我」はない。信じられなくなったからだ。
2021/03/23
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