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探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

作家
柄谷行人
出版社
講談社
発売日
1992-03-05
ISBN
9784061590151
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探究(1) (講談社学術文庫) / 感想・レビュー

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chanvesa

「私に言えることは万人にいえると考えるような考え方が、独我論なのである。独我論を批判するためには、他者を、あるいは、異質な言語ゲームに属する他者とのコミュニケーションを導入するほかない。」(12頁)、「ウィトゲンシュタインは、≪他者≫を、『われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人』とみなしている。」(49頁)。「教える」ー「学ぶ」という意志的な関係、極論で言えばヘレン・ケラーとサリヴァン先生が水という言葉を知る有名なプロセスまでが他者との関係かもしれない。これは相当な覚悟が必要な関係性であろう。

2018/09/13

しゅん

一種の他者論として展開していくが、対話可能な他者など他者ではないというのが本書の一貫した立場だ。言葉を一切共有しない外国人や子供のような、事前に対話可能性を持たない対象こそが「他者」であり、そういった他者性を念頭に置いてはじめてヴィトゲンシュタインもマルクスもドストエフスキーも豊かな意味を持つ。特にキリストをキリスト教世界とは分離した徹底的な他者として考えるキルケゴールの態度は柄谷の筆の上でより輝いているように感じる。個人的には、言葉は通じるにも関わらず対話が一切できない微妙な他者の方が興味深いけど。

2017/06/03

またの名

「これを理解できない君の知能が低いのだよw」と教える側が凄んで見せる時、教師の正しさを保証するのは生徒が理解したという事実か、それとも共同体の権威による追認かを問うたヴィト。この問いを手掛かりに、同じ言語ゲームのルールを共有する者同士でない共同体の外部にいる者こそ真の他者だと定義して、売り買いや精神病や恋愛といった非対称な関係を前にルールがその都度でっち上げられ事後的に見出されるに過ぎないことを示す書。結論は師と転移を巡るその後の思想界の波乱を予感させるけど、会話が全く成立しない分断まで現代社会は進んだ。

2018/06/30

SOHSA

柄谷行人による「独我論」と「他者性」を中心としたウィトゲンシュタイン論。或いはウィトゲンシュタインの読み解きから導く独我論からの真の脱出。哲学・思想系の本としては非常に丁寧に分かりやすく述べられている。しかし、その思考はやはり深い。今まで自分が理解していた(と思っていた)ウィトゲンシュタインの言説とは異なる部分が多々あった。それによってなるほどと腑に落ちた点も多くあった。しかし、やはり全ては読み切れていない。ウィトゲンシュタインを探究する糧として本書を再読する必要がある。

2013/04/05

みのくま

「他者」あるいは「外部」の探求。著者は、他者とは「言語ゲーム」のコードに属さない者の事だと定義する。例えば、それは子供であり外人であり神(キリスト)である。そして、この他者との会話こそ「対話(コミュニケーション)」であると主張する。他方、「言語ゲーム」のコードに属する者との会話は「独我論」に他ならない。独我論はつまり「私=我々」と捉える思考法であり「内省」する事なのだ。ぼくは、独我論は「すでに知っている事を発見してわかった気になる」という危険性があるのではないかと思った。独我論の檻から脱出せねばならない。

2018/04/06

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