西尾維新デビュー20周年記念ロング・ロングインタビュー 20タイトルをキーに語る、西尾ワールドの変遷(第5回)

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/5

キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘
キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』(西尾維新/講談社)

 昨年、作家生活20周年を迎えた西尾維新が、セレクトした20タイトルとともに、その道程を振り返るロング・ロングインタビュー。最終回となる第5回は、『怪盗フラヌールの巡回』+『怪人デスマーチの退転』、『不来方百舌鳥の殺人まんがゼミナール』、『ウェルテルタウンでやすらかに R.I.P. werther town』、『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』について。いずれも、作家の「今」の気分と、「現代社会」が織り込まれている作品といえるだろう。20年間、全力疾走してきた、そのタフネスと軽やかさ。これからもずっと西尾維新を追いかけていきたいと強く思わせるインタビューだった。

(取材・文=吉田大助)


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ロングインタビュー 第5回

⑰『怪盗フラヌールの巡回』+『怪人デスマーチの退転』

──父の盗んだお宝を返却していく二代目怪盗フラヌール。令和の価値観・倫理観でアップデートした「怪盗もの」は、キャラクター造形にも「今の自分の気持ち」を反映。

怪盗フラヌールの巡回
怪盗フラヌールの巡回』(西尾維新/講談社)

──亡くなった父の遺品整理をしていた長男の「ぼく」は、父が怪盗フラヌールと名乗り世間を騒がせた大泥棒だったと知る。お宝を盗むのではなく、父が盗んだお宝を返却していく、二代目怪盗フラヌールの冒険を描いたミステリーです。令和で「怪盗もの」をやるならばこの形だ、と考えるに至った経緯とは?

西尾 20周年を代表する小説を書くにあたって以前から打ち合わせを重ねていたんです。その中で生まれた発想の一つが、怪盗ものでした。これがもしも20年前であれば、抵抗なくスタイリッシュな怪盗を書けたと思います。ところが20年後の今、現代を舞台に怪盗を書くとするならば、その人物は言い訳の余地なく犯罪者だよなと思ったんですよね。美学がどうといった理屈をこねつつ、厳重な警備体制の中からお宝を盗み出す行為を目にして、反体制的なかっこいいヒーロー像を感じるのは否定できない事実ではありつつも、ただ、たとえフィクションだと分かっていても、そういう人物を主人公とすることは現代ではなかなか難しい。価値観や倫理観のアップデートに応じてキャラクター像も変わっていかざるを得ないし、そうあるべきだとも思うんです。ですから率直に言って書きあぐねていたんですが、ある時ふと気付きました。今自分が抱えている葛藤を、そのまま小説に書けばいいんじゃないか。そう考えて、前時代の怪盗に対して、愛憎入り混じる思いを持っている怪盗の息子を主人公にしてみました。

──盗むのが難しいお宝の数々をゲットしてきた父のことを、主人公は決してヒーロー視せず、犯罪者と認識しています。

西尾 主人公は父親の犯罪行為を否定するために、父が盗んだお宝を元の持ち主へ返す。そういった1本の物語の軸ができたんですが、私自身が愛読したかつての怪盗像をただ否定するだけの小説になってしまうのは違うと思いました。そこで、怪盗のライバルとなる名探偵と名警部という2人のキャラクターを考えたんです。時代に流されない昔ながらのキャラクターを配置して昔ながらの楽しさを確保することで、時代に即した怪盗ものを書くことができると思いました。

──第2作『怪人デスマーチの退転』(3月29日発売)を読むと、このシリーズは怪盗もののミステリーでありつつ、家族ものの人間ドラマでもあるんだと確信しました。前回までのインタビューでも話題になりましたが、家族のテーマがここで大きく花開いていますね。

西尾 このシリーズは、盗難品を返すというリアルタイムで進行する事件と同時に、親から受け継いでしまったものや過去を振り返った時に解決しなければいけない問題といった、歴史を踏まえたストーリーにもなっているんです。なおかつ個性に関しても、偉大な存在は父親であり、個性的なのは名探偵や名刑事といった周囲の人間であって、主人公ではない。彼は天才でもないし、自分が陥った状況をさして逆境とは捉えていないし、性格が歪んでもいない。明るいし、たくましいんですよね。いろいろな意味で20年目になった今だから書けた怪盗であり、キャラクターなんじゃないかと思っています。

⑱『不来方百舌鳥の殺人まんがゼミナール』

──原作者として漫画界を体験してきた蓄積を生かした倒叙ミステリー。探偵役の「元」人気漫画家・不来方百舌鳥は「また書いてみたい」。

小説現代
小説現代』2022年10月号(講談社)

──『小説現代』2022年10月号に発表された中編で、掲載時のキャッチコピーは〈その男はやって来る。人生でもっとも、来てほしくない瞬間に〉。犯人に視点を置き、探偵役にグイグイ追い詰められる心理にフォーカスを当てた、倒叙ミステリーです。

西尾 コミカライズや漫画原作のお仕事を体験してきた蓄積がここで結実しました。何を学んだ結果、「殺人まんがゼミナール」になったかは自分でも分かりませんが(苦笑)。漫画制作をミステリー化できないかと思ったところから始まっているので、タイトル先行型だったと思いますね。犯人視点のお話は、まるっきりやっていないわけではないんですけれども、より自覚的に倒叙ものに挑戦してみたかったんです。

──10年間連れ添った人気漫画家を衝動的に殺害してしまったチーフアシスタントが、疑惑の目を自分から逸らすために後付けで完全犯罪の演出に挑む。そこへやって来たのが不来方百舌鳥という「元」人気漫画家で、死体を見て一言、「いや、ぼくが訊きたかったのは、どうしてあなたは、こんな風に垂乳根先生を撲殺したのかという理由なんですが」。真理を突いた発言でドキッとさせられる感じ、倒叙ものの醍醐味ですよね。

西尾 そういった倒叙的な演出を考えるのは楽しかったですね。犯人視点ですと事件を見る角度は変わってきますし、今まであまり書いてこなかった心理を書くことにも繋がりました。名探偵の描き方も他のミステリーとは具合が違って楽しかったので、またやってみたいですね。21年目の目標は、倒叙ものの長編。その時も題材を漫画にするかどうかは未定ですが、不来方百舌鳥はまた書いてみたいキャラクターです。

⑲『ウェルテルタウンでやすらかに R.I.P. werther town』

──町おこしのための小説を依頼された推理作家の「私」。自殺小説の大家として「犯人の自殺」をどう考えるか。20年目ならではのミステリーに対する問題意識も投影。

ウェルテルタウンでやすらかに R.I.P. werther town
ウェルテルタウンでやすらかに R.I.P. werther town』(西尾維新/講談社)

──朗読で耳から小説を楽しむ「Audible」のために書き下ろした、オリジナル新作です。

西尾 最初に世に出る形が「オーディオブック」である企画だったんですが、その点はなるべく意識しないようにしました。朗読上の不具合が生じない小説を書こうとすることで、全力が出せなかったなんてことはあってはならない。小説だからこその表現に挑んだ「〈物語〉シリーズ」もオーディオブック化してもらっているわけですから、大丈夫だと確信して書いていきました。むしろ「オーディオブック」だったからこそ、文章で書いたお話を読んで感情を動かす、小説という表現ジャンルの不思議さと真摯に向き合って書けるような感覚がありましたね。デビュー10年目に発表した『少女不十分』と対をなす小説となったのは、必然だったのかもしれません。

──推理作家である「私」のもとへ、寂れゆく安楽市(あんらくし)の町おこしのために小説を書いてほしい、という依頼が舞い込みます。実は「私」は、自殺小説の大家なんですよね。町おこしコンサルタントは、安楽市が舞台の小説を書いてもらい読者に聖地巡礼してもらうことで、安楽市を「自殺の名所」として観光地化しようという思惑があった。この着想の出発点とは?

西尾 愛すべき推理小説のフォーマットの一つである「犯人の自殺」をどう考えるかというところから掘り下げていきました。犯人が自殺してしまえば逮捕後の裁判の過程、量刑や罪状認否といった司法の部分が省略でき、一気に事件の「その後」を書き進めることができますが、現代ではそのやり方は非常に乱暴じゃないのか。そういった問題意識を、自作の中でこれまで数限りなく自殺を書いてきた主人公が向き合う課題の一つとして持たせてみました。

──今のお話は、「怪盗フラヌール」シリーズで書き込まれた問題意識とも重なると思います。盗んだお宝が持ち主のもとに返ってきたならば、被害はないじゃないかという視点が一方にある。でも、大切なものを盗まれてしまったという心的傷害は、被害者の側に残り続けるんですよね。二代目フラヌールは、父親が相手に付けたその傷のことも想像して深謝している。これまでのミステリーは基本的に、その傷のことをスルーしていたと思うんですよ。西尾さんはそういったお約束ごとを無視せず見つめることで、新しい人間ドラマを紡ぎ、ミステリーを現代的にアップデートしようとしているように感じます。

西尾 それがどこまでいいことなのかは定かではありませんが、これまで当たり前のように採用してきた推理小説のフォーマットに疑問を呈する書き方は強まってきている気がします。20年も書き続けていると、自然とそうなってくるのかなと思ったりしますね。いわゆる悩める探偵像を、昔読んでいた頃は、すぐ依頼を引き受けてくれれば話が先へ進むのにくらいに思っていた気がする(苦笑)。でも、今読むとしっくりくるのかもしれませんね。名探偵も作者も、初々しい気持ちで始めた頃と陰惨な事件をたくさん見てきた後とでは、同じ気持ちではいられないんだと思うんです。

──前々回のインタビューでコメントがありましたが、デビュー10年目の『少女不十分』と20年目の本作を比較しながら読むのは楽しいですよね。

西尾 変わらなさにも驚きましたが、一方で10年目にはできなかったけれど、20年目でようやくできたことがあります。この主人公は、語り部の一人称は「私」で、しゃべっている言葉の中では「僕」とか「俺」なんですね。地の文とセリフで一人称が違う、「推理作家の語り部」っぽい表記揺れをついに表現できました(笑)。現在はAudibleでの配信で、2023年中に書籍版も刊行予定です。

⑳『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』

──タイトル先行で生まれた「戯言シリーズ」のまさかの新作。主人公は、天才の娘にして「何の取り柄もない平凡な高校生」。

──作家人生20年の活動をひもとく20作リストの最後を飾るのは、2005年に全9巻で完結した「戯言シリーズ」のまさかの新作です。主人公=語り手は、いーちゃん(戯言遣い)と玖渚友(青色サヴァン)の娘、玖渚盾。デビュー20周年を飾る作品を、という動機で執筆したものだったのでしょうか?

西尾 これに関しては複雑な経緯がありました。「戯言シリーズ」は全9冊で完結ですと公言し続けてきましたし、私自身も新作を書くとは全く思っていませんでした。ただ、20周年を迎えるにあたって、それこそ第1作の『クビキリサイクル』からずっと読み続けてくれているかたもおられるわけですから、戯言遣いからの何かしらのメッセージがあってもいいんじゃないですか、と編集部から打診をいただきまして。その時点では、「戯言遣いからの『ありがとう』の手紙」という掌編的な企画だったんです。確かにと思いつつ、その場合、タイトルはどうするんだという点が一番のネックだったんですよ。『クビキリサイクル』から『ネコソギラジカル』に至るまで、よくもこんな綺麗にタイトルを付けたものだと、今でもよく思うんです。それらに並びうるいいタイトルが思いつかない限りやはり続編はないという感じだったんですが、あにはからんや、思いついてしまった。それが、『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』でした。

──デビュー作にしてシリーズ第1作のタイトルは、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』。見事な本歌取りですね。

西尾 やはり副題ですよね。戯言使いと玖渚友の間に子供がいること自体は「最強シリーズ」で触れていましたが、まさかここまでタイトルが綺麗に決まるとは。この時ばかりは私も「京都の二十歳」(※デビュー時のキャッチコピー)に戻りました(笑)。ただ、そうなると別の問題が出てきまして、これは手紙や掌編のタイトルではないでしょう、と。こういったタイトルは長編で、かつ講談社ノベルスで出さないことには、この20年間は私にとって失敗でしたと言っているのと同じだという話になってしまいます。ですからこの小説を書いた動機は、「タイトルを思いついたから」ですね。

──「青色サヴァンと戯言遣いの娘」こと玖渚盾は、〈ともあれかくもあれ、私のことは『何の取り柄もない、どこにでもいる平凡な女子高生』だと思ってもらって差し支えない〉と言っています。クセモノ揃いの「戯言シリーズ」では珍しいキャラクターだと感じます。

西尾 「戯言シリーズ」は天才の生きづらさを書いていたところもありますし、この20年で書いてきた小説を振り返ってみると、良くも悪くも強烈な個性を持った特別な人間ばかりを取り上げてきました。でも、世の中はそれだけではない。20年の集大成でありつつ、「20年の間に書いていなかった小説を書く」というアプローチから、「何の取り柄もない平凡な高校生」を書いてみようと思うに至りました。偉大なのは親であって自分ではない、ただし親の存在がおもしになっているという点は、『怪盗フラヌール』と通ずるところでもありますね。あちらの家族ほど、こちらの親子関係は悪くないんですが。そして、竹さんの絵が素晴らしい!

──内容的にも、デビュー作を本歌取りしている部分があります。舞台は孤島ではなく古城ですが、娘の玖渚盾もまた、首切り事件の謎を解かざるを得ない状況に陥ります。ミステリーとしても楽しませてもらいましたが、キャラクターの掛け合いはやはり魅力的でした。

西尾 その点、抑制が全く利いていないですよね。「戯言シリーズ」であるのをいいことに、好き勝手にやっていると自分でも思います。正直な話をすると、15年経った今書いたらまるで違うものになってしまうのではないかという不安はあったんです。これだったら書かないでほしかったというような小説になったらどうしようか。個人的な感想としては、思いのほか「戯言シリーズ」になるもんだな、と。じゃあこの15年間いったい何をしていたんだ?という話になるわけですが(笑)、20年間を20作で振り返ってきた経験から思うのは、毎回新しいことがやりたい、今までやったことがないことに挑戦しつつも、どの小説にもどうやら通底するものがある。今回のインタビューでは、変化を語りつつ、変化しないものを確認させてもらえた気がしています。

──デビュー20周年のアニバーサリー・イヤーがいよいよ幕を閉じます。21年目以降は、どのような展望をお持ちですか?

西尾 あと20年は書いていたいですね。その頃にまた、今度は40作、語らせていただければ。とりあえず、20周年の最中に着手した小説のゲラが先日、まとまって届きました。まずそれらと向き合うことから、21周年を始めたいと思います。その後、トラベルミステリー作家に戻ります。

──新しい旅に出て、新しい小説を書く、と。

西尾 すべては西尾維新の旅行記です。本を書いたということは旅をしたということだし、旅をして本を読んだということでもある。いいペースで本が出版されたり、面白かったりしたら、いい旅ができているようだと思っていただければ。とりあえず明日、飛行機に乗ります。どこに行くかは全く決めていないんですけどね。

西尾維新
にしお・いしん●1981年生まれ。第23回メフィスト賞を受賞し、2002年『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』で作家デビュー。同作から始まる「戯言シリーズ」ほか「世界シリーズ」「〈物語〉シリーズ」「刀語シリーズ」「最強シリーズ」「忘却探偵シリーズ」「美少年シリーズ」など、著書多数。

西尾維新デビュー20周年特設サイト「西尾維新???」
https://book-sp.kodansha.co.jp/nisioisin240/

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