橋本愛が12年ぶりに『告白』と”再会”。限定特装版&Audible配信記念・湊かなえ×橋本愛対談

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/1

橋本愛さん、湊かなえさん

 文庫だけで300万部を突破し、海外でも高く評価されている湊かなえさんのデビュー作『告白』。『呪術廻戦』著者・芥見下々さんの描き下ろしイラストによる限定幅広帯バージョンや、国内初となる特殊装丁の豪華限定本が発売され、刊行から15年経った今も、注目を集める作品だ。さらに3月22日には、映画『告白』にも出演した俳優・橋本愛さんの朗読で、Amazon Audibleも配信される。これを記念して、橋本さんと湊さんの対談を行った。

(取材・文=立花もも 撮影=干川修)

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橋本愛さん(以下、橋本) Audibleをきっかけに改めて『告白』に触れて、美月をもう一度演じたくなりました。学校では委員長のまじめなタイプだけど、プライベートではパンキッシュな服装をして自己表現している彼女は、内側に矛盾と孤独を抱えている。そんな彼女が、修哉とのやりとりにどれほどの救いを感じていたのか、痛切に感じることができて、今ならもっとこういう表現ができるのに……と。だから、美月視点の第二章を朗読するときが、いちばん詰まることが多かったですね。

湊かなえさん(以下、湊) 私が現場にお邪魔したときは第三章を朗読されていましたね。あの章は、少年Bである直樹の母親が書いた日記と、それを読み真相をたどるお姉さんの視点が口語で描かれます。橋本さんはそれぞれの登場人物になりきって、演じ分けていたわけじゃない。あくまで朗読しているだけなのに、その視点の切り替えがすぐにわかることに、驚きました。場面によって違う間のとり方も影響しているのでしょうが、何より、橋本さんが一人ひとりを深く解釈してくださっているからだな、と思いました。

橋本 ありがとうございます。演じない、というのは最初から意識していました。それは、聴く人に限定したイメージを与えたくなかったからなのですが、もう少し演じたほうがよかったかも、と不安になる部分もあったので、今、救われる思いです。

 自然と情景が浮かびあがってくる朗読でした。私も、小説を書くときはいつも映像を思い浮かべているのですが、書きあげた文章を読んで確認するときは、外側から客観視している感じなんです。でも橋本さんの朗読を聴いていると、私自身も場面の内側に立っているかのような錯覚に陥ってしまう。ただ文章を読むのとも映画を観るのともまた違う、朗読ならではの表現なのだと思いました。

橋本 全編が口語体ということもあって、まったく演じない、ということは不可能で。感情をないものとして淡々と読むのも違うだろう、と、心に自然と湧き起こった感情は殺さないようにしていました。難しかったのは「演じることもただ読むということもできない」と感じたとき。それは、私自身が登場人物の心情に追いつけていない証なんですよね。そういうときは、ふだん役作りをするのと似たプロセスで、登場人物をとらえなおしていました。

――美月の章がいちばん詰まった、ということは、映画に出演したときと解釈が異なったということなんでしょうか。

橋本 というよりも、より彼女を理解したうえで演じたい、という執念が強かったのだと思います。たとえば夜、修哉に呼び出されて血液検査の結果を知らされる場面。あのとき流した美月の涙にどんな意味があったのか、当時の私は理解しきれていませんでした。今も、さらりと一読しただけでは、その心情を深いところでつかむことができなくて。なぜだろう、と考え続けた先でたどりついた彼女の深い孤独感を、理解したうえでしか出すことのできない声があるんだな、というのは、今回の収録で身に沁みましたね。一方で、今読んでもこの表現になるのか、というセリフもあって、おもしろかったです。

橋本愛さん

 大変だっただろうなあと思ったのは、視点は一人だけど、その人が聴いた他の人のセリフも言わなくちゃいけないところ。たとえば美月は、ウェルテル先生の熱血漢ぶりにふりまわされて、彼の言動を冷ややかに見ているわけです。「おいおい、みんな、牛乳はからだにいいんだぞ」とか「おまえが抱えてる苦しい思いを、まずは、僕に、ぶつけてみないか」といったセリフを、自分の熱情を信じきっているウェルテル先生の視点ではなく、それがいかにしらじらしいことかわかっている美月の視点を通じて、読む。それを聴いた人は、映画で岡田将生さんが演じたのとはまた違う、ウェルテル先生の像が浮かびあがってくるんだろうなと思いました。

橋本 大変は大変だったんですけど、湊さんの文章には音楽のような心地よいリズムがあるので、口にしやすいんですよ。私も、自分で文章を書くときは、なによりリズムを大切にしているので、呼吸の位置など、身体にフィットした文章を読み上げていく心地よさがありました。でもそれは、先ほどおっしゃっていましたが、湊さんご自身が文章を読み上げているからなんですね。

 私はもともと脚本コンテストに応募していたので、セリフを口に出したときに不自然な音にならないか、一息で言い切ることができるのか、デビューする前から気をつけていたんです。声に出さずとも、読んでいる人は脳内で文章を音にして再生しますよね。そのときに流れが止まるような文章だと、前に何が書いてあったか、忘れてしまう。長すぎる文章も、同じです。一文一文がちゃんと読んでいる人に刻まれるものにするためにはどうしたらいいか、というのは常に意識しています。

橋本 そういう意味で、いちばん難しかったのは第一章と第六章、悠子先生の視点かもしれません。文章のリズムは変わらずとてもいいんですけれど、言葉と感情、声のトーンと表情がすべて矛盾しているので……。一致した、と思ったかと思えば、またすぐに離れていく。そんな悠子先生を、映画で松(たか子)さんは、これ以上ないほど完璧に演じていらっしゃった。あの強烈なお芝居を追従しようとすることすら、おこがましく感じられて、この二章だけ松さんに読みあげてもらえないかと思ったくらい(笑)。私の解釈なんて遠く及ばないだろうから、徹底してフラットに読むことで、聞き手のみなさんに委ねることしかできませんでした。

 完成版を聴くのが、とても楽しみです。

橋本愛さん、湊かなえさん

橋本 湊さんに立ち会っていただいた、直樹のお母さんについてはむしろ、手にとるように心情がわかったんですよね。彼女の生い立ちや家庭に対する理想像、家族に対する想いがしっかりと描かれていたからこそ、あんな結末を迎えることしかできなかったやるせなさが、ひしひしと伝わってきた。もちろんすべてに共感するわけじゃないし、私ならそうはしない、と思うところもあるんだけれど、でも、何かの歯車が掛け違えたら、私も同じ道を歩んでしまう可能性はある。そんな、主観と客観の両方をもちながら、声に出していました。

 読書でも、映画でも、『告白』にまるで触れたことのない人が、橋本さんの朗読を聴いたらどんな情景を思い浮かべるんでしょうね。まっさらな状態で聴ける人が、とても羨ましい。

橋本 はじめて原作を読んだとき、役者としても人としても拙かった私には、その読後感を明確に言葉にすることはできませんでしたが、重い鉛のようなものが心に沈み込んでいくのを感じていました。それは、登場人物全員の孤独であり、とりかえしのつかないことに対するやるせなさだったのかな、と思います。今回、全員の視点を読みあげたことで、彼らの孤独は決して他人事などではなく、私たちの心のなかに少しずつ存在しているものなのだと感じました。読み手の全員を当事者にしてしまう物語の魅力が、Audibleでも伝わったらいいなと思います。

 おっしゃるとおり、『告白』を書くということは、孤独な人を生み出していく作業だったような気がします。誰か一人でも、そんなことをしては駄目だと言ってくれる人がいたら。踏みとどまる歯止めのような存在が、そばにいてくれたら。彼らは、境界線を越えずに済んだでしょう。ただ、話を聞いてくれる人がいるだけでもよかったのに、誰もいなかったから、最悪の事態まで突き進むしかなかったんです。引き戻してくれる人をつくらない、というのはどの登場人物に対しても意識していたことでしたね。

橋本 もちろん、悠子先生をはじめ、彼らのしたことが正しいとは決して言えない。でも、100%間違っている悪である、とも言えない。その、ジャッジのできなさが、私にとって重い鉛だったのだと思います。考えれば考えるほど、じゃあどうすればよかったのかと、崖っぷちに追いやられていくような気持ちになってしまう。

 第一章の「聖職者」は新人賞の応募作で、誰に頼まれて書いたわけでもない作品です。読者の目も、出版社の評価も、何も気にせずに書いた作品が、国内のみならず海外の読者にも届いているということは、本当にありがたいですね。いまだに、何が起きているんだろうかと戸惑うこともあるけれど……「売れたい」みたいな欲目を一切抱かずに書いたからこそよかったのかな、とも思います。

橋本 『告白』には遠く及ばないですが、私も、自分の力を信じきれないまま成したことが思いがけない評価をいただくことがあります。作品を通じて皆さんは自分自身を見つめなおし、私は皆さんの評価を通じて自分自身を知っていく。その積み重ねで今に至っていることがおもしろく、今回、Audibleを通じてまた新しい発見をいただけたことがとても嬉しかったです。

 こちらこそ、橋本さんにAudibleを担当していただけて、嬉しかったです。ありがとうございました。

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