音楽、絵画、映画など「芸術」の魅力とうつくしい「食」を小説で。『縁結びカツサンド』著者による“世界で一番おいしい”小説《インタビュー》

文芸・カルチャー

更新日:2023/3/31

冬森灯さん

 2023年4月からオーチャードホールを除き長期休館となる渋谷・Bunkamura。そのあいだも同施設が発信してきた「文化芸術」の魅力を「小説」で楽しめるようにという願いをこめ、Bunkamura×ポプラ社のコラボプロジェクトが実現した。物語を通し、音楽、絵画、映画など、さまざまな芸術の魅力にふれていくことのできる、うつくしい1冊『すきだらけのビストロ うつくしき一皿』(ポプラ社)を著したのは、『縁結びカツサンド』(ポプラ社)をはじめ、食にまつわる作品で、読者の心をあたたかく満たす冬森灯さん。「食」と「芸術」が織りなす“世界で一番おいしい”小説、その誕生についてお話を伺った。

(取材・文=河村道子 撮影=島本絵梨佳)

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――休館のあいだも「文化芸術」の魅力を小説で楽しめるようにという、このコラボ企画は、数多のBunkamuraファンを喜ばせてくれることでしょう。冬森さんはBunkamuraにどんな思い出がありますか?

冬森灯さん(以下、冬森) 私は地方の大学に通っていたのですが、東京に出てくるたび、Bunkamuraに寄ることが楽しみで仕方なかったんです。ちょうどその頃、川上弘美先生の『神様』がBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞され、そのことについて書かれた小冊子『ドゥ マゴ通信』をBunkamura内のカフェレストラン・ドゥ マゴ パリで熟読し、物語を紡ぐひとへの憧れに胸を熱くしました。

――そのドゥマゴ文学賞からのオファーで今回の企画は実現されたそうですね。

冬森 夢のようでした。書店員の方がおすすめの1冊をご推薦する「私のBunkamuraドゥマゴ文学賞」のなかで、私の前作『うしろむき夕食店』を薦めてくださった方がいらして、そちらをドゥマゴ文学賞の方が読んでくださり、お声がけをいただいたんです。ありがたく思ったとともにご縁を感じました。休館のあいだ、「小説で文化芸術を楽しめるように」という趣旨もとても素敵だなと。

――「ヴィルトゥオーゾのカプリス~真鯛のグリエ、アメリケーヌソース~」という一篇ではピアノのコンサート、「マエストロのプレジール~仔牛のポワレ、パレット仕立て~」では絵画展、「フィロゾフのエスポワール~伊勢海老と帆立貝のメダイヨン~」では能、と、その観客の視点で物語は描かれていきます。芸術のシーンはその場にいるような臨場感がありますね。

冬森 実際、芸術文化の場に赴き、その体験から感じたことが描写の核となっています。自分が体験したことを大事に書きたいので、たとえばお能も、舞台を観に行くのはもちろん、自分でも能楽の体験に行きました。Bunkamuraには舞台やバックステージ、さらには公演に携わっていらっしゃる方々への取材の機会を数多いただきました。当初、ご依頼は、音楽と絵画をテーマにした2篇のみだったのですが、その後、Bunkamuraの芸術施設をもっと書いてほしいというご依頼があり、ミュージカル、演劇、映画などをテーマにした物語が生まれていきました。この1冊に登場する芸術の場面はすべてBunkamuraが運営する芸術施設にあるものなんです。

冬森灯さん

――演目として取り上げられている演劇や映画も実際にBunkamuraで上演されたものばかり。ファンにとってその記憶も蘇ってくる1冊ですね。取材、執筆をするなかで印象的だったことはありますか?

冬森 「シュヴァリエのクラージュ~地鶏のコンフィ~」で演劇をテーマに書こうとしたとき、シェイクスピアの戯曲を何冊か読んでいたのですが、とりわけ好きな『夏の夜の夢』を、松岡和子先生の新訳で確認させていただいていたら、その作品がシアターコクーン(Bunkamura内の劇場)の上演のために新訳されていたということが、最後のページに記されてあり、驚いたんです。そして“あぁ、もうこの作品しかない!”と『夏の夜の夢』を作中に著しました。とてもうれしいミラクル。執筆をしていくなかでは、そうした見えない力に引っ張られているようなことが起きていきました。

――それは芸術に宿る神さまの贈りもののようにも思えますね。そして物語に宿った神さまは、憂き世を生きる人々に光射す世界を見せてくれます。同僚との不協和音に悩む音楽好きの女性や、大好きな恋人によく思われたくて、自分は絵画に詳しいと虚勢を張ってしまう男性……。そんな人々が訪れ、おいしい料理を楽しみながら自身の見ている世界の変化を味わうのが、決まって芸術のある場所に現れるビストロ「つくし」です。キッチンカーの赴くままに旅をする「つくし」はどんな発想から生まれてきたのでしょうか。

冬森 お店のなか、座ったままでさまざまな芸術文化と突然出会える形とはどういうものだろうかと考え、移動するビストロを思いつきました。ピアノの演奏が聞こえる野外劇場、映画が上映されている砂浜、能楽堂がある広場などに「つくし」は現れます。人々の暮らしのなかに芸術がぽんと出てくるという形がいいなと考えたんです。

――イルミネーションに飾られた小さなサーカステントが並ぶビストロ「つくし」。そのテントのなかのしつらえにも心が躍ります。

冬森 雰囲気も含めて味わってもらえたら、と。「つくし」は6つのテントがありますが、毎作、テントのなかのディテールがほんの少しずつ違うので、そうしたところも楽しんでいただけたらうれしいなと思います。

――「つくし」を営む、シロクマのようなシェフ・有悟(ゆうご)と、猫を思わせるギャルソン・颯真(そうま)、対照的な風貌と気質を持つ兄弟も魅力的です。

冬森 芸術や文化の担い手のひとたちの、私が一番、好きなところは何かな? と思ったとき、それをしていることが「好き」ということを包み隠さない姿だと思ったんです。たとえば演奏をしている姿がすごく楽しそうだったり、終わった瞬間にふっと見せる笑顔が素敵だったり。このシェフは、そうした表情を見せるひとなんだろうなという思いから有悟が生まれてきました。ただ彼だけだと、ビストロはうまく回っていかないのではないかと(笑)、他のところをマネージメントする、しっかり者が必要だろうなというところで颯真がその役割を担ってくれました。

――有悟はフランスでも修業した腕のいいシェフです。本書には、冬森さんのフランス短期留学のご経験がエッセンスとして色濃く流れているようです。

冬森 “有悟”という名前にしたのは、日本語でもフランス語でも耳に馴染む響きかなと思ったからなんです。ファーストネームとラストネームの違いはありますが、ビクトル・ユーゴーという作家の名も日本では馴染み深いですよね。そのビクトル・ユーゴーの言葉に、「神は水を作ったが、ひとはワインをつくった」というものがあるんです。取材をして、芸術文化について学んでいるときに、自分のなかに生まれてきたのは、「ひとってすごいな」という思い。ビクトル・ユーゴーのその言葉は、ひとの魅力というところをすごく言い表しているように思えて。有悟はなるべくして有悟だったんだなと思えました。

――有悟と颯真の視点で進む書き下ろし4篇は、BunkamuraのWebサイトで連載していたお客さまの視点からの6篇をひとつの物語へと編みこんでいくようです。冒頭の1篇「ビストロの朝食~おいしいパンとよい酒があれば~」では、“ひとを捜したいんだ”という有悟の言葉から、この1冊に流れるひとつの“ミステリー”が提示されます。有悟が捜したいのは、芸術家などを支援する「翁」。彼は光りかがやく才能を持つひとをかぐや姫になぞらえ、「かぐやびと」と呼んでいます。けれどいったい「翁」は誰なのか、音楽や映画など、各分野にひとりずついる「かぐやびと」たちもそれはわからない。有悟はある約束を守るために「翁」を捜していきます。

冬森 Bunkamuraの各施設を描いていくなかで、ドゥマゴ文学賞についても書きたい、文学の要素も入れたいと考え、日本最古の物語といわれる『竹取物語』をモチーフにしました。「フィロゾフのエスポワール~伊勢海老と帆立貝のメダイヨン~」で取り上げたお能にも出てくるように、「翁」は、神さまのようにも捉えられている特別な存在、日本文化と深く結びついている存在でもあります。さらに芸術について考えていったとき、つくり手だけでなく、受け手と支援者という関わり方もあるかなと。芸術文化は、そうした形の存在をなくしては語れないのでは? という思いがありました。

――芸術文化に造詣の深い冬森さんは、美術検定1級、学芸員資格、江戸文化歴史検定準1級など、多くの資格を保有されているということですが、今回の執筆にあたり、新たに取得された資格があったそうですね。

冬森 資格マニアというわけではないんです(笑)。そのことを知るためには、資格取得のための勉強をするのが一番手っ取り早いかなと。もともと好きなことなので、苦もなかったですし、いつか役に立つかな、小説に書きたいなと勉強を続けていて、その知識を使えてうれしかったですね。今回、取得したのは、映写機について学べる16ミリフィルムの映写機操作技術者という資格なんです。

冬森灯さん

――それが「ピオニエのメルヴェイユ~夕暮れブイヤベースと船~」で描かれる映画の描写に活かされているのですね。

冬森 映画って身近なものだと感じていたのですが、取材をしていくなかで、“知らないことがいっぱいある”と気付いたんです。最も気になったのは、フィルムからデジタルへの変化。映画界でもその影響は多大であったというお話を伺い、自分は昔の映画が大好きなのに、フィルムについてよく知らないことに気付いたんです。フィルムや映写機にじかに触れてみたいと思い、そこで映写機操作技術講習というものに行ったんです。

――「ピオニエのメルヴェイユ~夕暮れブイヤベースと船~」では、服飾系の専門学校に通う瑠璃が、自身の作品を評価されない苦しみから逃れるように映画館に通っています。その映画館を営む“ふたり足して御年百五十歳”のおしゃれな姉妹と出会いますが……。「好きなものは増えれば増えるほどあなたを強くする」という作中の言葉は、この1冊の核のようにも思えました。

冬森 書きながらこの言葉が出てきたときは、自分自身、はっとしました。いろんな主人公がいるなかで、映画をテーマにしたこのお話は、若いひとに向けて書きたいと思ったんです。そのとき、今みんな、何かをするとき、“最短距離”を優先しているような気がするのですが、最短でなくてもよいのでは? 回り道をしたからこそ見えてくる風景もあるのではないか? と思ったんです。そこで出会ったものが先々、自分を豊かにしてくれるものにもなる。この一篇では、そのことについて書きたかったんです。私たちは、時代や世の中の変化のなか、どうにか動いていかなくてはなりません。そのとき、自分自身を動かしてくれるものはなんだろうと思ったら、自分が自分のなかに貯めてきた「好き」なものではないかなという思いがあって。そこに気付いていただき、その「好き」をぎゅっと握って大事にしてもらえたら、ということをお伝えしたかったんです。

――読むひとも、主人公とともにそうした気付きを得るのが、“その憂い、少しでも小さくなるとよいのですが”という言葉とともに有悟が腕をふるう、そのひとだけのスペシャルメニューです。おいしいだけでなく、食材の組み合わせ方、作り方などに、それぞれのひとが気付きを得るようなサプライズも隠されていますね。

冬森 世の中って、大変なことが多いですよね。頑張っていてもどうにもならないこともあったり、自分ひとりで何かできることではなかったり……と意識をすると、大変なことばかりが見えてきます。けれどひとは自分の見たいものを見る性質があるように私は思っていて。ならば見るものが変われば、少し楽になったりしないだろうか、暮らしているなかに違うものが見えてくるのではないかなと。それはたとえば自分のなかにある古き良きものかもしれません。そうしたものに気付いていけるよう、世の中に希望のようなものを見いだしていけたら、という思いで書いていました。

――季節のフルーツのシャンパンから始まる、お料理の場面を読んでいると五感が研ぎ澄まされていくようです。そしてお腹がすいてきます(笑)。

冬森 メニューはすべて自分が食べたいものです(笑)。料理を決めていったポイントは食材、季節感、そしてビストロ「つくし」“らしさ”。食材や調理法について詳しく調べながら、メニューに取り入れていきました。

――そして「ピオニエのメルヴェイユ~夕暮れブイヤベースと船~」の瑠璃に出されるメインディッシュ「夕暮れブイヤベースと船」は、ドゥ マゴ パリでコラボメニューとして登場しました。物語のなかのお料理が実際にいただけるのですね。

冬森 小説が現実のなかにはみ出してくれたことがうれしくて。本を読んでいると、“実際にこれが食べられたらいいのになぁ”と思うことが私もすごくありますので、ぜひお料理を楽しんでいだたけたらいいなぁと。(※ドゥ マゴ パリは4月9日(日)をもって営業終了)

――Bunkamura施設の中心に位置する、ドゥ マゴ パリは、冬森さんにとって思い出の場所であることを先ほどお伺いしましたが、この1冊の核が生まれた場所でもあるとか。

冬森 ドゥ マゴ パリのある、空を眺めることのできる吹き抜けの空間は、上階にある劇場や映画館、いろんな芸術の分野にアクセスできるんです。はじめの2篇を書き上げたところで、この空間がスパイン=背骨と呼ばれる空間だということを教えていただきました。背骨は身体を支え、動かし、神経を保護していく、人間にとってとても大切なもの。吹き抜けは空洞ですが、自分の好きなものをどんどん詰めていくと、背骨ができていくというイメージがこの場所で生まれたんです。そしてそれがまさに「文化」というものなのではないかなと。そうしたイメージを物語の形にしていきたいなと思いました。

冬森灯さん

――それは芸術文化、そして自分の「好き」が「生きる」ことにもつながっていくことを著した本作の「背骨」ですね。

冬森 はい。「生きる」ということは日々、その空洞のなかで、空気を入れ替えながら、文化を感じながら過ごしていくことなのではないかなと思うんです。作中でも著したのですが、芸術文化の魅力とは、それぞれが違う印象を、自身と呼応しながら抱えるものではないのかなと。戦争が起こり、疫病の蔓延する今の世ですが、第二次大戦中にも音楽会が開かれていたり、東日本大震災のあとも地域で祭りが多く開催されていたり、文化や芸術の力はひとの心に力を与えてくれる=「生きる」につながっていくものなのだと信じています。

――ビストロの名前を、なぜ「つくし」にしたのか、というところともその思いはつながってくるようです。

冬森 憂き世(うきよ)のなかに「つくし」があると「うつくしき世」になるんです。

――そうした言葉遊びというか、言葉と言葉のエスプリが響き合うような表現が、随所に現れてくるところも楽しいです。有悟と颯真が、「翁」を捜していく手がかりには、フランス語と日本語との間にあるものも鍵となっていきます。そしてラストには、この物語を流れるものを象徴するような、ある文字とある文字とがつながり、それが思いがけない真実を私たちに教えてくれます。

冬森 その部分は、最終に近い段階の原稿を見直していくなかで、ふいに出てきたものだったんです。自分を超えたものが自分のところに届いてくれた、という思いがありました。私の場合、自分を超えるなにかが加わらないと作品が完成しないのです。最後の最後に見えた、うつくしい景色でした。

――“世界で一番おいしい料理”の味わえるこの1冊を、読者の方に届けるにあたり、メッセージをお願いします。

冬森 ご自身の好きなものを思い浮かべていただいたり、“そうだ、私、こういうものが好きだった”と気付いてくださったり、そうしたご自身の「好き」と向き合うきっかけに、この本がなってくれたらうれしいです。

撮影協力=Bunkamura

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