「ひとりで生きる人の可視化されないつらさ」を描く『わたしの夢が覚めるまで』が大人に激しく刺さる理由《ながしまひろみインタビュー》

マンガ

更新日:2023/6/6

わたしの夢が覚めるまで
わたしの夢が覚めるまで』(ながしまひろみ/KADOKAWA)

「ほぼ日の塾」でマンガを描くきっかけを掴み、『やさしく、つよく、おもしろく。』でデビューしたながしまひろみさん。その後、マンガ『鬼の子』のほか、絵本『そらいろのてがみ』や小説の表紙イラストなど、幅広く活躍する彼女がダ・ヴィンチWebで連載していた『わたしの夢が覚めるまで』が単行本化された。

 なぜか毎日、夜中の3時に目覚めるようになってしまった38歳の主人公・そのが、浅い眠りのなかで見た夢とともに日々の暮らしをふりかえっていく本作。そののように不眠がちな人だけでなく、生きることへの漠然とした不安を抱える人にも寄り添うように描かれていく物語についてお話をうかがった。

(取材・文=立花もも)

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夢って、おもしろい。忘れたと思っているはずの記憶も無意識下にしまわれている

――本作を描いたきっかけは、コロナ禍でながしまさん自身が不眠がちになってしまったことなんですよね。

ながしまひろみさん(以下、ながしま) 人に会えないことと先の見えない閉塞感のせいか、すごく落ち込んでしまってました。不眠症というほど深刻なものではないけど、うまく眠れない夜が続くうちに、ふと、もう消えてしまいたいな、って思ったこともあります。

 描き始めた当時の私が38歳だったので、その漠然とした不安を重ねるようにして描いていたんですけれど、連載を続けるうちに少しずつ折り合いをつけて、気持ちを納得させられるようになりました。

 コロナ禍の状況も少しずつ変わっていったし、私だけでなくまわりの友人たちも、人生の岐路を迎えて環境を変えていったりして、「みんな頑張れ」ってエールを送るような気持ちで描けたのもよかったのかもしれません。

――そのの見る夢は、私たちがふだん見るのと同じように、突拍子もなくて、意味があるようでなさそうなものも多く、そのパートを読むだけでも楽しかったです。

ながしま 夢って、おもしろいですよね。これまでの人生で出会ったいろんな人たちとバスに乗り合わせて旅に向かう夢や、オオサンショウウオが出てくる夢、自分をふくめたみんなが入れ歯をはずしてしゃべる夢は、私自身が見たものですが、友人たちから聞いた話もいくつか使わせてもらっています。

 たとえば、透明なエレベーターで縦横無尽に飛んでいく夢をよく見るという方がいて。マンション育ちで、生活のなかに当たり前にエレベーターが存在しているからこその夢だなあ、とその方の背景が見えるのも興味深かったです。バスの運転手さんが急に具合が悪くなり、自分がかわりに運転するしかないんだけれど、免許がないからどうしようどうしようと焦る夢とか、塩分濃度がやたら高い海にたどりついて、このなかに足を踏み入れたら傷に沁みるなと思ったという夢とか。みなさんからおすそ分けしていただいた夢を、少しアレンジしてとりいれています。

――夢って、不思議ですよね。顔も名前も忘れていたような人が突然登場していたりもするし。

ながしま 昔好きだった人が出てきて「もしかして私、まだ未練があったのかな?」と驚いたり(笑)。全然そんなことはないはずなんだけれど、忘れたと思っているはずの記憶も無意識下にはちゃんとしまわれていて、思いがけず拾ってしまうことがあるのかもしれないですね。

溝をつくらない、みんなに拍手を送るような気持ちになれる作品

――そんななか、そのの夢にはひとりの女性がしばしば登場します。今のそのと同じ38歳で亡くなった叔母・さきちゃんと、夢のなかで対話を繰り返すことで、「生きること」と「死ぬこと」について静かに思いを巡らせていくのが印象的でした。

ながしま もし自分が38歳で居なくなっていたら、どうなっていただろうか、と思いながらさきちゃんを描きました。さきちゃんはそのの分身でもあったように思います。

 あとは、最初からこれを描こうと決めていたわけではないのですが、普段生きている中で、ひとりで生きる人の可視化されないつらさを感じることがあって。

――可視化されないつらさ、ですか。

ながしま 子育てやパートナーとの関係など、自分だけでなく誰かのために時間と心をそそぐ生活は、本当に大変だろうと思います。もちろんそこには代え難い大きな喜びがあることも分かります。全部ひっくるめて、日々頑張っている人たちを心から尊敬しています。

 でも、独身で、自分ひとりの面倒を見ればいいからといって、つらくないわけじゃない。「身軽で、しかも仕事がうまくいっているんだからいいじゃない」など、自由気ままに生きているかのように言われてしまうと、言葉に詰まってしまうんですよね。

――確かに、仕事がしんどいとか、パートナーや子どもがいなくてさみしい、とかいう悩みは、家族が非協力的だからワンオペでしんどい、みたいな悩みに比べると、些細なような気がしてしまいますよね。

ながしま 実際、私もそうだよな、とは思うんです。でも、誰かと比べて些細だからってその人の感じているつらさは消えるのか、どうでもいいものになるのかといえば、そうではないので。そういう気持ちもこの作品で描きたかったもののひとつである気がします。なるべく両者に溝をつくらないよう、みんなに拍手を送るような気持ちになれる作品を描けたらなあ、と。

――さきちゃんの姉である、そののお母さんとの対話に、そうした想いは表れていましたね。

ながしま そののお母さんたちの世代は、容易に自由を手にすることのできなかった時代。家族の世話に明け暮れて、自分自身の人生をどこか置いてきぼりにしてきたように感じているお母さんにとって、独身で自由を謳歌しているふうに見える妹は羨ましかっただろうし、我儘に見えていたかもしれません。だからこそ、理由もわからないまま、突然亡くなってしまった彼女のことを、今も引きずり続けている。

 だけど私たちが生きる現代は、そんな悲しいすれ違いをしなくてもいい、みんなが自分らしい生き方を模索することができるはずなのだから、さきちゃんやお母さんとはまた違う在り方をそのには見出してほしいな、と思っています。

生きるうえで降りかかるつらさは、なるべく誰とも比較したくない

――もしかしたら、そののお母さんの苦しさも、目に見える場所にはなかったのかもしれませんね。誰しも、ひとりで抱え込むしかない何かを秘めて、懸命に生きているのかも……と本作を読んでいると感じます。

ながしま そうなんですよね。子どもがいて、家族も仲良くて、順風満帆に見えていても、実は不妊治療をしていたとか、辛い過去があったとか、ふとした瞬間に「そんなことがあったのか」と驚くようなことをこぼしたりする。もちろん圧倒的に不利な状況の方はいるし、理不尽なことばかりですけど、生きるうえで降りかかるつらさは、表面だけからは分からない。なるべく比較したくないなあ、と。そんなことを、辛いことを辛いまま描くのではなく、読んだ人が優しい手触りを感じられるような読み心地になってくれたら、と思いながら描きました。

 そのぶん、さきちゃんが亡くなった原因を描くのか描かないのか、というところについてしばらく悩んだ期間もありました。病院の先生に取材をした際に「どういう気持ちだったかは本人にしかわからない」と言ってもらって、描かないと決めました。結果的にこれで良かったのかなと思います。

 最後の終わり方が悲しいものだったからと言って、その人の人生が台無しになるわけではない、その人はその人にしか生きられない人生を歩んできたんだ、ということも忘れないようにしようと思いました。

――可視化されないつらさが、ときどきふんわりと夢に反映されていて、夢を見ることで心の整理をつけていくそのが、深刻になりすぎず少しずつバランスをとりもどす過程も、読んでいてとても心地がよかったです。

ながしま どんなおかしなことが起きても許されるのが夢のいいところで(笑)。それこそ、亡くなった人と会話するなんて、現実にはありえないことも、これは夢ですと言ってしまえばみなさん納得してくれる。起承転結の流れもふんわりさせることができるので、ちょっとずるいな、と思いつつ、ストレートに描きすぎないことが本作においては必要だったのだと思います。わかったような、わからないような、解決したような、していないような。そんな曖昧な感じで前に進んでいくことの方が、日常では多いと思いますし。

行き詰まっていたときに、折坂悠太さんの「炎」に救われた

――夢のなかでさきちゃんと対話するだけでなく、そのが少しずつ、現実にも触れあう人たちと交流をしていく姿もいいなと思いました。自分の夢の中だけにとじこもるのではなく、無理のない範囲でも、自分が一歩を踏み出すことで、世界はちゃんと開かれていくのだと自覚していく過程が。

ながしま 私自身、コロナ禍で作家の友人たちと作業通話をしながら絵を描いたり、会えなくても交流を深めたことで、他者と関わる大事さをコロナ前より実感したのが大きかったかもしれません。たとえずっと一緒に人生を歩む相手ではなくとも、遠く離れてしまった友達や会社の同僚、ふとしたきっかけで知り合った好きなことを共有できる相手、そうした人たちとの繋がりを小さく持ち続けることが、生きていくうえではとても大切なのだということを、読者だけでなくそのにも伝えたかったのかも。

――連載を続けているなかで、スカイプする以外に、何かながしまさんの支えになったことはありますか?

ながしま シンガーソングライターの折坂悠太さんの曲を、この連載の後半からずっと聴いていました。さきちゃんのことをどう描くか悩んで行き詰まっていたとき、友人にライブに誘われたんです。どの曲も素晴らしかったんですけれど、とくに「炎」という作品に胸を打たれてしまって。おそらくもうこの世にはいないのであろう人のことを歌っていて、もしこの場所に来たら眠らせてやろう、と語りかけている。すごくさみしいのに優しい歌詞とメロディが、さきちゃんを想う気持ちに重なりました。今も、何度も繰り返し聴いています。

――確かにちょっとテイストが似ている気がしますね。さみしくて切ない感じがするんだけれど、どこか前を向いている。

ながしま 描きながら自分の気持ちも整頓されて、折り合いをつけられるようになったと最初にお話ししましたが、何が起きるかわからない不安だらけの世の中でも、どうにか楽しく生きていこう、きっと生きていけるはずだと思えるようになったのは、コロナ禍の渦中でおしゃべりしていた友人たちや、折坂さんの曲のおかげだなと思います。

 作中にも描きましたが、自分のことばかりに目が向いて、ネガティブな感情や問題のありかを突きつめすぎると、しんどくなっていくばかりなので。他者との関わりと、答えを出しすぎないことがいいのかな。わたしもまだよく分かっていないので、これからまた作品を描いていく中で見つけられたらいいなと思います。

――曖昧なことを曖昧なままにしておくのは、確かに大事かもしれません。

ながしま 実際は、短気ですぐに怒ったりしちゃうんですけど(笑)、何かを断言するのが苦手で。分からないことを分かってるとは言えないし、ひとつの答えに定めてしまうと、身動きがとれなくなって、やっぱり自分を追い詰めてしまう気がするし。上手く言語化できないから黙ってる、みたいな消極的な理由もあるのですが、なんだかよくわかんないけど大丈夫、くらいの安心感って、けっこう必要な気がします。

――次はどんな作品を描きたいですか?

ながしま 本作は私にとって初めて大人を主人公にしたもので、テイストが違っても読者の方は意外と受け入れてくれる、というのはとても安堵した部分でした。だからきっと、この先も大人に向けた作品を描くとは思うのですが、今は、久しぶりに子どものフォルムを描きたくなっています。どちらにせよ、次は明るい話がいいですね。読んだ人たちの心にぽっと灯りがともるような。

ながしまひろみ/北海道生まれ。漫画家、イラストレーター。著書に、漫画『やさしく、つよく、おもしろく。』(ほぼ日ブックス)、『鬼の子』全2巻(小学館)、『ちーちゃん』(主婦と生活社)、絵本『そらいろのてがみ』(岩崎書店)ほか。書籍の装画や児童書などのイラストレーションを多数手掛けている。

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