「切った後の髪の毛が気持ち悪い」なぜ人間の髪の毛はこうも不気味なのか? 怪奇小説集『禍』小田雅久仁インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/17

禍
』(小田雅久仁/新潮社)

〈からだ〉をモチーフにした怪奇小説集『』(小田雅久仁/新潮社)が発売された。発売に際して、台湾映画「呪詛」の監督から激賞の言葉をもらったり、新潮社が「体調の良い時にお読みください」と打ち出したり、モチーフにしているのも「口、耳、目、肉、鼻、髪、肌」で内容も不気味なものばかり。一度読んでしまえば最後、独特な不気味ワールドに引きずり込まれるような物語だ。

『禍』を刊行するにあたって最初の作品「耳もぐり」の執筆から、実に10年の歳月が過ぎた。この10年間での〈からだ〉に対する心境の変化や、執筆秘話などについて伺った。

(取材・文=奥井雄義)

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小田雅久仁さん
©新潮社

「耳もぐり」から約10年。自分の手ごたえよりも、周りの反応

――『禍』刊行に際して、他の長編小説を刊行した時と異なる手ごたえなどありましたら教えてください。

小田雅久仁(以下、小田):もう10年以上前からちょこちょこ書きつづけてきた作品なので、あまり客観的に自分の作品を見られなくなってしまっている、ということもあります。ですので、自分でどうというよりは、読者がどう読んでくれるのかを注視したいなと思っています。

――体をモチーフにした小説を書こうと思ったきっかけはあるのでしょうか?

小田:雑誌『小説新潮』の「ファンタジー企画」というものがありまして、そこで「耳もぐり」を書きました。この作品が、たまたまファンタジーというよりは、怪奇小説風の作品になっていたことと、体の一部を扱った作品だったということがそもそもの始まりですね。

 ただ、ファンタジー小説を書いてくれと言われて、あっさりすぐに「耳もぐり」の話を思いついたわけではなかったと思います。10年以上前だったので……いろいろ苦しみながら、なんとか絞り出したという感じだったと思います。

小田雅久仁さん
©新潮社

母親に切ってもらった髪の毛を、気持ち悪いと思いながら片付けていた少年時代

――〈からだ〉が奇妙だと思うようになったきっかけはありますか?

小田:今回の作品の中で例を挙げるとすると「髪の毛」が奇妙というか気持ち悪いと思っていました。僕が子供の頃、お風呂場で母親に切ってもらうことがあり、掃除する時に、いつも気持ち悪いなと思っていました。「髪」をモチーフにしているのが「髪禍」という短編なんですが、そこにも髪の毛の気持ち悪さは反映されていますね。

 なぜ今の今まで自分の頭から生えていた髪が、切り落とされた途端にこんなにも不気味な感じになるんだろう、これほど汚い感じになるんだろうということを不思議に思っていました。

――母親に髪の毛を切ってもらった後に片付ける役は、小田さんがやる決まりだったのでしょうか?

小田:そうですね。ビニール袋に、自分の手で掻き入れていました。嫌だなと思いながらやっていましたね。

――今でも美容院などでカットしてもらう時は同じようなことを考えますか?

小田:今でも考えますね。美容院ではなく床屋で切っているんですが、周りに散らばっている自分の髪の毛を見て思いますよ。もっと言うと、40過ぎて白髪とかも目立つようになってきたんですが、白髪が入ると余計汚らしいなと思ったり。

――髪の長さも、長ければ長いほど気持ち悪いのでしょうか?

小田:それはそうでしょうね。長い髪の毛だとすごく気持ち悪いと思います。

小田雅久仁さん
©新潮社

「死」を感じる部位について論理的に深掘りしてみた

――〈からだ〉が死を孕んだものである、という考え方をされていると伺いました。

小田:普段見えていないんですが、平気な顔をしているその肌を一枚剥がすとしゃれこうべがある、ということを想像して不気味さや死を感じますね。これはずっと思っていました。人の多い場所を歩いていて思うのが、骸骨が歩いている、みたいな感覚でした。

――髪の毛に対しても、やはり死を感じますか?

小田:髪の毛は、切り落とされた瞬間に急に死体のように見えてくるという感覚はありますね。頭に生えている時は感じないのですが。

――爪とかも、日常的に切ることが多いと思いますが、いかがでしょうか?

小田:感覚としては、髪の毛と同じはずなんですが、意外と爪は死体という感覚はないですね。それは多分、色が関係していると思います。色が白っぽいので、黒い髪の毛とは少し違うのかな、と。

 ただ、それで言うと、歯とかは不気味かもしれないですね。爪のように日常的に切るものではありませんから。髪の毛ほどではないですが、不気味な感じはしますね。

――色の話が出てきました。たとえば、黒ではなく髪の毛が金髪だったとすると、不気味さは減ると思いますか?

小田:そうかもしれないですね。やっぱり黒のほうが怖いと思います。映画の「リング」でも貞子が髪の毛で顔を隠して迫ってくる時に、金髪よりは全然黒のほうが怖いんじゃないですかね(笑)。

――髪の毛に対する強烈な嫌な思いがひしひしと伝わってきます。そういう意味では、髪の毛を主軸にした宗教の話を展開する「髪禍」には思い入れはありますか?

小田:個人的にすごい思い入れがあるというわけではないんですが……一直線にノンストップでぐいぐい進む勢いのある話で、作品としては気に入っています。担当編集や身近な人も気に入ってくれているようです。身近な人に好きだと言われると、面白いものができたのだな、と思います。

――髪を軸にした宗教の教祖と、その後継者の儀式がメインの話です。主人公は目先の金のために、その儀式のサクラとして参加しています。ただいるだけでいいと言われたその儀式ですが、終始雰囲気は不気味。儀式が始まると、四肢がなく目もない異色な存在である後継者が、会場に集まった女性たちの髪を次々に吸い込んで養分にし、髪の毛で構成された手足を生やし、目のようなものを生成するという展開でした。髪の毛は、死というよりも生命力のように感じました。

小田:髪の毛自体がまず不気味だということを念頭に、ただ視覚的におどろおどろしいものにしたい、という思いがありました。髪の毛の死とか生とかではなく、ただ髪の毛の気持ち悪さを追求して書きましたね。

――中盤がおぞましい展開だった反面、最後の場面にはある種の清々しさを感じてしまいました。

小田:そうですか(笑)。本来、嫌悪の対象であるはずの髪の毛というものを、最終的に受け入れてしまい、嫌悪すら感じなくなってしまうこと、それ自体が一番怖いのではないのかなと思います。清々しく見えても、実は一番嫌な終わり方なのではないかと思いますね。

小田雅久仁さん
©新潮社

一時的であれば若い人の体を乗っ取りたい

――「耳もぐり」は、特殊な指の組み方をして相手の耳に近づけると、相手の体の中に入り込めるという技術を習得した人間の話でした。その「耳もぐり」を『小説新潮』に掲載してから、約10年間の執筆と改稿を繰り返し「これこそは自信を持って世に送り出せる」と自ら太鼓判押す7篇を厳選して刊行することになりました。モチーフとなっている〈からだ〉に対する思いも、この10年間で変化はありましたか?

小田:作品とはまったく関係ないところなんですけど、やっぱり40代になって肉体的にガタがきていて、言うことを聞かなくなった感じがあります。特に老眼がけっこうきついですね。まず目にきているな、という感じがあります。30代の終わりくらいから体のあちこちに衰えがきていました。

――たとえば「耳もぐり」の話には、相手の体に入り込み、それだけに飽き足らず体を完全に乗っ取り支配する、という話があります。肉体的な衰えが出てきた今、若い体を乗っ取りたいと思うことはありますか?

小田:思うことはありますね。でも肉体を乗っ取るのも一時的にですね。一時的に若い時の体を楽しみたいな、くらいの気持ちです。ずっと乗っ取るのは、相手に申し訳ないと思いますから(笑)。

小田雅久仁さん
©新潮社

透明人間になって思う存分他人をじろじろ観察できたらいいなと思います

――逆に、生を感じる部位はどこですか?

小田:目ですね。他の部位とは全然違った印象を受けますね。目を見ると、人間には心があると感じますね。

――白目のない黒目だけの動物もいると思いますが、そのような動物の目にも生を感じますか?

小田:黒目だけの動物でも生を感じますね。白目がなくても、黒目の輝きや奥行きがあるところに、やはり生を感じるのだと思いますね。

 ただ、確かに白目がないと視線がわかりにくいというのはありますが、よく見ていれば黒目でも視線の動きなどはわかります。一方で、虫とかの目にはあまり生を感じないです。動きがないように思えるんですよ。

――たとえば、人間でもサングラスをしていて目が見えない状況だと印象は変わるものでしょうか?

小田:結局、サングラスをしているということは、その人が視線を隠そうとしているということですから、何かを隠しているのではないか、と思いますね。それに目の輝き自体も見えなくなってしまいます。そういう意味では、人の存在そのものがちょっと引っ込むような感じですかね。

――目を見て話すのが苦手で、道を歩いていてすれ違う時に目が合うと、嫌な感じがしてしまうとおっしゃっていました。目が合うということは、小田さん自身にも他人を見たいという欲望が奥底にあるのかなと思いました。自分だけは見ておきたい、という思いがあるのでしょうか?

小田:それはありますね。ただ、他人の目を見たいというよりは、顔を見たい、という思いがあるんです。たとえば自分が透明人間になって、思う存分他人をじろじろ観察できたらいいな、という思いなど。

――裸の人に触られると、触られた人たちも次々に服を脱いで裸になってしまうヌードパンデミックを描いた「裸婦と裸夫」という話の主人公が、ちょうど、一番の夢は漫画家になることで、二番目の夢は透明人間になること、と言っていました。小田さん自身を反映している部分もあるのでしょうか?

小田:実際にそういう気持ちがありますね。部分的に、僕自身が反映されているという面はあると思います。

小田雅久仁さん
©新潮社

怪奇小説のアイデアはどこから?

――〈からだ〉をモチーフにした小説を書かれていますが、他人の体を見て、小説のヒントを得たり、アイデアが浮かんだりするのでしょうか?

小田:体に限らず、身の回りにいる人の風体や、醸し出している雰囲気のようなものはよく見ていますね。電車で向かいに座った人を見て「何歳くらいだろうか?」と思ったり、人間観察はよくしてしまいます。ただ、体の一部というよりは、全体的な雰囲気を見ていることが多いです。

――電車の中というと「裸婦と裸夫」では、丸裸になったおじさんが自分の乗っている車両に突然入ってくる、というところからパンデミックが始まりました。電車を舞台にすることは以前から決めていたのでしょうか?

小田:電車に全裸の人が現れたらどうなるんだろう、ということはだいぶ前から思っていました。それがどういう物語になるんだろう、というところまではなかなか思いつかなかったんですけど、体の一部をテーマにした怪奇小説として仕上げようと思っていろいろ考え、その結果、裸になって肌も脱げてしまうような展開を考えつき、これならちゃんと結末をつけられそうだな、と。

――ちなみに、実際に電車の中で裸のおじさんが出てきたら、小田さん自身はどう反応すると思いますか?

小田:うーん……その人がただ脱いでいるだけ、ということだったら、ちょっと離れたところにいるだけだと思います。でも「裸婦と裸夫」に出てくる人物のように、裸のおじさんがこちらの体を触ってくるとかなら、それは逃げますね。ただ、僕は小説家になってしまったので、まずは単純に面白い人がいるな、と思うかもしれません。

――最後に、この小説をどんな人に読んでほしいか、教えてください。

小田:もちろんどなたでも手に取ってほしいところですが、できれば若い10代や20代の方に読んでもらえたらと思います。これまであまり小説を読んできていなかった人に読んでもらって、こんな小説もあるんだ、と新鮮に感じていただけると嬉しいですね。

小田雅久仁さん
©新潮社

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