【京極夏彦特集】スペシャル対談2 京極夏彦×又吉直樹「京極先生の作品が、自分に結びついていることが多い」

文芸・カルチャー

更新日:2023/9/15

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年10月号からの転載です。

京極夏彦さん、又吉直樹さん

 デビュー作『姑獲鳥の夏』から京極作品を愛読し、ファン同士の集いにも参加したことがあるという又吉直樹さん。「百鬼夜行」シリーズについて、お互いの創作についてお伺いするとともに、お二人の話題は遠野での不思議体験にも広がり――!?

取材・文=門賀美央子 写真=干川 修

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又吉 『鵼の碑』、発売に先駆けて読ませていただきました。すごく面白かったです。シリーズをずっと読み続けている読者はもちろん、今作から読み始めても楽しめるんじゃないかなと思いました。また、これを読んだ後に改めてシリーズ第1作の『姑獲鳥の夏』に戻って既存作を通読すると新発見もありそうです。

京極 ありがたいご感想です。

又吉 京極先生の小説には好きなところがいっぱいあるんですけど、とりわけ世界観というか、舞台設定がすごく好きなんです。『姑獲鳥の夏』は、関口が古本屋「京極堂」に向かって歩いていくシーンの語りに引き込まれました。しかも、そこから先に出てくるのが僕の好きなものばかりで夢中で読んだのを覚えています。

京極 書いてる方はどこがいいのかよくわからないのですが(笑)。

又吉 読んでいるうちに頭の中に新しい情報がどんどん入ってきて日常から離れられる。そんな感覚のまま、物語と一緒に並走していけるのが僕はすごく好きです。

京極 このシリーズは基本的にストーリーラインのない小説なんですね。読者の中にはそれらしき物語が生まれるように考えてはいますが、作り方としてはストーリーは二の次なんです。部材を積み重ねて層になったところに発生するモアレを組み立てるようなことをしているので、一本線の物語がないんです。まあ、これは僕の小説全般に言えることではあるのですが。

又吉 なるほど。

京極 特に今回の『鵼の碑』はその程度が著しくて、粗くも細かくも筋がない。だから、あらすじが書けない。編集者が困る。

又吉 (笑)。

京極 読む人それぞれが勝手に違うストーリーラインを追えるような形がエンターテインメントとしては理想的だと思っているんですけどね。そううまくはいきませんが。

又吉 今作で特に強く感じたのが、語りで読者に与えられる情報と、各場面での登場人物の行動が響き合って小説を構成しているのではないか、ということです。以前は主に語りの部分から情報を摂取していたのですが、今回は登場人物の行動の一つ一つが論と符合していって、どんどん太くなっていくことに気づきました。

京極 事件が起きて、それを解決する、というのがミステリーの基本パターンだとすると、事件はできるだけ単純化しないと、何が謎で、何を解いていくのかがわからなくなります。だから、多くのミステリーは最初に殺人事件なり何なりが起き、その犯人を探す構造になっていますが、僕はそういうのを書くのがどうも苦手なんですよ。読むのは好きなんですけど。結局何が起きたのか最後までよくわからないけれど、なんとなくミステリーを読んだような気がする、という感じがいいかなあと。ミステリーを読んだ気がする、と誤解してもらえたなら幸いです。

又吉 誤解ですか(笑)。

『姑獲鳥の夏』成立に影響を与えたのはあの国民的大文豪

京極 又吉さんは、いわゆる純文学と呼ばれる作品をよく読まれるでしょう。特にお好きな作家はいますか? やっぱり太宰治とか?

又吉 元々はそうですね、芥川龍之介や太宰なんかが好きです。

京極 僕も芥川が好きなこどもでした。だけど、小説を書こうとしたとき手本になったのは、どちらかというと夏目漱石だったんですよね、たぶん。

又吉 ほう。

京極 作劇作法は水木しげるのマンガに最大の影響を受けているんだと思いますが、リズムや版面の手本は漱石でしたね。他にも先人の影響は到るところにあるんですが、『姑獲鳥の夏』なんかは“漱石”ですね。読者には一切わからないでしょうけど(笑)。今回は少しそこから外れたい気持ちがあって。文意と関係なく文体や版面って意味を持っちゃうことがありますし。“鵼”という妖怪は「何者かわからない」という比喩で使われるほど正体不明の存在ですからね。僕の小説はタイトルと中身がイコールなので、鵼を標榜する以上はなんだかわからない小説にしたくて。

又吉 (笑)。わからないなりに、僕はすごくその感じが好きで、面白かったです。

京極 ならいいんですが……。ミステリーにはいわゆる約束事が結構あります。一般小説に比べ、制約めいた自戒は多いんですね。例えば、本筋に関係のない登場人物にはフルネームは与えないとか。

又吉 与えてもいいんですか?

京極 与えると、読者はその人物が謎解きに関わるのだろうと深読みをしてしまう可能性があるでしょう。それ、アンフェアになりかねない。だから関係なければ省く、省かないなら関係ないことを明確に示す、という配慮ですね。今回は配慮をやめました。筋とほとんど関係ないおばさんにまでフルネームをつけました。

又吉 確かについてました(笑)。

京極 伏線の回収なんかも最近は注目されるんですよね。まあたしかに、パズルのピースがきれいにはまる快感というのはあるんですが。

又吉 確かに。

京極 どうでもいいところがみんな伏線で、それはきれいに回収されるんだけど、結局本筋には無関係だとか、関係あり気なピースは無視されるとか、そういうことがしてみたくって。

又吉 なるほど。

京極 最後の最後でカタルシスがないとか、結果的にミステリーじゃないのに総体としてはミステリーだとか、そういう小説でないと鵼にならないかなと。それはもう小説としてどうなのよと我ながら思いますが。

又吉 やっちゃいけないとされていることとか、今の流行パターンを壊しながら作品を作っていかれたんですね。

京極 と、いうかお化け優先なんですよ。まあ、元々そんなのばっかりなんですけどね。トリックも蜂の頭もないので、ミステリーと言われるともう面映ゆいというか申し訳ないというか、五体投地して謝りたいぐらいです。

又吉 でも、そこに期待している読者がすごく多いと思うんです。僕も、コントや漫才だとやっぱりお約束をどう崩そうかとか考えますし、共感イコール面白いとなっている時代だからこそ、共感できない人物を真ん中に置いてみようとか思ってしまう方なので。作品づくりをするにあたっては、どうしてもそういう欲が出てきますよね。

京極夏彦さん、又吉直樹さん

京極夏彦もびっくり!又吉直樹の遠野体験

又吉 そういえば、以前遠野に行ったときに面白いことがありました。

京極 ほう。

又吉 僕、岩手のテレビで『遠野物語』がテーマの番組をやったことがあるんです。その際に『遠野物語』の中に出てくる人では、乙蔵という人物が好きだという話をテレビ局のスタッフにしたところ、子孫の方と会わせてもらえることになりまして。

京極 え、子孫の方が遠野にいらっしゃるんですか? そりゃあすごい!

又吉 お会いした日は、晴れているのに雨もパラパラ降っている妙な天気で、いかにも遠野らしい尋常じゃない雰囲気が漂っていました。そこで、子孫の方に「遠野ってやっぱり不思議なことが起こったりするもんですか?」と軽い質問をしたところ、「いや、あんなもんは全部、佐々木喜善と柳田國男の作り話だ」って、身も蓋もないお答えで。

京極 まあねえ(笑)。

又吉 で、収録が終わり、カメラが止まった後、その子孫さんをロケ現場からお家までお送りすることになって、一緒にぶらぶら歩いていたんですよ。そしたら急に「又吉さん、あそこ見て。墓があるでしょう。昔はね、あのあたりにはもう毎日のようにこんなでっかい火の玉が出てたんですよ」って話し始めて。それ、なんで収録中に話してくれなかったのかな、ってなりました。でも、その方にとっては火の玉は普通の話なんですね。

京極 不思議じゃないんだ(笑)。

又吉 あと、あちこちに宝物を壷に隠して埋めてあったとか、そういう話もありますよね。そのうちのひとつの話が伝わっていたお宅にもお邪魔したんですが、やっぱり「あんなのは嘘です」みたいな感じで全否定なんです。他にも不思議な話なんて何もない、と。でも、あえて言うならという感じで「うちの家族は鮭を食べないんですよ」とおっしゃるんです。なんでも、ご先祖が狼に追われて川岸まで追い詰められ、もう駄目だと思った瞬間、鮭がいっぱい集まってきて橋を作ってくれたおかげで向こう岸に逃げられたから、以来恩に報いるために子々孫々鮭は食べないんです、って。お宝伝説は信じないけど、鮭の人助けは信じて禁忌を守ってるんだって思うと、なんというか、そのアンバランスさがすごく面白くて。

京極 あのあたりは鮭を食べるのを禁忌とする家がぽちぽちありますね。ただ、根拠となる伝承は様々で、さらわれた娘が鮭になって帰ってきたから、なんていうのもありますしね。他にも鹿食NGとかキュウリ食NGなんていうのもあります。

又吉 こんなこともありました。座敷わらしが出て行ってしまったせいで、一家全滅になった家の話がありますよね。

京極 はい、あります。娘姿の座敷わらしが2人連れで去っていくのを目撃された家の者が毒きのこを食べて、外出中だった女の子1人を遺して全員死亡という話ですね。

又吉 その家があったとされる場所にも行ったんです。で、ロケが終わって移動することになったんですが、なぜかロケバスの運転手さんがいなくなって。みんなで探していたところ、運転手さんが森の中から出てきたんですよ。きのこを両手いっぱいに抱えながら(笑)。

京極 採ってたか(笑)。

又吉 運転手さんには「この辺のきのこ、やばいらしいですよ」って伝えましたけどね。

京極 絶対ウケ狙いでしょ、それは(笑)。その場所でないとウケないけど。それにしても羨ましいお話ですねえ。

又吉 なんだかいろいろと面白いところでした。

京極 僕は何度も遠野に行っているんですけれども、子孫の方々のお家に連れていってもらったことはないですよ。避けられているのかしら。

又吉 岩手のローカルテレビ局ならではだったのかもしれないですね。

京極 乙蔵さんの子孫の方には謝らなきゃなあ。いや、とてもいいお話を伺いました。

京極夏彦さん、又吉直樹さん

不思議なことなどなにもない? “あの場面”が現実に蘇る!

又吉 先生は作品中で認識や記憶の話をていねいにお書きになるじゃないですか。僕はあれが好きというか、はっとすることがよくあるんです。ふだん忘れているようなことでも実は全て記憶されていて、何かのきっかけがあれば一気に思い出す、というような。あれ、物語の中ではとても劇的ですが、実は僕自身も実際にそういう嘘みたいな経験をしたことがあるんですよ。

京極 ほう。それはどのような?

又吉 結構前の話なんですが、ある地元の友人に連絡を取ろうとして、連絡先がわからなくなっているのに気づきました。電話番号は携帯に登録していたので自分では記憶していなかったんです。なのに、登録が消えてしまったみたいで困っていました。そんな頃のある日、ロケバスで京都に移動することになりました。そして、とある踏切の前で止まり、京阪電車が目の前を通過していった。その瞬間、数字が頭に浮かんできたんです。明らかに何かの電話番号なのであわててそれをメモして、一緒にロケバスに乗っていた相方の綾部祐二にこの番号って誰やったっけ?って尋ねたんですが、相方の携帯には登録されていませんでした。相方と僕は仕事関係の情報は全て共有していたので、必然的に番号は僕の関係者ってことになります。そこで、もしかしてと思って電話を掛けてみたら、まさに連絡を取りたかったその友人の番号でした。

京極 素晴らしいですね。

又吉 番号を記憶した覚えはないんですが、何度も電話する時に目には入っていたんでしょうね。

京極 見ている以上、意識下で覚えていたということでしょうか。

又吉 はい。で、それを思い出すトリガーになったのが京阪電車だった、と。というのも、その友人とはいつも一緒に京阪電車に乗っていたんですよ。だから僕の脳内では、彼と京阪電車が分かちがたく結びついていたのだと思います。

京極 あるんですよ、そういうことは。でも、世間ではそれを「不思議なこと」にしてしまいます。

又吉 そうですね。自分も不思議体験と認識しているんですが。

京極 でも、覚えていたことを思い出しただけですから。不思議でも何でもないですよ。

又吉 (笑)。

京極 又吉さんは冷静に「京阪電車を見たから思い出した」と理解されましたが、その自覚がなければ何がきっかけかわからないままだったでしょうね。

又吉 僕が持っている不思議な能力のおかげだと思ったかもしれません。

京極 そう、そうなりがちです。でも、この世には不思議なことなど何もないですからね。又吉さんが経験されたようなことを、僕はだらだらと小説に書くわけですが、だけど、今のお話の方が全然面白いですね。

又吉 そんなことないです(笑)。

京極 文字量にしたら見開きぐらいで足りる話をあんなに長く書いちゃうんですから、駄目な人ですね、僕も。

又吉 いやいや。いろんなエピソードの積み重ねがあるからこそ、現象が解き明かされる瞬間が全然違うものになるのだと思います。

京極 そうかなあ。

又吉 記憶との関係で言うと、先生の作品は読んだその時の状況と結びついて残ってるんですよね。『姑獲鳥の夏』を読んだ時、僕はこんなことをしていた、というように。

京極 それはすごく嬉しいことですね。僕も読んだ作品と、それを楽しんでいた頃の自分が紐付いていることが多いです。それ、ストーリーや表現ではなくて、そうした“意味”を超えた階層が意識下で結びついているんですよね。さっきの話で言うと、作品が一つの“京阪電車”になっていて、そこに連結された“その当時の自分”の何かが想起されるんでしょう。実は小説の面白さの正体って、そういうところなんじゃないかと思います。ですから書いた者としては大変光栄です。次回作のタイトルは「京阪電車」にしていいですか。

又吉 (笑)。他にも、僕が仕事で何らかの体験をした時に先生の作品を思い出したりすることがあります。例えば、以前何かの番組で脳波を調べてもらった時のことです。日本に数台しかないという大層な計測装置の中に入れられて、ボタンを渡されました。「いろいろ考えて、なにか閃きがあったらボタンを押してください」と言うんですね。だいたい10分ぐらい入っていて、ボタンは3回ほど押したと思うんですが、そのうちの2回は自己認識と脳波の状態が符合していました。つまり、僕が“何か思いついた”と認識する時は本当に思いついているので、これはとてもいい傾向ですよと褒めてもらえたんです。で、その次は何も考えないでくださいって言われて、再度装置に入ったんですね。そうしたら、その時の脳波もずっと閃き状態と一緒だったんですよ。何も考えてなくてこれなら、一生懸命考えてたんは何やったんやと虚しくなりました。

京極 わははは。

又吉 ただ、確かに何か閃くのって、一生懸命考えている時より、ボーっと散歩しているとか、風呂に入っているとか、なんかそういう時の方が多い気がするんです。

京極 座禅の状態と同じなんでしょう。何も考えていない時、脳波の動きは低下するのではなく、むしろ高い方に固定される。

又吉 面白いですよね。で、この時に思ったのが、「あ、これ『鉄鼠の檻』に出てきたやつやん!」ってことでした。

京極 書きましたねえ(笑)。しかし又吉さん、いろいろと面白い体験をされていますね。

又吉 先生の作品がいろいろな形で自分に結びついていることが多いので(笑)。『鵼の碑』もそうなるんですかね? 一足先に読んだ読者として、今回の作品は、シリーズをずっと読み続けているファンは言うまでもなく、京極作品を初めて読んでみようと思う方でも楽しめる作品だと思います。まずこれを読んでから、1作目の『姑獲鳥の夏』に戻って流れをたどっていくのもいいでしょうし。いろいろな楽しみ方ができるんじゃないかなと思いました。

京極 そう言ってもらえると書いた甲斐もございます。今日はありがとうございました。

又吉直樹
またよし・なおき●1980年、大阪府生まれ。吉本興業所属。2003年、綾部祐二とお笑いコンビ「ピース」を結成。10年には『キングオブコント2010』で準優勝、『M︲1グランプリ』で4位に入賞した。15年、『火花』で第153回芥川龍之介賞を受賞。著書に『人間』『東京百景』『劇場』など。

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