伊集院静氏が語る、文芸系電子書籍の「新しい姿」

新刊著者インタビュー

更新日:2013/8/9

若い世代とのチーム制作で文芸の電子書籍化を切り拓く

――また、本作はこれまでのエッセイや文芸作品の電子書籍とは大きく異なるところがありますね。たとえば、冒頭が写真をコラージュした動画で始まり、プロローグやエピローグ、各章の総括が伊集院さんのインタビュー動画になっていて、「紙の書籍」とはまったく違う発想でつくられていると感じました。こうした構成の意図は何なのでしょう?

伊集院: 紙の書籍をそのまま電子書籍化するというのもひとつの方法だとは思う。しかし、その既成概念や既得権を取り外さなければ新しいものは生まれません。電子書籍は大きな可能性を秘めている。そのハードとソフトをもっと活用する方法と答えを出すのは、私の世代ではなく、若い世代でしょう。だから、動画の使い方や構成については制作チームの若い力に委ねた。こういうチームでの制作スタイルも、電子書籍では必要なことだし、また、これからの作品づくりでも持つべき視点だと、私は考えています。

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――伊集院さんのエッセイはすべて本音で書かれていますが、『男の流儀入門』の動画インタビューは淡々とした話し方ながら、さらに“本質”が際立っていました。制作してみて、紙の書籍と電子書籍の違いで感じたことは?

伊集院: 紙の書籍における文章には行間があり、観念的なことを描くことに適している。一方、電子書籍は動画や音声、音楽を加えられる。そこには文章だけの作品とは異なる伝わり方がある。もっとストレートなんです。「電子書籍でのコラボレーション」と言われているけれど、私の考えはちょっと違う。前作の『なぎさホテル』ならば井上陽水、『男の流儀入門【震災編】』ならば大友康平、彼らの世界を「加えていく」のが電子書籍。完璧に役割分担が決まっていて、主役はあくまで「電子書籍」なんです。そこに何を加えていくか、どんな積荷(コンテンツ)を載せられるのか…。ここを見誤ってはいけない。

各章をすべて読んだ後に観ることができる「総括」のインタビュー動画。伊集院さんの表情、肉声があってこそ、今、何をすべきかが心に刺さる

 

現実に被災した作家だからこそ語れる「大人の男の振る舞い方」

――前作の電子書籍『なぎさホテル』もそうでしたが、『男の流儀入門』でも伊集院さんが制作費を出資されています。この点においても、作家としての新しい動きですね。

伊集院: 『なぎさホテル』や『男の流儀入門』を電子書籍でリリースすることは、カメラマンの宮澤正明との会話から始まりました。どちらの作品も彼の写真で構成されている。私、宮澤、版元であるデジタルブックファクトリーの3者で制作費を出資しあってリスクを背負いました。書いた作品を差し出すだけならば、これまでの作家と一緒でしょう。新しいことをはじめるなら覚悟を決めてやらないと。

――なぜ著者自ら出資してまで、電子書籍化という方法を選んだのでしょうか?

伊集院: できるだけ早くつくらなければいけないと考えたからです。私は仙台の自宅で妻と愛犬たちと被災した。コンクリートの建物の残骸以外、町がそっくり消えていることを自分の目で見た。自宅から数キロ先、降り積もる雪の下で無数の死体が眠っていることもわかっていた。そして、政府の対応やマスコミの倫理の欠落に強く憤った。しかし、そう憤る自分の無力さもわかっていた。作家としては、今、何が起きているのかを書き残すことしかない。しかし、紙の書籍化には時間がかかります。そして時間が経ち、来年になったら、自分の感情は“平たく”なってしまう。だから、自ら出資すればすぐに制作に取り掛かれ、制作期間の短い電子書籍化を選んだのです。

――その試みは見事、的中しています。インタビュー動画や音声、音楽がなかったら、このリアルさと重みは実現できなかったと思います。しかし、わかっていてもそれができないケースも多い。なぜ伊集院さんには可能だったのでしょうか?

伊集院: 頭が柔らかいからでしょう(笑)。電子書籍には、イメージを喚起させる“間隔”というものがある。それをどう表現していくか。作家もそこがわからないとダメなんです。これまで肝心だと思っていたところには何もないかもしれない。既得権にしがみついてちゃ、新しいものは生み出せないよ。

 

3月11日、仙台の自宅で家族と被災した伊集院さん。第1章はそのときの氏の判断と行動に裏付けられた、具体的な「まず、大人の男のすべきこと」が書かれている

 

電子書籍の未来を見通し、制作を進める伊集院さん。後編では、『男の流儀入門』における制作現場でのエピソードをくわしくうかがいます。