セックス=抜け道の真意とは?『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』 二村ヒトシ監督インタビュー(3)

エンタメ

2017/9/1


 「川原泉の新作が出るというので『ダ・ヴィンチ』が取り上げたり、萩尾望都が『ポーの一族』の新作を出したりと、“あの頃”の少女マンガが今熱いんですよ。しかも『マンガ家生活◯周年』という懐メロではなく、今の我々の問題として読める、というね」と少女マンガについて熱く語る、アダルトビデオ監督の二村ヒトシさん。少女マンガと現代人の問題に鋭く斬り込む『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』について伺うインタビュー。最終回は「セックス=抜け道」の真意などについて伺います。

■『綿の国星』で描かれた、心の中の“異性”

 初めて少女マンガを論じたと言われる、1979年に出版された評論集『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(橋本治/河出書房新社)に影響を受けたという二村さん。著者の橋本治が「史上稀に見る“美しい作品”」と評した『綿の国星』を、二村さんも「傑作! 文庫で全4巻だから、みんな読むべき!」と大絶賛する。捨てられていたチビ猫が須和野家で飼われることになるファンタスティックな作品で、このマンガに登場する猫は「猫耳」のある人間の姿で描かれており、人の言葉を理解し、自分も喋っている(しかし人間にはわからない)のが特徴だ。

 「この作品って当時の視点だと“可愛い猫は読者の女の子の魂”だったと思うんです。読者である女の子が感情移入できるものとして、須和野家で飼われているチビ猫がいる。しかしどうも今の、しかも男のAV監督である僕の視点で見てみると、これはどうやらただ女の子の魂だけじゃないぞ、ここに男の魂も隠されているんじゃないか、と思った。僕はジェンダーが行ったり来たりするAVを作っているもんですから、恋愛においてもそういうことってあると思っているんです」

 橋本治は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で、大島弓子に『綿の国星』を描かせたのは“生きてみよう”という意志だ、と書いた。二村さんは「これは人間と猫の物語だという先入観があるんだけど、実は性の話、男女の話だって誰も読んでいないんですよね」と一歩踏み込んだ解釈をしている。

 「大島さんって、短編で心の中に異性がいるって話を繰り返し描いているんですよ。誰にでも男性性と女性性がある。それが僕が『綿の国星』に惹かれた理由なんだと思う。そういう謎解きを大島さんが仕掛けているような気がするんです。夏目漱石の『吾輩は猫である』みたいに、猫を主人公にするのは”違う視点”の導入が目的です。その外を自由にほっつき歩けるチビ猫を、少女たちが『これは境界線にいる私たちだ』と感じた。大人でもない女でもない年齢で、こういうグッと来る少女マンガを読み始めたからにはもう子どもでもいられない、という作品なんですよ」

 いずれ人間になれると思っていたチビ猫は、猫は猫にしかなれないことを知り、周りにとらわれることなく生きていこうとする。二村さんは「今これを読むと、人間ってこういうふうに自由でいるのがいいよね、と思える」と指摘する。また猫ハンターに追われる美猫「ラフィエル」は、チビ猫を飼う須和野時夫そのものなのではないか、という新しい解釈にも注目だ。

 「手塚治虫なんかはオタクの親が自分の子どもに読ませたりして継承されていくんだけど、『綿の国星』は“私たちの中の大事だったマンガ”という思い出枠に入ってしまっているので、本当にもったいないなと思うんです。今読んでも面白いから読もうよ! って思いますねぇ。でも僕、別に猫とか全然好きじゃないんですよ。モフリたい、みたいなことはまったく興味無いんです!(笑)


■なんでも型にはめるから、抜け道がなくなる

 前回のインタビューで「セックスって何かっていうと、僕は“抜け道”だと思っている」と語った二村さん。その理由について聞くと、「昼の世界とは違う、セックスという“ちょっと悪いこと”をすることによって、また昼の世界で生きていけるんだと思う」と答えた。

 「フロイトの弟子であるラカンという人が『変態であることが生き延びる道だ』と言ってるんです。現代に生きている人はみんな神経症であり、真面目な人間が真面目に生きると病気になってしまって、社会から排除されてしまう。でもそうならない道があって、それが”人に危害を加えないような変態”になること。真面目すぎちゃいけないってことなんですよね。つまり自分にとっての抜け道を作らないといけなくて、それが“性”というものなんです。ところが今の世の中は、恋愛にしても結婚にしてもセックスにしても型にはめてくるから、抜け道が抜け道じゃなくなってしまったんです」

 『綿の国星』を取り上げた第4章の冒頭では、ギレルモ・デル・トロ監督の映画『パシフィック・リム』を好きという女性に「ほんとにわかってんの?」とオタク界の著名男性が水を差したエピソードが披露されている。

 「『パシフィック・リム』の本当にいいところは、白人の男性である主人公と一緒にロボットを操縦したのが女性であり、しかも日本人であるということ。僕はそこにシビレるんです。差別がどうのって話じゃなくて、わかり合えない人と人が同じ場所にいるってのが『世界』だろう、と思うんですよ。これはポリコレ問題であったり、性の問題もそうで、フェミとオタクがケンカしているけど、どっちも同じじゃないか、って僕なんかは思う。それは個々の是々非々の問題であって、悪い男もいるしヤバイ女の人もいる。それをすごく大きな話として捉えて、全体として男は悪い、いや女が悪いになって、『ええっ? そこでケンカすること?』と思うんですよ。僕は別に仲良くしようよ、っていうことが言いたいんじゃなくて、わかり合えない人が同じ場所にいるってのが世界だから、そういう意味で女の人もAVを見るべきだ、と言うとまた物議を醸すので……そう言いたいのはグッと堪えて(笑)、まず男が少女マンガを読むところから始めようよ、って言いたんです」

 『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』は、現代人の心に空いた穴を埋め、過剰になってしまいがちな自意識を「本来あるもの」として自覚させて、軛(くびき)を解く術を与えてくれる。

 「どんな読み方でもできるのが優れた作品だと思いますし、まあこれは僕が好きなマンガを読んだ僕の感想文ですから。作者は『そんなことない』って言うかもしれませんけど(笑)。ただ恋愛とか生きていてうまくいかないということにぶつかったときに、ひとつの処方箋として、マンガから、そして僕が書いた文章から何かがわかるんじゃないかなと思っています。なのであの頃の少女マンガが好きな人に読んでもらって、懐かしんでもらったり、『それは違うよ!』という意見があったらぜひ聞かせてもらいたいですね。そしてもっと議論を膨らませたい。“何が正しい”というのではなく、“どこに感動したのか”がキモだと思うので。またどのマンガも読んでないという若い人には、まず僕の本を読んでもらって、これをきっかけに少女マンガを読んでもらいたい!」

取材・構成・文=成田全(ナリタタモツ)

・現代人が抱える問題を描く“名作少女マンガ”の凄みとは? 二村ヒトシ監督インタビュー(2)
・「『少女マンガってアダルトビデオと似てるな、そっくりだな』と思った」二村ヒトシ監督インタビュー(1)

■関連リンク
『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』外伝
「ポルノとしての少女マンガ」
https://kadobun.jp/readings/43

[プロフィール]
にむら・ひとし AV監督。1964年東京・六本木生まれ。慶應義塾大学文学部中退。大学在学中の84年から劇団「パノラマ歓喜団」を主宰、95年まで務める。97年アダルトビデオ監督としてデビュー。女装美少年シリーズや痴女モノなど固定観念やジェンダーが揺らぐような作品を世に送り出している。著書に『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』、『すべてはモテるためである』、『オトコのカラダはキモチいい』(金田淳子、岡田育との共著)など。