誰かに認められたくて、マルチ商法にハマってしまう。衝撃作『マルチの子』西尾潤インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2021/8/28

マルチの子

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出版社:
徳間書店
発売日:
マルチの子
『マルチの子』(西尾潤/徳間書店)

 第2回大藪春彦新人賞を受賞し、受賞作に書き下ろしを加えた連作短編集『愚か者の身分』(徳間書店)で作家デビューを果たした西尾潤さん。デビュー作で描かれたのは、“戸籍売買”に手を出す人たちの、とても愚かで、かつ自分の欲望に忠実な生き様だった。章ごとに視点人物が移り変わっていき、徐々に事件の全貌が明らかになっていく。その構成には求心力があり、読み手をアンダーグラウンドな世界へと引きずり込んでしまう。

 そんな衝撃作を生み出した西尾さんが、待望の第2作を発表した。それが『マルチの子』(徳間書店)である。

 本作の主人公は自己肯定感の低い女性、真瑠子。優秀な姉や愛嬌のある妹と自分を比べ、常に生きづらさを抱えている。やがて真瑠子は承認欲求を満たすように、“マルチ商法”に手を出してしまう。それが地獄のはじまりだとも知らずに。

 驚くべきは、著者である西尾さん自身がマルチ商法にハマっていた過去を持つということ。つまり本作は、実体験に基づいて書かれた小説なのだ。

 知られざるマルチ商法の世界を克明に描くことで、西尾さんはなにを伝えたかったのか――。

取材・文=五十嵐 大 写真=松山勇樹

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西尾潤

マルチ商法にハマった過去がベースに

「マルチ商法にハマっていた20代の頃、借金がトータルで700万円にまで膨らんだんですよ。いまじゃ考えられない。当時は20代の会社員でもない子が、700万円も借金できるような社会だったんです」

 自身が“マルチの子”だった時代を振り返り、西尾さんはあっけらかんと話す。その口ぶりは、どこか清々しさも感じられるようだ。『マルチの子』を書き上げたいま、本当の意味で過去が清算されたのかもしれない。

 ただし、当初は2作目として別の物語を考えていたそうだ。

「周囲の人たちからは『2作目がなによりも大事だよ』と言われていました。たしかに、デビュー作は割り引いて評価されます。だからこそ、2作目は厳しく見られてしまう。どんな内容にするか担当さんと相談していたときに、『西尾さんにしか書けない世界がいいと思います』と言われたんです」

 そこでまず思いついたのは、現在、作家業と兼業しているヘアメイクの世界だった。

「でも、現在進行系で自分がどっぷり浸かっている世界って、想像力に乏しくなってしまうんです。いくらストーリーを練っても、『いや、そんなこと起きるわけないでしょ』としっくりこない。そこから視野を広げていった結果、激動の20代があったことに行き着いたんです。マルチ商法にハマって、ガッツリ借金を抱えて……。よし、それを書こう、と思いました」

 とはいえ、西尾さんが書きたいものはエンターテインメントの世界。自分の体験をただ並べるのではなく、読み手を飽きさせない緩急ある物語にする必要があった。

「客観性を保つことがとても難しかった。書いていると、どうしてもリアルに近づけたくなってしまうんです。読み直しながら、『それ嘘じゃん!』って思ってしまう。だけど、『元々、あんた、嘘の話(フィクション)を書いてるやん!』ってツッコミを入れたりして(笑)。一歩離れた位置から物語全体を見るのに、相当時間がかかりました。正直、鮮明に覚えているエピソードよりもなんとなく端っこだけ覚えているものの方が、想像力をプラスすることができて書きやすかった。リアルすぎて理解しづらい部分は指摘してもらいながら、ゆっくり書き進めていきました」

 デビュー作『愚か者の身分』が刊行されたのは2019年9月。そこから約1年9カ月を経て、『マルチの子』はできあがった。

「執筆には1年半くらいかかってしまいました。何度も何度も直したので、最終的には第8稿までいったんです。初稿の段階ではもっと枚数が少なかったんですが、しつこく直しを入れました。途中で、最初に予定されていた刊行時期に間に合わないことがわかって、だったらもうとことんやるか、と。ギリギリまで粘らせてもらったんです」

「何者かになりたい」という想いがトリガー

 真瑠子をはじめとするマルチ商法のメンバーたちが団結する姿は、どこか不気味だ。作中にはこんな描写がある。

「鹿水真瑠子! シニアスーパーゴールドになります!」
 声を張った途端、真瑠子はこれまでに経験したことのない高揚感を覚えた。全身の血が一瞬にして沸騰し、体中に熱が充満していくかのようだ。

 最後に「よっしゃ、やるぞ!」と、丹川谷が気合の一声を出すと、皆が一気に「おーーー!」と喚声を上げた。
 部屋の空気の隅々にまで、エネルギーが満ちていた。
 世界に、自分たちにできないことは何もないと思えた。

 マンションの一室に集められたメンバーたちが、それぞれに夢を語り、高揚していく。一人ひとりの視点がひとつになり、同じ方向を見つめる。なにも間違っていない、と確信しているかのように。

西尾潤

「マルチ商法って、どこか宗教に似ているんです。仲間ができるし、それがハマり具合を加速させてしまう。誘ってくれた人が好きな人だったり、組織に尊敬できる人や気の合う仲間がいたりすると、より一層ハマっていく。しかも、マルチ商法をしているとつらいこともあるから、同じ痛みを共有できる仲間とは結束力が生まれやすい。お金を稼げること以外にもハマりやすい要素がたくさんあるんです」

 お金を稼げること以外にも、ハマりやすい要素がある。本作の根幹を成すのは、まさにそういった「マルチ商法にハマっていく人たちの心情」である。特に主人公の真瑠子がなにを考え、どうして危険な世界へ歩を進めてしまうのかは興味深い。

 そこにあるのは、「何者かになりたい」「誰かに認めてもらいたい」という、ピュアな欲求だ。

「わたし自身、マルチ商法にハマった二十歳の頃は、何者かになりたいと思っていました。わたしは長女として生まれて、妹と弟がいます。当時、自分の承認欲求には気づいていませんでしたが、振り返ってみると、『認められたい』『いい子だと思われたい』という気持ちがとても強かったように思います。長女として褒められればとてもうれしかったですし、やはりいい子でいなければいけないと感じていたんです。同時にお金のことも意識していました。母がお金で苦労していたのは知っていたので、たくさん稼いで、お金を渡してあげたいとも思っていたんです」

 人を騙して金儲けしてやろう、などと思っていたわけではない。そこにあったのは真っ直ぐな気持ちだった。それは真瑠子も同様。しかし、それが転落への一歩ともなりうる。本作で描かれる真瑠子の生き方は、常に地獄と隣り合わせなのだ。

ラスト数ページで世界がひっくり返る

 自分の過去をベースにしながら、エンターテインメントとしても成立させる。その企みが爆発するのは、ラストで明かされるエピソードだろう。

 そこに至るまでのストーリーだけを読めば、本作は「ひとりの女性が、マルチ商法に振り回される転落の物語」だ。しかし、ラスト数ページでそれがひっくり返る。ともすれば被害者でもあった真瑠子の“純粋な悪意”に触れた瞬間、読み手は恐怖するだろう。

「デビュー作では複数の登場人物の視点から、物語を書きました。でも、2作目ではひとりの人物に焦点を絞り、それを追いかけていきたかったんです。なので、最初から最後まで真瑠子の視点で綴ることにこだわったし、そこから絶対に逃げたくなかった。その手法で書いていくなかで、ラストでそれまで構築されていた世界がガラッと変わるような読み口にしたいと思ったんです。そうすれば真瑠子というキャラクターが、みんなの心のなかに残るんじゃないか、と」

 その企みを編集担当者に相談したところ、「相当ハードルが高いことをしようとしてますよ?」と言われたそうだ。それでも西尾さんはチャレンジした。

「そのためには全編を見直す必要がありました。担当さんからアドバイスをいただきながら、何度も何度も直しましたね。結果、オセロがパタパタとひっくり返っていくような終わりにできたんじゃないかなと思います」

西尾潤

 本作は単行本で400ページを超える大長編だ。それを書き上げたいま、西尾さんには作家としての自信と覚悟が生まれたという。

「自分の過去を振り返り、内省したことで見えてきたことがたくさんあります。自分がどうしてマルチ商法にハマってしまったのか、その理由がわかったということもありますが、それ以上に、気持ちを掘り下げられたのがよかった。小説家にとって、それはとても重要なことだと思うんです。なぜ哀しいのか、うれしいのか、怒りを覚えるのか。人間の心の動きを知ることは、小説家に必要なこと。それができたことで、今後も書いていけると確信しました」

 気鋭の作家は、すでに次回作にも着手している。

「次回作のテーマは“老人犯罪”です。彼らがどうして犯罪に手を染めるのか、それが知りたい。だからこそ書きたい。確実に悪だとわかっていても、一歩踏み出してしまうのには理由があるはずじゃないですか。その理由が人なのか、国なのか、周りの環境なのか、追求したいと思っています」

【プロフィール】
西尾潤
にしお・じゅん●大阪府生まれ。大阪市立工芸高等学校卒業。ヘアメイク・スタイリスト。第二回大藪春彦新人賞を受賞し、2019年、受賞作を含む『愚か者の身分』でデビュー。

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