自己評価が低い女の子がある日突然、自分のルーツ=在日コリアンだと知らされたら【深沢潮インタビュー前編】

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

―本作では1960年代、1970年代、1990年代、そして現在と時代が行き来します。時代ごとに在日コリアンを取り巻く状況や時代の空気が変わっていく様子がよくわかりますが、このタイミングで本作を発表されたことには意図があるのでしょうか?

:実は本作の原型は、作家としてデビューする前から書いていたんです。改めて一から書き直したものを文芸誌で連載することになったのですが、その雑誌が途中で休刊してしまいました。こうして紆余曲折を経ているうちに、世の中が変わっていったんです。嫌韓ムードがどんどん高まり、ヘイトスピーチが横行するようになりました。それを受けて物語の結末に迷う時期もありましたが……、でも結果的に2015年に出せたことには大きな意味があると感じています。今年は、日韓国交正常化50周年の年。このタイミングで、朋美の父親の杉原たちや、在日一世といわれる世代について書いておきたかったのです。ヘイトスピーチに正面からNOをいうことももちろん大事ですが、違う時代の在日コリアンを見てもらうことで、何かを感じてとってほしくて書き上げました。

 

日本中が浮かれていたように思われるバブル期に、朋美はみずからの出自を知ってひとり煩悶する。一方で、朋美の両親が出会ったのも東京オリンピックが開催された年。高度経済成長期のまっただ中にあり、誰もがどんどん豊かになるのを実感していたとされる時代だ。そんな光の時代にありながら帰国事業などに翻弄され、生きづらさを強いられていた在日コリアンたち。しかしそうした時代の〈影〉の部分は〈なかったこと〉にされている。それでも生きていたマイノリティの人たちを、深沢潮さんは浮き彫りにした。後編はその鮮やかな描写と、タイトルにもある〈父〉への想いについて語ってもらう。

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取材・文=三浦ゆえ