車上生活者、低賃金で働く高齢者、親の介護に疲弊する中年男性。日本の社会問題が描かれる、泣けるサスペンス小説『無年金者ちとせの告白』

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/16

無年金者ちとせの告白
無年金者ちとせの告白』(西尾潤/光文社)

 今日を生きるのが苦しい者たちの嘆きと絶望が、ありありと記されている。そんな感想を抱かせる『無年金者ちとせの告白』(光文社)は、胸にずしっとくる重厚なサスペンス小説だ。

 著者の西尾潤氏は、第2回大藪春彦新人賞を受賞。受賞作に書き下ろしを加えた連作短篇集『愚か者の身分』(徳間書店)で作家デビューを果たした後、自身の実体験をもとにマルチ商法の深淵を描いた『マルチの子』(徳間書店)を上梓。同作はさまざまなメディアでも取り上げられるなど、大きな反響を呼んだ。

 そんな大注目の西尾氏はこの度、社会の中でひっそりと苦しむ人々の姿を交えつつ、老女たちが起こした悲しい完全犯罪の物語を描き切った。

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ある男との出会いで慎ましい「女ひとり老後」が一転…

 車上生活者たちが彷徨う「坂田パーキングエリア」。そこで働く梨本ちとせは73歳。思うように動かなくなってきた老体に鞭を打ち、なんとか女ひとりの老後生活を送っていた。

 ある日、職場で専務から、1カ月以上パーキングエリア内に放置されている車に警告書を貼りに行くよう指示される。休憩を取っていたちとせは、渋々放置車両へ。すると、車からこれまでに嗅いだことがない異臭が漂っていることに気づいた。

 気になり車内を覗いてみると、後部座席のヘッドレストの横に赤と青のマトリョーシカが並んでいるのを発見。昔からマトリョーシカが好きだったちとせは欲しいと思ってしまい、後部ドアを開けようとした。

 その時、同僚で2歳上の古田中栄から声をかけられ、動揺。会話をしているうちに手をかけていたドアが少し開いてしまい、中から男性の変死体が出てきた。

 職場は騒然。この時ちとせはまだ知らないが、この事件は後に、思いもよらぬ真実を炙り出す引き金となる。

 同日、ちとせはもうひとつ予期せぬ出来事に遭遇した。なんと離婚した元夫が亡くなったようで、生命保険会社からちとせが受取人になっている保険があるとの連絡が来たのだ。

 ひとまず、詳しい話を聞いてみよう。そう思ったちとせは電話をかけてきた甲斐と名乗る男性と会うことに。

 ところがこの出会いによって、細々と暮らしていたちとせの人生は一変。ひょんなことから悪事に手を染めることとなり、栄に協力してもらい、「罪を消し去るための完全犯罪」を目論む――。

老女たちの完全犯罪はフィクションとは言い切れない社会問題を考えるきっかけに

 ちとせのように老いた体を気力で動かして働く高齢者の姿だけでなく、認知症の母親を施設に預けられず疲弊する中年男性や、車上生活を続ける親に振り回される子どもなど、さまざまな苦しみを背負っている人が登場する本作は、誰かの悲鳴に気づくきっかけを授けてくれる1冊でもある。

 本作にはちとせだけでなく、同僚の栄や坂田パーキングエリアで車上生活を送る者たちの犯罪も描かれているのだが、それらの犯行動機はどれも悲しく、救いの手が少しでも差し伸べられていたら防げたのではないかと思え、胸が締めつけられた。

 ここに綴られているのは、もちろん完全なフィクションだ。だが、登場人物たちと似たような境遇であったり、共鳴する苦しさを抱えていたりする人は、この国に多くいるように思う。

 だからこそ、登場人物たちの生き様やその心境、老女たちの悲しい罪に触れながら、自力では解決できない問題を背負っている人のSOSを、どう受け止めていけばいいのか考える機会を持ってほしい。

 決して許されはしないけれど、思わず涙が溢れてしまう完全犯罪。あなたは、この罪をどう受け止めるだろうか。

文=古川諭香

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