千葉の引きこもりがルーマニアの小説家に。海外に一度も出ないまま現地語作品を書くに至ったノンフィクション

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/14

千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話
千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸/左右社)

千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)。この書名で内容は大掴みできるだろう。著者は日本在住92年生まれの男性で、現在はルーマニア語で詩や小説を書いている。もちろん、そこに至るまでには、想像を絶する波瀾万丈の道があった。その顛末を記したのが本書である。

 ルーマニアについて情報を有している人は少ないと思う。あったとしても、時の権力者ニコライ・チャウシェスクが公開銃殺されたことや、ヨーロッパのなかでも貧困の国だということくらいか。だが、著者の場合、映画や音楽や文学といったルーマニアのカルチャーに魅せられ、徒手空拳でルーマニア語を学び始めたのだ。

 だが、これが非常に困難だった。日本の書店で同語のテキストなど滅多に置いていないし、専門的に教育を受けられる大学や機関もない。更に、ルーマニアは専業の小説家や評論家がおらず、文化面では後れをとっている国だと言わざるを得ない。

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 そんな時に著者を鼓舞してくれたのは、「マイナーな外国語を学んでる俺、かっけえ」という、いささか中二病じみた心性だったそう。これはよく分かる。著者は自分はへそ曲がりだというが、歴史の陰にあるような、マイナーなカルチャーに耽溺している自分に酔うのは、あらゆるジャンルで起こることだからだ。

 同国の状況を知りたかった著者は、Facebookでルーマニア人コミュニティに登録し、話が合いそうなルーマニア人に片っ端から友達リクエストを送った。4000人に友達リクエストを送っていると、タイムラインがルーマニア語であふれる。メッセンジャーでやりとりをして語学を学ぶうちに、親友と呼べる友達もできた。ツイッターとFacebookのふたつは世界と自分をつなげてくれる「どこでもドア」だったと著者は言う。

 書名の通り引きこもりだった著者だが、それ以外にも、腸の難病であるクローン病に罹患。下痢と腹痛で自宅療養を余儀なくされる。毎日薬を10錠以上飲み、一生続く厳しい食事制限を強いられる。もう踏んだり蹴ったりだ。普通ならこの時点で語学の勉強を諦めるだろう。

 だが、語学オタクを自称する彼は、参考書や辞書を漫画を読むように手に取り、過集中とすら思えるほどルーマニアの文化や言葉を吸収してゆく。著者を努力の人と見る向きもあるだろうが、努力という意識もないのかもしれない。彼は本書を書いていた8か月で6667冊の本を読んでおり、そのジャンルも物理や科学から文学まで幅広い。

 著者は先出の難病によって、憧れの地へ移住することも留学することでもできない。にもかかわらず、いや、だからこそ、彼の地についてのイマジネーションが膨らみ、深く知りたいというモチベーションを保てたのではないか。文化的にも物理的にも遠いルーマニア。その遠さこそがまさに著者を学習に駆り立てたのだと思う。

 ひとかたならぬ好奇心や想像力と、それを文章化する際の筆圧の高さには圧倒される。一人称は「俺」で「マジで最高」といった言い回しを多用した文体は、著者の想いの強さを表しているだろう。だが、私には、著者にとって本書は、まだ成すべきことの途中経過のようにも見えた。著者のルーマニアへの興味は、今後も衰えてゆく気配はなさそうだからだ。

 なお巻末には、ルーマニアの音楽や映画や文学のレビューが多数掲載されており、まだ見ぬ国への憧れを、読者は著者と共有することもできるはず。語学の習得に必要なのは、効率的な勉強よりも、むしろ情熱や衝動ではないか。そう思わせるほど膨大な熱気が渦巻く一冊である。

文=土佐有明

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