世界を動かすのは個人か、それとも社会か? マンガ『ダーウィンクラブ』で描かれる新自由経済と生存本能

マンガ

公開日:2023/5/11

ダーウィンクラブ
ダーウィンクラブ』(朱戸アオ/講談社)

 私たち=ヒト(人間)は、生物学的に言えば社会的な動物だ。人間は個体として生きるだけでなく、社会の中で相互作用し集団で生きてきた。しかし、新自由経済が格差という形で社会を分断したことは、人間本来の生存本能を歪めてきているのかもしれない。

ダーウィンクラブ』(朱戸アオ/講談社)が、同種の生物が集まって生活を営む「社会」のあり方に、一石を投じる作品だと言ったら大げさ過ぎるだろうか。

 本作品は、寄生虫を扱った異色の医療マンガ『インハンド』(講談社)、感染症を取り上げた『リウーを待ちながら』(講談社)といった、生物科学に関する作品を手がけてきたことで知られる朱戸アオ氏が仕掛ける最新作だ。

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サスペンス要素を増長させるダーウィンの進化論

 作品の冒頭は、新自由経済が進み、格差により分断された世界が広がる現代社会を舞台に、GAFA的グローバル企業のCEOが次々と狙われるテロ事件が発生したところから始まる。第1巻は、この犯罪を実行した組織の謎を解明していくサスペンスを楽しみながら、現代社会の歪みや新自由経済のもたらす社会課題に切り込む作品に仕上がっている。だが、それだけではない。例えば、第1巻とタイトルの意味(例:第1話・犬も歩けば棒に当たる)は全く関係ないようにさえ思えるだろう。そして巻を追うごとに、正しさの隙間から垣間見える不気味さとその不気味さの正体であるダーウィンの進化論との関係を肌で感じてしまったら最後、ダーウィンが残した生物の進化論のことしか考えられなくなる不思議な作品なのだ。

世界を動かすのは個人か、それとも社会か!?

「ダーウィンクラブ」という組織が世界を巻き込む犯罪を犯し、自分の父親も彼らに殺されていた事実にたどり着いた石井(主人公)は、ダーウィンクラブに潜入することで組織の全貌を暴き、父親殺しの犯人に復讐することを誓う。

 外から見ると正しいことをしているようにしか見えなかった組織は、内部に潜入することで徐々に異常さが明かされていく。全てがダーウィンの進化論をなぞり、彼らが生物として存続し繁栄していくためのセオリーを愚直に実行していることが分かる。

 個人の自由が保障された現代社会において、外圧で自身の身の振り方を決めないといけない人々は減ったはずだ。やるもやらないも個人の選択が優先されるのであれば、自己の利益度外視で組織のために動き、殺人まで犯してしまうようなテロリズム的な思想を多人数にインストールするのは一見不可能に思える。しかし、それは思い込みかもしれない。思想がコントロールされた結果、元来はテロリスト的な思想を持たない人々が大小様々な罪を犯している例は多々あるのではないだろうか。

 この作品では、「ダーウィンクラブ」という特定の社会でのみ有効なルールや慣習が、多くの人々を従わせ世界をも動かしている様子が描かれている。犯罪が犯罪を呼び、連鎖のように繋がっていく様は、無秩序に見えて必然性を帯びている。多様な現代社会は、時に狂気すら感じるマイノリティを容認し育てているのだ。

生殖、そして淘汰までもルールに組み込まれた最強組織

”大切なのは生殖と淘汰でしょ
一番難しい条件は子どもを5人以上産むか・・・クラブのために人を一人殺すこと” ダーウィンクラブ 第4巻 第37話より引用

 自分の遺伝子を残し繁栄させるためには子孫を残すこと、そして適応できなくなった個体は淘汰し、表舞台から強制的に退場させること。現代社会において生殖と淘汰まで社会のルールは届かないように思えるが、意外と簡単に生殖はコントロールできてしまう。しかし、淘汰はどうだろうか。

 作中では2種類の淘汰が存在する。一つは殺人、そしてもう一つは「知」を奪うこと。どちらもクラブの中では合法だ。クラブはとてつもない資金力と影響力を持った巨大組織。このクラブの内情を知り罪を暴くには、石井や元同僚の警察組織はあまりにも脆弱だ。パワーバランスが取れていない攻守の攻防がどのように展開していくのかもこの作品の密かな見どころではないだろうか。

ダーウィンが定義した生物の「社会」はどこにたどり着くのか

「社会」と一言に言っても、人間が形成する社会は多種多様で他の生物には無い特徴がある。人種や宗教といった人間独自の文化を形成し、ルールや習慣によって秩序ある社会を形成してきた。また個別に設定された小さな社会のルールや習慣に従うことで、より効果的に協力し生き残ってきた側面がある。

 か弱く、自然界においては非力な人間が過酷な環境下でも生き残れた理由の殆どは、ダーウィンの進化論で定義された生物が持つ生存本能と、自然淘汰の仕組み、環境に適応するというルールで説明できてしまう。しかし、自然界のセオリーを無視できる「資産」を個人がコントロールできることになったことで自然の摂理はより複雑になった。この作品のゴールはどこにあるのか。

 経済圏の形成や文化の伝承、犯罪者的思想に至るまで、複雑に絡み合う「社会」が、この作品において、どんな意味を持つのかを怖いもの見たさでじっくりと追いたいと思う。

執筆:ネゴト / そふえ

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