子育ての正解は子どもが一番知っている。「すべき」から解放され、子ども目線で考えるようになる育児エッセイ

出産・子育て

公開日:2023/6/16

ママはキミと一緒にオトナになる
ママはキミと一緒にオトナになる』(佐藤友美/小学館)

 私には、二人の息子がいる。長男は中学3年、次男は小学2年生になった。彼らが幼い時分、手に取った育児本や育児エッセイは、ほんの僅かだった。なぜなら、私にとってそれらは、“怖いもの”だったから。

 母親たるもの◯◯すべき。こうあるべき。こうしてはいけない。こうしないとちゃんと育たない。

 そういう文言がびっしり詰まった育児本が、出産祝いと共に実母から送られてきた。それ以来、私の中でこの類の本は、“怖いもの”に定義された。しかし、先日友人が送ってくれた佐藤友美氏の新著『ママはキミと一緒にオトナになる』(小学館)を読み、私は自身の思い込みを心底恥じた。長男が幼い頃、こんな育児エッセイに出会えていたら、どれほど心が楽になっただろう。しかし、同時にこうも思った。今、このタイミングで読めたことにも、きっと意味はあるのだ、と。

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 著者は、『書く仕事がしたい』(CCCメディアハウス)などの著書でも広く知られる、ライター/コラムニストである。そんな著者が本書で綴るエピソードは、他愛ない日常の中の、ありふれた出来事が多い。忙しさにかまけて聞き流してしまいがちな、ほんの些細な一言。我が子との小さな小競り合いや、そのあとに訪れる静かな和解。そういった日々のあれこれは、大抵の場合、“取るに足らないもの”として扱われがちだ。しかし、著者は違う。むしろ、そういう一瞬こそを大切にしたいという気持ちが、全編を通して滲み出ている。コロナ禍の情勢を交えながら、息子氏が小学3年生から5年生になるまでの記録が誠実な筆致で綴られている本書は、読後、深い安堵感を与えてくれる。

 特に心に残ったエピソードは、「自分のためにする、ということ」の章だった。ある日、著者は息子氏に自分のワンピース姿の感想を尋ねる。そこで息子氏は、「すごくいいと思うよ」と答えたあと、こう問い返す。

“「ママは自分でどう思うの?」”

 そこで著者が、自分もそのワンピースを気に入っていることを伝えると、息子氏は笑顔でこう答えたという。

“「自分が気に入っているのが、一番大事だと思う。人がどう思うかは、相手次第でわからないからさ」”

 心底、その通りだと思った。その後、著者は「出産や子育てをめぐるシーンにおいて、多くの『すべき』が満ちていた」現実に思いを馳せる。そこに綴られていた内容は、まさしく私が「育児本は怖いもの」と思い込む要因となったあれこれと通ずるものがあった。

 多くの人が、「子どものためには◯◯すべき」だと語る。それは時に専門家であったり、家族であったり、ママ友であったり、見知らぬ誰かだったりする。大抵が親切心で言ってくれているのだと、頭では理解している。しかし、そうしたくてもできない事情があったり、その考えに自分が賛同できなかったり、子どもの特性上難しい場合があったりと、子育てに関する環境や考えは十人十色だ。それなのに、「すべき」という3文字は、他の選択肢をいとも簡単に除外してしまう。

 著者は、他者が決めた方針ではなく、「自分(たち)のため」にどうしたいかを優先しようと早い段階で決意した。その裏側には、こんな疑問符があった。

“「子どものためになった」かどうかなんて、誰が判断できるんだろうか。”

 今現在、子どもが笑っていれば正解なのか。10年後に子どもが幸せに過ごしていれば「子どものためだった」ことになるのか。私個人としては、それを決められるのは「子ども本人」以外にいないのではないかと思っている。

 著者は、広い視野を持ち、多くの人の言葉に耳を傾けながら毎日を過ごしている。しかし、子育てに関しては、「まずは息子氏の声を聴く」ことに重きを置いているのだと、本書を読んで感じた。何よりも、あらゆる言葉の端々から、著者の息子氏に対する「好き」がこぼれていた。「大切」が、隠しようのないくらいに、ぽろぽろとこぼれていた。その想いが、とてもきれいだと思った。

 私は現在、様々な事情から息子たちと離れて暮らしている。それでも、月に数回は会えている。彼らに伝えたいことが、本書を読んでより明確になった。子育てにおける「すべき」が一度も出てこない、結論を簡単に言い切らない本書のおかげで、私は、一番大切なことを思い出せた。

「自分(たち)のため」に。その軸を忘れず、これからも息子たちとの時間を積み重ねていきたい。彼らの声を聴き、彼らの心を見つめ、私の心も正直に伝え続けたい。それだけでいいのだと、素直に思えた。私にとって「育児本」は、もう“怖いもの”ではない。

文=碧月はる

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