見えない、聞こえない、話せない、の三重障害の女性を地下から救え!救助災害ドローンを操って困難に立ち向かう災害救助小説『アリアドネの声』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/14

アリアドネの声
アリアドネの声』(井上真偽/幻冬舎)

 井上真偽氏の『アリアドネの声』(幻冬舎)は、その設定からして興味を掻き立てる小説だ。舞台は近未来的な地下都市。そこで巨大地震が発生し、見えない、聞こえない、話せない、の三重障害を抱える女性、中川博美が地下施設に取り残された。消防隊らが彼女をドローンで誘導して避難させようとするも、音も光も届かない地下への救助は難航する。運命はドローンを操る青年の指先に託された――。これがおおまかなあらすじである。

 率先して救助にあたるのは、訳あって救助災害ドローンの製作会社に在籍するハルオ。この「訳あって」という部分はのちに開示されるのだが、ここでは詳述を避けよう。ハルオは仕事でたまたま訪れた地下都市で、巨大地震に遭遇。ドローンを操る技術を買われ、救助の最前線で奮闘する。

 救助の描写が終始スリリングだ。中川の救助は、文字通り何度も何度も困難にぶちあたるが、その都度、救命チームが思いも寄らぬ妙案を思いつく。一進一退の攻防の中、ハルオは身体に不調をきたしながらも、必死でドローンを操る。満身創痍で難題に立ち向かう彼の姿に胸を打たれる人も多いのではないか。

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 浸水と崩壊によって救助隊が地下に侵入するのは不可能。6時間後には安全なシェルターへの避難も断たれてしまう。ハルオたちはあらゆる手段を用いて、障害者である中川との意思疎通を図り、安全な場所へと着々と誘導していく。香水やロープによる誘導が成功する場面など、ディティールの書き込みは実に巧みだ。

 ハルオは事故で亡くなった兄の口癖だった「無理だと思ったらそこが限界」という言葉に勇気づけられ、難易度の高い救助にあたる。兄の言葉は途中から異なる意味を持ち始めるのだが、それもまた伏線の一部となっている。

 また、ハルオは学生時代の同級生だった韮沢と地下都市で出会う。韮沢の妹の碧は交通事故に遭い、その時のショックによってある障害を背負っている。その妹も実は地震によって行方不明になっているのだが、諸事情によって中川の救命が優先される。彼女とその妹がキーパーソンだった、というのは終盤になって明らかにされることだ。

 なんだかもったいぶっていると思われるかもしれないが、本書の全貌が明らかになるのは、298頁中、最後の3頁において、である。そして、多くの読者が待った甲斐があったと溜飲を下げるに違いない。このラストの3頁のために、295頁が必要だった。そう言うこともできるだろう。これもあれも伏線だったのか、と振り返りながら、カタルシスを得る読者も多いはずだ。

 ただ、最後の3頁までの間を持たせるのは、著者である井上真偽氏の抜きんでた筆力ゆえだろう。井上氏は2014年、『恋と禁忌の述語論理』で講談社が主催する第51回メフィスト賞を受賞して以降、定期的に良作を上梓してきた。本書は、そんな彼にとってターニング・ポイントになるのは間違いない。本書を書き上げたことで、また新たなフェイズに足を踏み入れたとも言えるのではないか。

 なお、ミステリに目覚めてからは、島田荘司氏『斜め屋敷の犯罪』や綾辻行人氏『十角館の殺人』に大きな衝撃と影響を受けたという井上氏。1年ごとに発刊される『このミステリーがすごい!』『ミステリが読みたい!』ではランキング上位に入るだろう。井上真偽、あらためて、余人をもって代えがたい小説家だと実感した。

文=土佐有明

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