亀梨和也×三池崇史監督で映画化。サイコパスの弁護士と、頭を割って脳を盗む「脳泥棒」が殺し合うサイコ・スリラー小説

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/12/5

怪物の木こり
怪物の木こり』(倉井眉介/宝島社)

 サイコパスの弁護士と、頭を割って脳を盗む「脳泥棒」が殺し合う……。第十七回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した、倉井眉介『怪物の木こり』(宝島社)。自分は怪物なのか? 人とは何か? 善悪がゆらいでいく主人公に「泣ける!」との声もあがったサイコ・スリラーである。バイオレンスの巨匠と謳われている三池崇史監督によって制作された映画が2023年12月1日より公開されている。主人公であるサイコパスの弁護士、二宮彰を演じるのは亀梨和也だ。

 プロローグの一文目はこうだ。

針葉樹の森を抜けると、庭を囲む柵の向こうに魔女の館が見えてきた。

 魔女。ファンタジー小説だったか、と読み進めていくと、魔女=東間翠の館からは四人の幼児が保護され、裏庭からは十五体の小さな遺体が発見された。「静岡児童連続誘拐殺人事件」である。二宮の物語はその二十六年後に始まる。

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 二宮の「サイコパス」な理由は、自分に都合の悪い人間を安易に殺してしまうことだ。ある日いつものように殺人を終えた二宮は、怪物のマスクをした人物に斧で襲われる。脳泥棒である。九死に一生を得るが、その後二宮のサイコパスな精神は少しずつ変わっていってしまう。そして犯人への殺意も深まり、自分を殺そうとした脳泥棒を追うことになる。〈あいつは必ず俺の手で殺してやる。〉……。

 二宮の、自身の快楽のためにもしているような殺人場面、脳泥棒が行う「頭蓋骨を割り、脳を根刮ぎ持ち帰る」という凄惨な殺人現場。まさにバイオレンスと言っていい場面が続くが、書きぶりが淡々としており、手を止めずに読めてしまう。登場人物が激高したり、悲しみに暮れたりする記述があっても、過度に感情移入せずに「本筋」に集中できるのだ。読者が行うのは「誰が脳泥棒なのか」という推理だけではない。二宮の(ここには書かないが、ある重要な理由によって)壊れていく精神はどうなってしまうのかという興味も含まれているのだ。

 話は変わって、「ノックスの十戒」をご存じだろうか。イギリスの推理作家、ロナルド・ノックスが1928年に発表したミステリーの大原則である。ふたつだけご紹介する。

(1)犯人は物語の序盤に登場していなければならない。
(2)探偵方法に超自然能力を用いてはならない。

 この大原則は『怪物の木こり』にも通用する。つまり、二宮彰が追う「脳泥棒」は、物語の序盤に登場している。本書にはたくさんの「人間としての精神を保っているように見える」人物が、入れ替わり立ち替わり登場する。二宮の友人である脳外科医、二宮の婚約者、「静岡児童連続誘拐殺人事件」で生き残った四人の人間、脳泥棒の捜査をする警察官たち……。すべての人間が「脳泥棒」の可能性がある。序盤から集中し、決して読み飛ばさず、ラストまで物語の結末を見守ってほしい。

文=高松霞

「怪物の木こり」映画情報はこちら
https://wwws.warnerbros.co.jp/kaibutsunokikorijp/


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