「「「「「「「「蚊」」」」」」」」で完結する実験的な川柳。多様&自由すぎる「現代川柳」を紹介するアンソロジー

文芸・カルチャー

更新日:2024/2/1

はじめまして現代川柳
はじめまして現代川柳』(小池正博:編/書肆侃侃房)

 一般的に「川柳」と聞いて、思い浮かべるのは「シルバー川柳」や「サラリーマン川柳」、もしくは「新聞川柳」だろうと思う。本稿でご紹介する「現代川柳」はそれらとは(隣り合わせだが、しかし)異なった文芸である。現代川柳の作者35人の作品を収録し、現代川柳とは何かを解説したアンソロジー『はじめまして現代川柳』(小池正博:編/書肆侃侃房)は、2020年に出版されたちまち重版。昨今の短歌ブームの後押しもあってか、現代川柳に注目が集まっている。

 本書は四章に分かれており、第一章と第二章は現代川柳を牽引してきた作者の作品が取り上げられている。第一章は「現代川柳の諸相」である。

妖精は酢豚に似ている絶対似ている(石田柊馬/1941~)

 似ているかもしれない、ではなく、似ているのだ。それも絶対に。編者の小池正博は解説で「『絶対』と言い切るのは『押し付け』であり『あつかましさ』であるが、ここに『断定の形式』としての川柳の形式が顕著に表れている」と書く。

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鏡から花粉まみれの父帰る(石部明/1939~2012)

 石部が書くのは「異界」である。どこかに出ていき、帰ってくる。それは死も連想される物語だ。石部には『遊魔系』というタイトルの句集がある。どことなく甘美な気配もする死の世界を、石部は作り出していた。

 第二章は「現代川柳の展開」である。諸相からの展開。ベテランとしてリーダーシップを発揮した作家たちだ。また、今も第一線で活躍している作家もいる。読んでいこう。

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ(なかはられいこ/1955~)

 2001年、アメリカ同時多発テロを詠んだ句である。なかはらの句は、たとえ悲壮的な場面を詠んでいても、どことなく「では、どう川柳に落とし込むか」を手繰り寄せている感じがする。

どうしても椅子が足りないのだ諸君(筒井祥文/1952~2019)

 急に呼びかけられた。「あなた」でもなく「みんな」でもなく「諸君」である。現代川柳の観客席に座っている我々と作者を、筒井は「諸君」という語で軽々と結んでみせる。

 第三章「現代川柳の源流」。第一章、第二章を遡り、戦前から戦後まもなくの作家たちが取り上げられている。

元日————暮る(木村半文銭/1889~1953)

 高浜虚子に〈去年今年貫く棒の如きもの〉という句がある。どうも年末年始は棒が貫くような気配がするらしい。小池は解説で「一見すると表現の放棄とも受け取れるが、言葉をそぎ落とした果てにたどりついたのがこの表現なのだろう」と書いている。

人殺しして来て細い糞をする(中村冨二/1912~1980)

 冨二の発言で有名なものがある。「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」。作家の精神が技術を作るのだ。冨二の精神性がこもった句は他にもある。〈美少年 ゼリーのように裸だね〉〈やまなみはつんつん、恋に觸れられぬ〉

 第四章「ポスト現代川柳」。これからの活躍が期待される、新世代の作家たちの出現である。

Re:がつづく奥に埋もれている遺体(飯島章友/1971~)

 メールのタイトルである。ある人とのメールの往復がつづく。Re:Re:Re:…過去のメールは埋もれてしまった遺体のようだ。

「「「「「「「「蚊」」」」」」」」(川合大祐/1974~)

 川合は非常に多作な作家で、実験的な句も多く作る。〈ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む〉言葉ではないような言葉を読み込み、川柳の世界で読者を翻弄するのだ。

いけにえにフリルがあって恥ずかしい(暮田真名/1997~)

 本書『はじめまして現代川柳』の中で、最も若い作家である。いけにえだから危機的状況にあるはずだが、暮田はユーモアと可愛らしさを失わない。

ものすごい◯が視界を横切って(柳本々々/1982~)

 小池も解説で「ものすごい◯って何だろう」と書いている。何だろう。それはおそらく作者もわかっていない。作者と読者が一緒に「ものすごい◯って何でしょうね」と考える。

 ここまで、アンソロジー『はじめまして現代川柳』の、ごく一部の作者と句をご紹介してきた。「現代川柳」の世界の多様さが少しでもお伝えできていると嬉しい。また、特に主要な作家と句を挙げるようにしたつもりだが、筆者の好みが出ているに違いない。ぜひ本書を手に取り、あなた好みの川柳作家と出会ってほしい。

文=高松霞

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