大谷翔平が考える【バッター】の定義は? タモリや美輪明宏からカフカまで、著名人が唱える様々な「定義」が面白い

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/17

定義
定義』(齋藤 孝/筑摩書房)

「定義」と聞くと、アカデミックな印象をもつ人が多いかもしれない。しかしながら、齋藤孝氏の新著によると、私たちの生き方や人生に密着したもっと身近なものらしいのだ。

定義』(齋藤 孝/筑摩書房)は、たくさんの「定義」を並べた一冊。本書は、定義するという「定義力」について、「勇気ある知性」と言い換えてもよいと述べている。つまり、定義の内容はその人の思考や認識の到達点とイコールだが、物事のある部分を切り取って「これはこうである」と提案するには勇気がいる。本人にとっては自分の世界観の表れではあるものの、他者にとっては「いや、それは違う」ということもあり、十人いれば十通りの定義があっていいはずだからだ。それにもかかわらず定義しようとする強い意志をもって提案する勇気と、定義するまでに至る知性の研鑽は、私たちが生きていく上でもたいへん役立つと本書は語っている。

 とはいえ、読みやすさで定評のある氏の著。辞書に載っているようないわゆる「普通の定義」集ではないから安心してもらいたい。本書は、「普通とはちょっと違うもの」を集めている。具体的には、私たちが知っている古今東西の偉人や著名人の定義を数多く、テーマも多彩に取り揃えているのだ。

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 例えば、「本」の定義として本書が最初に紹介しているのは、カフカの「斧である」という定義。名著『変身』を執筆したカフカは、『オスカー・ポラックへの手紙』の中で、

【本】
本は、私たちの中にある
凍りついた海を割る斧でなければならない。

 と記しているそうだ。本に対する、美しくも謎めいた定義である。本書は、この定義を次のように解説している。本は私たちの心の中にある凍りついた海、つまり無意識の世界のようなものをかち割って、吹き出させる斧である、と。芸術は常識を叩き割る斧であり、本もまた今まで自分が気付かなかった世界を、頭の中に吹き出させてくれる存在である。そう捉えてみると、本は私たちが考えるよりエネルギッシュなものであり、読書は非常に動的な行為に思えるだろうか。ちなみに、本書の1ページ前には、『方法序説』で有名なデカルトによる「読書」の定義が紹介されている。

【読書】
あらゆる良書を読むことは、
過去の時代にその著者であった、
最も教養ある人たちと
会話をするようなものである。

 こう捉えると、どこか緊張感が湧いてくるような気もする。本書いわく、本には一冊ごとに書いた人の人格があるため、本を踏んではいけない。

 このように、定義からはその人の一面あるいは大部分が見えてくるようで面白い。勝手なチョイスで甚だ恐縮だが、本書の定義から、私たちがよく知るであろう存命の一部著名人による定義を、次に挙げてみたい。

【女性】
女性は総合芸術である。
(美輪明宏)

【芸人】
笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ。
(ビートたけし『浅草キッド』)

【好き】
「後ろ姿」をいいなあと思えたら、
それは好きだっていうことだと思います。
(糸井重里『ボールのようなことば。』)

【教養】
教養なんて大人のおもちゃなんだから、
あれば遊びが増えるだけの話。
(タモリ)

【バッター】
自分が打てるボールを選択して振る。
シンプルですけど、なかなかできないことを
一年間継続するのがバッターなので。
(大谷翔平)

 本書は、収録したまばゆくきらめく定義の数々に刺激を受けた読者が、自分なりの定義ができるところまで思考を到達させることを願っている。

文=ルートつつみ@root223

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