標的は広辞苑? 「本屋襲撃」に隠された悲しい過去の物語――伊坂幸太郎の代表作『アヒルと鴨のコインロッカー』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/28

『アヒルと鴨のコインロッカー』(伊坂幸太郎/東京創元社)

「地上からわずか何センチか浮いているような物語を書ければいいんです」。伊坂幸太郎氏は『このミステリーがすごい! 2004年版』所蔵のインタビューでそう語ったが、それはまさに彼の作風を表した言葉といえるだろう。特に、彼の代表作ともいえる『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)は、まさに「地上からわずか何センチか浮いているような物語」。濱田岳瑛太主演で映画化されたことでも知られるこの作品は、日常のありえそうであり得ない絶妙な不思議さを、苦々しい現実感はそのままにコミカルに描き出した青春ミステリーだ。

 主人公は、大学入学直前の椎名。引っ越してきたアパートで出会ったのは、長身の青年・河崎だった。初対面だというのに、河崎は椎名に対しいきなり、本屋を襲撃する計画を持ちかけてくる。おまけに彼の標的は、たった1冊の広辞苑。同じアパートに住むブータン人にどうしてもその本屋から奪った広辞苑をプレゼントしたいのだという。意味不明な強盗計画に加担するつもりなどなかったのに、河崎の勢いに押されて、事件当夜、モデルガンを手に書店の裏口を見張ることになった椎名。無事(?)計画を成し遂げた後、出会った、ペットショップの店長・麗子は過去におきたある事件をほのめかす。それは、河崎とブータン人・ドルジ、そして、その恋人の琴美の身におきた事件…。彼らには一体何があったのか。その出来事が本屋襲撃とどう結びつくというのだろうか。

 この物語は、椎名が語る現在と、琴美が語る2年前とが、並行して進んでいく。この本を読み始めたばかりでは、2年前の事件と現在の不可解な本屋襲撃が一体どのように絡み合っていくのか、想像だにできない。しかし、それらは次第に確かにつながっていく。伊坂ミステリーならではの、伏線回収に驚愕。本屋襲撃の裏に隠されたまさかの真相に誰もが度肝を抜かれることだろう。

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 辛い過去の記憶を抱えた人々の姿は切なさを誘う。伊坂幸太郎は、『重力ピエロ』(新潮社)の中で「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」という台詞を描き出したが、この物語でも、深刻なことが軽快に語られていく。登場人物たちの会話が小気味良い程、真相に隠された過去の記憶のうら悲しさは際立つ。それは、物語の肝ともなる、ボブ・ディランの歌声のように、哀愁を漂わせながら、じんわりと私たちの心に染み渡っていく。

神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいい

 ブータンの信仰や生まれ変わりの概念がいいスパイスになって物語を盛り立てる。外国人と日本人。人間と動物。この物語の果てにアナタは何を思うのだろうか。ほろ苦さたっぷりの青春ミステリーは、うまくいかない現実を生きるすべての人に読んでほしい1冊だ。

文=アサトーミナミ