「性的同意」が認知されると困る大人がいる!? タブーだらけの日本の性教育

社会

公開日:2018/4/21

 先日、東京都足立区の区立中学で「性交」「避妊」「人工妊娠中絶」という語を用いながら望まない妊娠を防ぐ方法を指導する性教育の授業が行われたのに対し、都議会文教委員会から不適切だと指導が入ったという報道がありました。

 SNSでもさまざまな意見が飛び交いました。筆者のタイムラインには、日本の性教育の絶望的な遅れを嘆き、これでは子どもの性の健康も安全も守れないと危惧する声が並びました。現状の性教育を善しとする人はまずいません。

 日本は性教育後進国で、そのことが子どもたちに多大なデメリットをもたらしています。それなのに、いまだこんなバックラッシュが起きるとは、もしや性教育が遅れたままでいることでメリットを得る大人がいるのでは?とうがった見方をしたくもなります。

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 そうした人たちがいると仮定して、それはどんなメリットなのかを想像してみました。もちろん方針や教科書などを抜本的に見直すとなると莫大なコストがかかるため、現状を維持することが財政的なメリットとなるという考えもあるでしょうが、今回は“性”に関する内容にしぼります。

コンドームやピルなどの避妊具が無料のイギリス。なぜ日本の性教育は不十分なのか?

■セックスについて教えないことで、若者の性の乱れを防げる

 ここでいう性の乱れとは「低年齢化」「複数の相手との性交」「10代での妊娠」あたりでしょう。先述した中学では「思いがけない妊娠をしないためには、産み育てられる状況になるまで性交を避けること」と明言し、避妊法について解説したそうです。やみくもに「中高生はセックス厳禁!」「相手が複数など言語道断!!」というのと、「なぜ、いまセックスしないほうがいいのか」「避妊具なしだとどんなことが起きうるか」を伝えるのとでは、どちらが子どもたちの理解を得やすいかは明白です。

セックスと恋愛の経済学』(東洋経済新報社)によると、カナダで14歳の中学生を対象に「学校にコンドームを置いて自由に持っていけるようにしたら、生徒の性行動は変わるか」と実験したところ、生徒間での性交渉や望まない妊娠が減ったという結果が紹介されています。日本のように子どもたちが知識不足の状態で同じことはできませんが、教えないことがいい結果をもたらすかどうかを考えるヒントにはなりそうです。

■自分のセックス観を保持できる

 学校における性教育で「性交」「セックス」という語を使えないのは、「いやらしい」「卑猥だ」とみなしているからでしょう。性を健康や生き方、コミュニケーションと捉えることができない人たちです。

 参議院議員の山谷えり子氏がかつて、「蝶が飛んでいる姿、きれいに咲く花を見て子どもは命の尊さを学ぶ」「だから性教育は不要」「セックスは結婚してから」といった主旨の発言をしたのは有名です。氏の脳内こそお花畑だと感じる逸話ですが、影響力のある人だけに一定の支持を得ているのがおそろしい。自身の狭い価値観(氏のそれは妄想といっていい領域)だけを重んじ、生きていくのに必要な知識を「過激」と断じて子どもたちに与えないことで、これまでどれだけの悲劇が起きたでしょう。

■「性的同意」が広まらないほうが都合がいい

 性教育で教えられるべき大事なことは数ありますが、なかでも「性的同意」は必須です。同意のない性行為はすべて性暴力。「イヤよイヤよ」は好きの意思表示ではなく不同意であり、無理に性的接触、性交をすればそれは暴力です。

 これが周知されると、居心地の悪さを感じる大人もいるわけです。「イヤよイヤよ」を押し切ったことを思い出し、これまでのセックスが本当に同意があったものなのか不安になる……。自分がしていたのはセックスではなく暴力だったのではないか、と顧みるのは決して楽しい作業ではないでしょう。大人から子どもまで性的同意についての認知が低い現状では、そういう人たちは後ろめたい思いをせずに済みます。

 日本の刑法では、性交同意年齢が13歳以上と定められています。13歳になればセックスの同意が「できる」という意味で、これは諸外国とくらべて低年齢です。セックスが何か、同意が何かを教えられていない子どもが大人に言いくるめられて性交しても「激しい暴行を受けたり脅されていたわけでもないし、不同意を示してもいない」=「同意していた」とみなされ、大人はいくらでも言い逃れできてしまうのです。

 ここまで見てきたなかで、性教育のレベルを低水準に留めておくことに「子どもにとってのメリット」はまったくありませんでした。

 足立区の教育委員会は先の指導に対し「不適切だとは思っていない」と主張していますし、ネット上でもこれを機に性教育の指導要領見直しを訴える署名活動が起きています。自分たちの歪んだメリットに固執する大人でなく、子ども自身の声、子どもの健康と安全を本気で考える大人の声が大きくなることを祈ります。

文=citrus 三浦ゆえ