舞浜駅が「ディズニーランド駅」にならなかった理由とは?

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公開日:2018/5/23

『鉄道「裏歴史」読本 誰も書けなかった「あの車両」「あの路線」の謎』(イースト・プレス/小川裕夫)

 通勤のために使う電車や旅行目的で乗る電車などなど、電車は私たちの生活に欠かせない存在ですよね。日本全国を走るJRや私鉄、都営線にはその路線や駅の数だけ物語があり、なかには闇に葬られた「裏歴史」も数多く存在しているとか。

 『鉄道「裏歴史」読本 誰も書けなかった「あの車両」「あの路線」の謎』(イースト・プレス/小川裕夫)は、その名にある通り、さまざまな「裏歴史」が綴られています。そんな「裏歴史」のなかから、今年35周年を迎えたあのテーマパークに関わるエピソードをピックアップしました。

■舞浜駅があの駅名にならなかったワケ

 テーマパークや遊園地の最寄り駅は、そのテーマパークの名前がそのまま使われることが多いですよね。「富士急ハイランド」最寄りの「富士急ハイランド駅」や、長崎県佐世保市にある「ハウステンボス」の「ハウステンボス駅」など、ひと目で最寄り駅とわかる名前をつけるケースがほとんど。

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 来場者が多い人気遊園地ならば、なおさら遊園地名を最寄り駅の命名しそうなものですが、日本一有名なテーマパーク・東京ディズニーランドの最寄り駅の名前は皆さんご存じの「舞浜駅」。利用客のなかには「なんでディズニーランド駅じゃないんだろう」と疑問に思った経験がある人もいるのではないでしょうか。

 しかも、東京ディズニーランドの開園は1983年で、駅の開業は5年後の1988年。駅の方が先にあったならともかく、東京ディズニーランドのほうが先にあれば、駅名にしてもおかしくありません。

「じつをいうと、仮称・西浦安駅(現舞浜駅)は舞浜駅ではなくディズニーランド駅になることがほぼ決定していた。(中略)国鉄も東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドも、『ディズニーランド駅』という駅名を了承していたという」

 経営側もGOを出していた「ディズニーランド駅」。この計画に「待った」をかけたのは、ほかでもないウォルト・ディズニー・プロダクション(現・ウォルト・ディズニー・カンパニー)だったそうです。その反対の理由とは?

「ディズニーランド駅が開業してしまうと、近隣にオープンする店の名前は『◯◯ディズニーランド駅前店』となる。安易にディズニーランドの名前が氾濫するのはブランドイメージとしてマイナスになりかねないと主張したのだ」

 舞浜駅といえば降り立った瞬間から夢の国、というイメージがありますが、一歩外に出れば人々の生活圏が広がっています。もし、ディズニーランド駅が開業して駅周辺に「パチンコ店」や「キャバクラ」が開店したら、それも「ディズニーランド駅前店」になる可能性が高い、というウォルト・ディズニー・プロダクションの危惧によって、結局ディズニーランド駅計画は実現しませんでした。

 ブランドイメージ戦略に強いこだわりを持つディズニーらしいエピソード……なのですが、浦安市の「市史」には、この駅名騒動について一切記載されていないのだとか。

 著者の小川氏は、舞浜の駅名決定の経緯が公にならない理由を「浦安市側の“過剰な配慮”、いわゆる忖度だろう」と指摘しています。莫大な経済効果を持つ、ディズニーのご機嫌をうかがった結果、市史から「ディズニーランド駅」の記載がすべてカットされてしまったようです。駅名がひとつ決まるのにも、さまざまな思惑が渦巻いているんですね。

 そのほかにも、同書には西武鉄道がかつて排泄物を運ぶ「糞尿列車」として運行していた理由や、明治時代に立ち上がった「新幹線計画」など、鉄道にまつわるさまざまな裏歴史が綴られています。電車旅のお供にオススメの一冊です。

文=フクロウたろう

 5月26日に発売される『世界のディズニーパーク絵地図 夢の国をつくるための地図と原画』(玄光社)も要チェック! 1955年にオープンした最初のディズニーランド・パーク(カリフォルニア)から上海ディズニーランドまで、オープン当時の地図や改築後の地図だけでなく、開発計画の最初の段階に描かれたとされるラフスケッチなども掲載。貴重な1冊となっている。