ゲームと共に歩み続けた「高橋名人」の35年。小型トラック3台分のバレンタインチョコはまるでアイドル!?

エンタメ

2018/8/18

『高橋名人のゲーム35年史』(高橋名人/ポプラ社)

 1983年に任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(以下「ファミコン」)が発売されてから、はや35年となる。多くの名作ゲームが制作され語り草となってきたが、ファミコンが生み出したのはゲームだけではない。専門雑誌や周辺機器など多岐にわたるが、中でも特に注目したいのはゲームをプレイするのがうまい人──いわゆる「名人」の存在だ。そしてその元祖にして、おそらく最も知名度が高いのが「高橋名人」であろう。『高橋名人のゲーム35年史』(高橋名人/ポプラ社)では、高橋名人がどのようにして生まれたか、どのような活動をしていたかなどが本人自らによって明かされている。

 高橋名人がソフトメーカー「ハドソン」に入社したのはファミコンが発売される前の1982年。そう、決してファミコンありきのことではなかったのだ。ファミコン発売後、たまたまハドソンの宣伝部でファミコン担当だった高橋氏が自社のソフトを宣伝するため雑誌社を回っていたとき、小学館の『コロコロコミック』の反応がよく、後に「コロコロまんがまつり」というイベントに参加することになる。彼は1時間のステージを担当するが、その際『コロコロ』に掲載された予告記事に「ファミコンの名人来たる!」の文字が! さらに高橋氏はイベント時に、ボタンを見ずにパスワードを打つという離れ業をやってのけ、キッズから喝采を浴びる。これをきっかけにハドソンは全国でゲーム大会を開催する全国キャラバンを実施。その時にインストラクターとなる彼の呼び名が「高橋名人」と決まったのだ。最初から「ゲーム名人」というよりは、イベントからの流れでそうなったというのは意外であった。

 その後、ファミコンブームと共に代名詞である「16連射」を引っ提げた高橋名人は一気に「時の人」となっていく。テレビのレギュラー番組も持ち、名人を題材にしたゲームや漫画、アニメも作られた。さらには「毛利名人」との対決を描いた映画に出演し、レコードまで発売するという、まるで芸能人のような活動ぶりだ。また本書には、バレンタインチョコが小型トラック約3台分も届いたことや、会社で見知らぬ女性に求婚されたことなど驚きのエピソードも。この時期の名人はまさしく「アイドル」だったのだ。

 本書はファミコン世代であれば、当時を懐かしく思い返せるはず。それだけでなく「真夜中のゲーム大会」など高橋名人の現在の活動を知れば、きっと興味も湧くだろう。「ファミコンミニ」の発売やアニメ『ハイスコアガール』の放送など、レトロゲームが盛り上がりを見せている昨今。高橋名人は35年経った今でも「名人」として、ゲームと共に歩み続けているのである。

文=木谷誠