「私って偽善者…? 」気にしちゃってるあなたをさらに考え込ませる「偽善トリセツ」

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公開日:2019/1/31

『偽善のトリセツ 反倫理学講座』(パオロ・マッツァリーノ/河出書房新社)

「本心からではなく、うわべをつくろって行う善行」―“偽善”という言葉は辞書にそう定義されている。しかし、実生活の中での偽善の定義はあやふやだ。なぜなら、当人が人のためや世のために善行をしていても、第三者から「偽善者」だと指を差されることがあるからだ。

 その逆も然りで、周りからどれだけ善人だと思われていても、当の本人が自分のことを偽善者だと思っていたら、行っていることは偽善になってしまう。そう考え始めると、果たして“偽善”とは一体何なのだろうという疑問が湧いてくる。

 そんな疑問を徹底的に深掘りしてくれるのが『偽善のトリセツ 反倫理学講座』(パオロ・マッツァリーノ/河出書房新社)だ。偽善の本質や歴史をとことん追求した本書は一見、小難しそうに思えるかもしれない。しかし、3人の登場人物が口語体で会話する形で話が進んでいくため中高生でも読みやすく、痛快な著者の言葉に思わず笑いが出ることもある。

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「偽善はよいことではない」「偽善者呼ばわりされたくない」――そう思っている方こそ、偽善に対する考えが180度変わる1冊となっているのだ。

■世界初の偽善批判は誰がしたの?

 日本では、「偽善はよくないことだ」と考えている人が多いように思える。寄付をするときに匿名性が求められるのも、そうした“偽善批判の精神”があるからだ。では、こうした偽善批判は一体、いつ頃から行われるようになったのだろうか。

 著者によれば、世界で初めて偽善を批判したのは神の御子として知られているイエス・キリストであるという。それを裏付けてくれるのが、西暦100年頃までに書かれたとされているキリスト教の聖典『新約聖書』だ。『新約聖書』の中には、イエスの言葉として偽善や偽善者というワードが、なんと20回以上も登場する。

 ただし、『新約聖書』は弟子や信者たちが書いた文書を、イエスの死後に寄せ集めたものであるため、正確に言うと「歴史上で初めて偽善批判をしたのはイエスである…と弟子たちが述べているということになるのだという。

 ちなみに『新約聖書』を読み解いていくと、「マタイによる福音書」の中に書かれたイエスの言葉に最も多く“偽善者”というワードが出てくることが分かる。そのため、史上初“偽善”という言葉を使ったのは「マタイによる福音書」の著者であると考えることができるのだという。

 今や全世界で普通に使われている“偽善”という言葉。その歴史を突き詰めていくだけでも奥深さや新たな発見を得ることができ、より“偽善”に対しての興味が湧いてくるはずだ。

■「偽善=いけないこと」は間違い!?

 誠実で真面目な人ほど「偽善者になりたくない」という想いを抱く。さらに、自分の悪い面も全てさらけ出し自然体で生きていけば、偽善者にならないと考えるかもしれない。だが、自然体な姿で生きていけば人は本当に幸せになれるのだろうか。

 人は生きていく上でさまざまな仮面をつけている。例えば、友達や恋人の前で見せる顔と職場で見せる顔には違いがあるはずだ。私たちは目の前の相手やその場にふさわしい仮面をつけ、自分という人間を演じている。

 こうした仮面をつけるのは、いい人として見られたかったり好かれたかったりするからだ。そのため、自然体な自分を隠しながら仮面をつけ続けることは、偽善であるといえる。だが、「偽善はいけないこと」と考え、自然体で生きることが自分や周囲の幸せに繋がるとは言い切れない。

 例えば、「父親」という仮面が自分にとって偽善的に思えるからといって「父親」という役割を捨てて、自由に生きていたら家族はどう思うだろうか。きっと、偽善的でもいいから「いい父親」の仮面をつけていてほしいと思う人もいれば、偽善なら「父親」でいてくれなくてもいいと感じる人もいるはずだ。

 また、本人の立場に立ってみても、「いい父親」を演じ続けながら家族と暮らすことと、本当の自分をさらして自由に生きていくのでは、どちらが幸せなのだろうか。

 このように、偽善にはさまざまな人の想いやエゴ、願いが込められているケースがあるため、偽善者をやめることが必ずしもいいことであるとは言いがたい。偽善者は世間から責められる傾向にあるが、その偽善で他人や自分自身を救っていることは意外に多い。そう気づくと、偽善は一種の自己防衛や思いやりのようにも感じられ、「いけないことである」とは決めつけられなくなるだろう。

「善行と偽善の差はどこにあるのか」や「自分は偽善者なのでは…?」といった疑問は、生きていく上で一度は頭に浮かぶもの。そんな時こそ本書を読み、自分の中にある偽善的な感情とじっくり向き合ってみてはいかがだろうか。

文=古川諭香