その子、発達障害じゃありません!間違った理解・支援をやめ、今すぐ“奇跡の教育”を

出産・子育て

公開日:2019/3/6

『その子、発達障害ではありません』(韓昌完/さくら舎)

 発達障害について広く知られるようになったのは喜ばしいが、一方でそれが差別や誤解を生むこともあるようだ。一部の言葉や情報だけが独り歩きし、本来の意味とは違った形で知れ渡ってしまうこともある。

 このように情報が錯綜してしまうと、「わが子が発達障害ではないか?」と心配になる親が増えるのも頷ける。医療機関などで積極的に診断させたり、学校の先生や周囲の人に相談を重ねたりする人も多いだろう。

 けれども、そもそも人間の発達に標準はない。私たちは機械ではないからだ。特に発達のプロセスにいる子どもたちは、多様な発達の仕方をする。そんな子どもたちに、親や先生が「発達に障害がある」と決めつけることは、どれだけ理不尽なことだろう。

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『その子、発達障害ではありません』(韓昌完/さくら舎)では、琉球大学教育学部の韓昌完教授が、子どもを一概に「発達障害」を決めつけず、支援が必要な子どもへの正しい教育・支援方法を解説している。

■子どもたちが本当に必要とする支援を行う「IN-Child」という取り組み

 韓教授が本書で紹介するのは、「IN-Child」という取り組み。取り組みの対象は、学習上や生活上の困難があり、学校や家庭環境で「包括的教育を必要とする子」だ。

 いつの時代にも、クラスには「気がかりな子」がいた。忘れ物ばかりする子、すぐにカッとなって友達や先生とトラブルになる子、ずっとひとりぼっちでいる子。彼らは問題を抱えていて容易に対処できないので、先生も「気がかりな子」として手を焼いていた。最近では発達障害という言葉の登場によって、「この子はASD(=自閉症スペクトラム症)だ」「あの子はADHD(=注意欠如・多動症)かも」と簡単に決めつけができてしまう。

 けれども彼らが本当に必要としているのは、診断や決めつけではなく、正しい支援や教育だ。そこで、子どもたちが必要としている支援方法を見極め、彼らに合った対処を行うのが、「IN-Child」という取り組みである。

 本書は、教育アドバイザーとして現場で数々の子どもを見てきた韓教授が、学校の先生に向けて「学級経営」を上手に行う方法を解説している。親の立場からすると少し難しく、すべてを理解して実践するのは困難かもしれない。しかし、本書の「IN-Child HEROs」という章では、家庭でも実践できそうな子どもとの向き合い方が解説されている。この記事ではその事例を2つだけご紹介したい。

■考える時間をあげることで「自分の考えを表現できるマン」に成長!

 本書では実際にいた子どもたちを例題に挙げ、具体的な支援方法を解説している。

 Aくんは、気になることを目にするとすぐに行動してしまう。衝動的に起こした行動がトラブルに発展しがちで、先生が叱ると黙ってうつむいてしまうことも。また自分の気持ちを上手に表現できず、友達とケンカになることもあった。

 韓教授によると、Aくんに必要なのは、生活に必要なコミュニケーション能力。そこでそれを身に着けるための配慮を行うべきと指摘する。

 叱られたときは考えを整理する時間や場所を設けたり、集中を妨げるものを机に片づけるよう指示したり。学校では先生が周囲の生徒に、Aくんが忘れ物をしたら積極的に貸すようお願いもした。

 こうして「生活面の段階的な支援」を行うことで、自分で「考える時間を確保」した。友達とのコミュニケーションのサポートも支援した。結果、Aくんは考えが整理できていないときに「時間が必要です」と自分で言えるようになり、集中を妨げるものがあるときは「これを預かってください」と先生に言えるようになった。

 Aくんに考える時間をあげることで「自分の考えを表現できるマン」に成長したのだ。

■自分をコントロールして「勉強でやる気が出せるウーマン」に成長!

 Bさんは人懐っこいが、自分がいじられることでコミュニケーションを取ろうとする女の子。しかしそれが上手くいかないと、すねたり手を上げたり、トラブルになってしまう。家では勉強せずにスマホをいじってばかり。学習面がなかなか伸びない。けれどもスクールカウンセラーには「個別で勉強したい」と話していて、やる気はあるらしい。

 韓教授によると、Bさんには不注意と多動性・衝動性があるそうだ。友達との間で見られる言動は、周囲から認められたいという気持ちの表れ。不注意で授業中に話を聞いていなかったり、多動・衝動的な行動で友達との関係が上手くいかなかったりするのかも。

 だからクラスの座席を前に設定し、先生がこまめに「何をする時間なのか」認識させる声掛けを行いながら、自分から行動調整ができるサポートを支援した。

 また、スマホをいじることに関するルールを決めて、集中力を持続させる環境を整えた。さらにはクラスの中で黒板管理などの役割を与えることで、意図的に褒められる機会を増やした。

 このような取り組みの結果、Bさんは目標を明確に意識し、自己をコントロールする能力を身に着け、勉強に対してやる気が見え始めた。「勉強でやる気が出せるウーマン」に成長したのだ。

 いかがだろうか? 本書で解説される内容は、子どもを発達障害と決めつけることではなく、いかに子どもの発達を支援するかに重きを置く。この内容を実践すると、今までと違うわが子の成長を見られるかもしれない。

 残念ながら現在の日本の環境では、たとえ発達障害と診断されたとしても充分な支援を受けられる場所は整っていない。最終的に問題を解決するのは本人の努力しかなく、周囲は支援しかできない。

 つまり言い換えれば、支援さえできれば子どもの未来は開けるはず。その一助となるかもしれないのが本書だ。子どもの教育や学校環境で苦しくなるほど悩んだとき、どうすればいいか分からないときは、本書を手に取ってほしい。

 親は発達障害という言葉と向き合うのではなく、目の前の愛するわが子と向き合うべきではないか。本書はそんなことを感じさせてくれる。

文=いのうえゆきひろ