アラフィフの美容皮膚科院長が、14歳年下の男性との道ならぬ恋におちる。その行方は…?

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/7

私は女になりたい
『私は女になりたい』(窪美澄/講談社)

 恋愛小説を書かせたら当代随一の女性作家・窪美澄氏の『私は女になりたい』(講談社)は、アラフィフ女性の道ならぬ恋模様を描いた作品だ。物語の展開を仄めかす書名を脳裏に焼き付けて読んでほしい。

 主人公の奈美は47歳のシングルマザー。収入の少ないカメラマンの夫と別れ、ひとりで息子を育てあげ、老いた母の面倒を見てきた。そんな奈美は美容皮膚科医でもあり、渋谷の高級クリニックの院長を務め、息子や母や(時にも元夫)を養うための金を稼いできた。

 奈美のクリニックでは院長の彼女自身が治療を行う。その手さばきは、常連の患者は「魔法使いのよう」と称賛される。加齢による見た目の劣化、という呪いから多くの女性を解き放ってきた奈美は、自分の技術にプライドと矜持を持っている。天職と言っていいだろう。

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 そんな奈美はある日、元患者で14歳年下の公平と恋仲になる。とはいえ、彼と付き合い始めた頃の奈美はすべてが戸惑いの連続だ。仕事一筋でストイックに生きてきた彼女が、年齢も性格も大きく異なる公平との恋に腰が引けるのは当然だろう。

 だが奈美は時間が経つにつれ、徐々に公平に胸襟を開き、彼の胸に飛び込んでゆく。それも、妻でもなく、母でもなく、娘でもなく、純粋に「女として」である。これまで数々の役割を背負い、年齢や世間体に縛られてきた彼女が、自らの意思で公平との関係を選んだ。文中の表現を借りるなら、奈美の見てきた「モノクロームの世界が、色と音を持ち始め」る。そんな変化が彼女に訪れたのだ。

 奈美と公平との交際は順調に見えたが、ふたりの関係には様々な障壁がある。まず前提として、公平は奈美のクリニックの元・患者。スタッフと患者と恋仲になることは、職業倫理的に問題がある。公平と奈美が正式に交際を始めたのは、公平がクリニックに通わなくなってからだが、それが免罪符になるほど社会は甘くない。世間から白眼視されるのは仕方のないことだ。公平の元彼女がクリニックに嫌がらせをし、従業員も次々に辞めていく。

 また、奈美のクリニックは、実は謎めいた男性・佐藤直也が実質的なオーナーであり、クリニックは佐藤の提供資金によって成り立っている。当然、奈美は佐藤にも公平との交際を非難される。彼の支援はクリニックのライフラインだ。彼が金銭的な援助をする代わりに、奈美は愛人一歩手前の関係を迫られ、それに応じてきた。クリニックを維持し、スタッフに給料を払い、子供に学費を渡し、母の老人介護施設の費用や自殺を繰り返す元夫への援助も都合をつけてきたのだ。

 そうした状況から奈美がどのように自分の人生を切り拓いていくのかが、終盤の読みどころだ。含みのあるラストをどうとるかは読者次第だと思うが、読み終えたあとも登場人物の「これから」が気になる、そんな小説である。

 なお、作者の窪美澄は54歳の女性。この年齢の女性だからこそ、実感を持ってこのような作品が書けたのでは、と筆者は邪推してしまう。女性は老いていく過程で往々に、化粧も着飾りもしなくなり、身繕いに無頓着になってゆく。そうした風潮に窪氏が小説を通して抵抗している、というのは穿ち過ぎだろうか。

文=土佐有明