「Web小説家」の才能を潰してしまった編集者が営む、再生の本屋の物語『ミュゲ書房』

小説・エッセイ

公開日:2021/3/21

ミュゲ書房
『ミュゲ書房』(伊藤調/KADOKAWA)

 夢は、追いかけているときがたぶん、いちばん楽しくて、憧れと情熱が強ければ強いほど、それが現実になったとき、理不尽に耐えられなくなってしまう。『ミュゲ書房』(伊藤調/KADOKAWA)の主人公・宮本章(みやもと・あきら)もその一人。業界最大手の出版社に念願かなって就職し、6年目の若手ながら敏腕編集者として働いていた彼は、あることがきっかけで仕事に絶望し、会社を辞めてしまう。そんななか、北海道で暮らす祖父が亡くなり、なりゆきで、祖父が営んでいた個人書店「ミュゲ書房」を継ぐことになってしまうところから物語は始まる。

 空間としての居心地がいいだけでなく、司書だった祖父の丹念な選書によって、書棚も充実していたミュゲ書房。出版社ごとに著者名順で並べる書店が多いなか、カテゴリーごとに、見る人の興味を広げる配置に変えている。それは、ベストセラー小説を20冊入荷したくても3冊しか配本してもらえない、田舎の小さな書店が生き残っていくための努力でもある。章の目をとおして、書店経営の裏側が見えるのも本作の魅力のひとつだが、それよりもっと興味深いのが「Web小説家」の苦悩が綴られている点だ。

 章が会社を辞めたきっかけは、Web出身の小説家・広川蒼汰(ひろかわ・そうた)の才能を潰してしまったこと。セオリーから少しズレた作風をもつ広川に、だからこそ可能性を見出したはずなのに、売れるためのわかりやすさを求めて改稿を迫り続ける編集部から、章は広川を守ることができなかった。

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 その描かれようは、出版業界の端くれにいる身としても、あまりに生々しい。だが――編集部は、たしかにひどい。けれど売れなければ、商業として成り立たないのも事実。不確実性の高い作品に、賭けられるほど余裕もない。でも、それでも、“おもしろい”を信じたい。この作品は売れる、ではなくて。この作品には読み手の心を揺さぶる力があると、信じて賭けたい。と、再起していく章の姿に、読んでいて胸が熱くなる。本作の著者・伊藤さんもWeb小説サイト「カクヨム」出身の小説家であることも考えると、なおさらだ。

 さらにグッとくるのは、章が情熱だけで戦うわけではないところ。章が編集部を去ったのは、編集部に逆らってまで“売る”力がないからだった。だが、これまたなりゆきで、ミュゲ書房で出版事業を起ち上げることになった章は、どうすれば多くの読者に本を届けられるのか、これまで以上に奮闘する。ゼロから事業をたちあげたことで、書き手だけでなく、デザイナーやイラストレーター、印刷所といった本にかかわるすべての人の想いを背負っていることを自覚した彼は、現実で戦う力をそなえて成長していく。

 そんな章にたびたび手を貸してくれるのが、ミュゲ書房の常連で、誰より本に詳しい女子高生・永瀬桃(ながせ・もも)。何があっても夢を現実に変えようとする彼女との出会いは、章を変えただけでなく、理不尽につまずきかけている読者の背中もきっと押してくれるはずである。

文=立花もも