八月は血の匂いがする――母と娘を繋ぐ“見えない鎖”が凄惨な事件を引き起こして…? 早見和真『八月の母』

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/4

八月の母
『八月の母』(早見和真/KADOKAWA)

 母と娘の間にある呪縛を題材にした小説は多々ある。けれど、これほどまでに親子でい続けることの難しさを直視し、切っても切れない鎖の重さを丁寧に落とし込んだ作品と出会ったのは、初めてかもしれない。

『八月の母』(早見和真/KADOKAWA)は、そんな感想を抱かせる長編小説だ。早見氏といえば、日本推理作家協会賞を受賞した『イノセント・デイズ』(新潮社)の作者。人がこっそり抱えている、言葉にできない絶望を表現する力が抜群だ。

 本作でもその筆力は健在。血縁に囚われ、蟻地獄の中で必死にもがく母と娘の姿を描き切った。

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八月は血の匂いがする…母と娘の愛憎劇が凄惨な事件を引き起こす

 時は1970年代。愛媛県の小さな街で生まれた越智美智子にとって、家は憂鬱な場所だった。自分の正しさを執拗に説く父親や、それに加勢する祖母、そして主体性がなく、何を考えているか分からない母と過ごす日々は苦痛でしかない。

 だが、そんな暮らしは父親がガンになったことを機に一変する。入退院を繰り返した後、父親が死ぬと、母はかねてから不倫関係にあった男のもとへ行こうとした。

 置いていかれたくない。そう思った美智子は必死に懇願し、母の不倫相手と3人で松山へ。しかし、その生活はたった半年で終わりを迎え、美智子は母が別に関係を持っていた矢野一郎という男と共に3人で暮らし始める。

 新生活が始まると、母は矢野に嫌われまいと媚び、母親であるよりも女であろうとした。だが、矢野の欲望は美智子に向いており、体を求められるようになる。母は守ってくれるどころか、美智子に嫉妬し、男に溺れ続ける。

 そうした日々を過ごすうちに美智子の中では母への不信感が怒りに変わり、矢野と関係を持ち続けることで母を見下し、男をコントロールする術を学ぶようになった。

 その後、母はスナック「ミチコ」をオープン。店名が自分の名前と同じであることをクラスメイトにからかわれた美智子は、それを機に家出。自分を幸せにしてくれるのはお金だけだと思い、体を売り、東京で暮らすために貯金をし始めた。

 目標金額に達したのは20歳になった頃。久しぶりに実家へ足を運ぶと、そこには男に捨てられて、老婆のように老け込んだ母の姿があった。涙を流しながら、これまでのことを謝罪する母を目にした美智子は、これで最後…と思い、数万円を手渡した。

 しかし、これが誤算だった。その後、美智子は母に貯金を持ち逃げされ、手元には、謝罪の手紙と共に母が置いていった5万円のみが残った。

 それから、美智子は自らスナックを切り盛りし、女の子を出産。エリカと名付けた我が子を、幸せにしていこうと心に誓う。だが、美智子は母の呪縛から抜け出せなかった。エリカがその先の人生で目にしたのは、自分を最優先し、男と金にだらしない美智子の姿だったのだ。

 海に面したこの街から、いつか必ず出ていきたい――。エリカはそう願い続けるも、チャンスが訪れるたびに母が立ちふさがり、見えない鎖を断ち切れずにいた。そんな親子間の呪縛は、ある年の8月に凄惨な事件を引き起こす。

 まるで螺旋階段のように繋がっていく、家族のスパイラル。その先にあるのは絶望か、それとも希望か――。

繋がりを断つことで得られる希望がある

 母のようになりたくないと思っていたのに似た行動をし、娘を支配する美智子と、母娘間で受け継がれてきた呪いに必死で抗おうとするエリカ。2人の人生に触れると、血縁という見えない呪縛を断ち切ることの難しさを痛感させられ、胸が痛む。

 美智子やエリカのように毒親のもとで育つと、親の要求を最優先し、自己犠牲的な生き方を選ばざるを得ないことも多いのではないか。

 けれど、自分のために生き、幸せになる権利が私たちにはある。未来の自分が笑顔になれないと思ったら、逃げたり、闘ったりして全力で血縁に抗ってもいいはずだ。

 本作は親子間の呪いに苦しんだ時はもちろん、生き方に迷った時にも刺さる1冊。絶望を背負わされた母娘の人生から、あなたは自分を労わる人生の築き方を学ぶだろう。

文=古川諭香

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