別れを祝祭に変える。井伏鱒二(いぶせ ますじ)の“力”のある言葉/心が強い人は みな、「支える言葉」をもっている

暮らし

更新日:2022/7/20

 人生は出会いの連続ですが、別れの連続でもあります。生きていればさまざまな別れを経験します。

 転校、転勤、転職。恋人との別れ。別居や離婚。死別。ペットとの別れ。家に犬が来たときは、「かわいいね」くらいのものだったのが、何年も一緒に過ごしたのちにお別れのときがきたら、それはもう、大変な痛みがあります。

 別れは、つらく、さみしい。しかし、別れは一種の儀式ととらえることもできます。見ないようにしたり、何となくやり過ごしたりするのではなく、味わうことも人生を豊かにする技法だと思います。たとえば、卒業式を思い浮かべればわかりやすいでしょう。卒業は別れです。当然、さみしさがある。同時に、新たな人生の門出ともなる祝祭です。「さようなら」と手を振って、先生や友人たち、これまでの生活と別れ、旅立っていくのです。

 私自身が小中高、大学と卒業してきたのはもちろんのこと、私は大学の教員をしていますので、いまも毎年卒業式を間近で見ています。卒業式はいいものです。明治大学では毎年、3月26日に日本武道館で卒業式をします。式を終えた学生が校舎に戻ってくると、私は各学生と思い出話をします。「あのとき、あんな発表をしたよね」などと話すのです。懐かしさがこみあげ、うるっときます。そして一緒に記念撮影をします。この別れのときを味わうのが、私はとても好きです。

 井伏鱒二の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」は、そんな別れの祝祭的側面を感じさせてくれる言葉です。

 もともとは唐代の詩人、于武陵による「勧酒」という五言絶句を井伏鱒二が訳したものです。

 

勧酒    于武陵
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 友人との別れに際し、最後の酒を酌み交わしている情景が思い浮かびますね。「さあ、遠慮するな。最後なんだから飲んでくれ」と。

 後半の「花発多風雨 人生足別離」は、一般的に「花が咲けば雨が降ったり風が吹いたりするように 人生には別れがつきものだ」といったような意味にとれます。それを「花に嵐のたとえもあるぞ/『さよなら』だけが人生だ」とした井伏鱒二の訳は、まさに名訳です。この言葉でなければ、これほどまでにインパクトを与えなかったでしょう。

「『さよなら』だけが」と言いたくなるほど、人生には別れがあり、痛みがあるけれど、それをむしろ迎え撃つ言葉。別れを祝祭にする力のある言葉です。

人生を支えてくれた名言へ、寺山修司の挑戦状

 この言葉を愛し、心の支えにしていた人がいます。寺山修司です。歌人、劇作家、映画監督、写真家、エッセイストなど多彩な顔を持ち、若者たちの心をとらえ続けた寺山修司にとっての、最初の名言が「『さよなら』だけが人生だ」でした。

『ポケットに名言を』(角川文庫)の中で寺山修司は、このように言っています。

 

 私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。

 

 さらには、この言葉を受けて「幸福が遠すぎたら」という詩を書いています。

「さよならだけが/人生ならば/また来る春は何だろう」から始まり、「さよならだけが/人生ならば/人生なんか いりません」で締めくくるこの詩は、井伏鱒二へのアンサーソングのようなものでしょう。

「さよならだけが/人生ならば/人生なんか いりません」というと、一見、「『さよなら』だけが人生だ」を否定しているようですが、この言葉を噛みしめ、支えにしてきたからこそ、今度はそれを乗り越えようとする、そんな挑戦状のようにも思えます。

 言葉の達人同士のハイレベルなぶつかり合いです。それほど、「『さよなら』だけが人生だ」という言葉に力があったということなのです。

別れの儀式をすることで次へ進む

「さよなら」の語源は、「左様なら」です。「左様なら(=そういうことなら)、これにてご免」といった言い方から、「左様なら」の部分が別れの挨拶になったのです。「さらば」も同じです。そう考えると、「さよなら」という言葉自体、別れの状況を受け入れる潔さや覚悟のようなものが感じられます。

 人は、別れを経験するたびに強くなっていくものだと思います。卒業がひとつのステップであるように、区切りをつけることで次の段階へ行けるのです。

 私は、ある女性が別れた男性の写真を次々に燃やす現場に立ち会ったことがあります。「本当に燃やすんだ!」と驚きましたが、彼女はそうやって区切りをつけていたわけです。好きだった人だけれど、彼は結婚することになった。「そういうことなら」と、写真を燃やした。そのメラメラと燃える様子を見ながら「ああ、これが『さよなら』だけが人生だ、なのか」と思うわけです。

 人との別れだけではありません。自分の夢と決別することだってあるかもしれません。たとえばずっと歌手を目指していたけれど、違う道に進むことにした。そういうことなら、と楽譜を捨てる。別れの儀式をすることで、次へ進むのです。

 人生に別れはつきもの。

 別れを祝祭にする「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」は、この先も私たちの心を支えてくれるに違いありません。

レッスンのポイント
・「さよなら」には、別れを受け入れる潔さや覚悟がある
・別れを儀式ととらえて味わうことは、人生を豊かにするための技法
・痛みを迎え撃ち、「別れを祝祭に変える」ことで次に進める

<第4回に続く>


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