徳川家康の「遺訓」は役立つ言葉のオンパレード! 挫折を遠ざける言葉とは?/心が強い人は みな、「支える言葉」をもっている

暮らし

更新日:2022/7/20

 徳川家康は、現代の日本にも大きな影響を残す江戸時代の開祖となった人です。長い戦乱の時代を終わらせ、その後260年以上にわたる長期安定政権の基盤をつくりました。江戸時代には、平和な暮らしの中で町人たちの文化が花開き、幕府が儒教を学問の中心として位置付けたことにより、いまに続く日本人の倫理観の根本が確立されたと言えます。

「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し いそぐべからず」という言葉は、家康の死後、「遺訓」として伝えられています。後世の創作という説が有力ではありますが、いかにも家康らしい言葉として受け止められています。「人生は、重い荷物を背負って長い道のりを歩き続けるようなものなのだから、焦らずゆっくり進みなさい」ということです。

 私たちが子どもの頃、よくこういうことを言われました。小学校の遠足でも、重いリュックサックを背負って川沿いの道を海まで何キロも歩きながら、「まだ着かないの?」とへこたれていると、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」と先生の声。果てしなく感じるような遠い道のりを、「早く目的地に着きたい」とばかり考えていたらつらくなります。途中で挫折しない工夫をしなくてはなりません。

 最後尾にいる先生は、ちょっと変わった方法で遅れている子どもたちを励ましてくれました。手に持っている棒を肥溜めにつっこみ、それを振り回しながら追いかけてくるのです。元気をなくしていた子どもたちは、「ちょっと先生やめてよ!」と笑いながら走り出します。そんなふうにしながら、長い行程をとにかく自分の足で歩くのが大事だと教わりました。

 忍耐強く自分の足で歩くということも大事ですが、家康の言葉はそれを比喩にして人生における辛抱、忍耐を説いています。実際、家康は長くつらい時期を耐え忍び、焦らず機が熟するのを待って天下統一を果たしました。

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」は後世の創作ですが、これもうまいこと家康の性格を表現しています。

 東の今川義元、西の織田信秀に挟まれた三河に生まれた家康(竹千代)は、数え6歳の頃から人質として出されます。ものごころついたときには、織田家の人質。8歳になって今度は今川家に送られ、以降19歳まで人質生活です。桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、独立して織田信長と同盟を結びました。目の上のたんこぶのように、信長がずっといる状態です。同盟関係は本能寺の変で信長が倒れるまで20年以上も続きます。

 次は豊臣秀吉が実権を握ります。家康は、秀吉の臣下となって焦らず時を待ちました。秀吉が亡くなり、政争や、かの関ヶ原の戦いを経て、家康が征夷大将軍となって江戸幕府を開いたのは、61歳のときです。急ぐべからず……で、ついに天下統一を果たしました。なんともすごい、長期的視野、遠大な計画の持ち主です。

長期的視野が挫折を遠ざける

 私たちはさまざまな目標に向けて計画を立てますが、焦るあまりに早く諦めてしまうこともあります。成果が得られなくても辛抱強く続けるとか、時期を待つとかいうのはなかなか難しいものです。しかし、家康の人生を考えてみれば「まだまだ」という気になるでしょう。最初から目標を長期的に考えて、粘り強くやっていこうとすれば、挫折もしにくくなるはずです。

 私自身は、定職に就いたのが実は33歳のときです。33歳といえばけっこういい年です。それまでいったい何をやっていたのか? というと、大学院生だったり無職だったりしたわけです。もちろん何もしていなかったわけではなく、必死に勉強していました。

 本を読み、論文を書き、いま数多く出させてもらっている著書のもととなるような原稿を書きまくっていました。人生は長いから、花が咲き実をつけるときがくるだろうという長期的展望のもと生きていたのです。正直に言って焦りがありましたし、非常につらく孤独でしたが。しかし、この暗黒時代があったからこその現在です。

 大学で教鞭をとり、本を書き、講演をしたりテレビに出演したりとハードに仕事をできるのは、この時代に力を培ってきたからだと思っています。

徳川家康の「遺訓」は役立つ言葉のオンパレード

「遺訓」の全文は次のようになります。

 

人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知て まくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな
及ざるは過たるよりまされり

 

「不自由を常とおもへば不足なし」。いまは本当に自由な時代で選択肢も多様ですが、昔はいろいろ限定されていました。職業も結婚も、不自由が当たり前でした。

 たとえば理想の結婚を思い描きすぎていると、実際は不足だらけになります。しかし、そもそも不自由なものと思っていれば不平不満も減るでしょう。

 現実をどうとらえるかで、幸不幸は決まるもの。不自由がいいわけではありませんが、良い精神状態を保つうえでは「不足なし」と思えるほうがいいのです。

「いかりは敵とおもへ」もいい言葉です。人に対してカッとなったとき、敵は相手なのではありません。自分の中にある怒りこそが敵なのだということですね。

 そう思っていれば、何か腹が立つことがあったとき、「ああ、これは敵だからおさめなければ」と対処できます。怒りの感情は、ゆっくり呼吸をしながら5秒10秒待つだけでかなり消えていきます。

 小学生を集めて塾をやっていたとき、子どもたちが喧嘩をしたら両者をいったん座らせました。「鼻から息を吸ってー、口からゆっくり吐いて。ふーっ。はい10秒。じゃあ喧嘩を再開していいよ」と言うと、もう喧嘩になりません。ワーッと感情的になっていたのがおさまって、「喧嘩していい」と言われてもしらけてしまいます。こうした技法とともに「いかりは敵とおもへ」という言葉を心にもっておくといいのではないでしょうか。

 家康の言葉は、簡単に心をかき乱されることなく、長期的に大きな目標に向かっていくことを助けてくれるでしょう。

レッスンのポイント
・長い行程も長い人生も、途中で挫折しないための工夫が必要
・そもそも不自由なものと思っていれば、不平不満も減る
・「いかりは敵とおもへ」。敵は相手ではなく、自分の中にある怒り

<第6回に続く>


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