家出して海辺の街に辿り着いた中学生の「私」。花束が手向けられた夜の広場で、不思議な少女と出会う【辻村深月 ユーレイ】/はじめての②

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/14

 その駅は、駅員がひとりいるだけの小さな駅だった。

 降りた途端、鼻先を潮の匂いが掠めた。湿度の高いぬるい風が、うっすらと頰を撫でる。周囲に街灯の姿はまばらで、その中に駅の照明だけが煌々と浮き上がっているような、そんな寂しい町だった。

 この辺りでは見ないであろう制服姿の私に、やはり、誰も目を留めない。私は顔を伏せ、改札をすり抜けた。古いタイルで整備された道を、足元だけ睨んで歩いていく。さっき窓から見えた場所の、海を目指して、リュックを背負ってぐんぐんと歩いていく。

 九月初旬の、季節が夏から秋に移り変わっていくこの時期は、もう海水浴シーズンからはずれているのだろう。歩く私を、車道を走る車のライトが何度か追い越していくけれど、他は誰ともすれ違わない。潮風に吹かれて錆が浮いた看板がかけられた個人営業の商店や食堂も、大部分がシャッターを降ろしていた。

 知らない町の夜を、ただ、歩く、歩く、歩く。横の月だけが、私を追いかけて、ずっと真横についてくる。

 しばらくして、波の音が聞こえた。

 ザザン、ザザン、というその音に導かれるようにして歩き続けると、やっと海が見える道に出た。道の左側に商店などの建物が並び、そのすぐ後ろに砂浜と堤防の姿が見える。

 もっと海を近くで見られないだろうか。そう思ってさらに歩くと、建物がない、だだっ広い場所があった。海水浴のハイシーズンには駐車場にでもなっているのか、海に向かって車止めの石が等間隔に並んだ、白いコンクリートが敷き詰められた広場みたいなところだ。両脇は、どちらも「海の家」と書かれた建物だったけれど、灯りもついていないし、なんていうか活気がない。シーズンは関係なく、そもそも潰れていて、営業をしていないのかもしれない。

 ザーン、という波の声を聞くと、誰かに呼ばれている気がした。駅からずっと感じていた潮と磯の匂いが、その音を聞いてより強くなる。下を見ると、暗い視界の中でも、うっすらと、寄せて返す波の形が見える場所がある。辺りのまばらな街灯に照らされて、海面がところどころ、魚のうろこのように白く光っていた。

 リュックに両手をかけ、しばらく、海に見入る。今日、電車に乗っていた間から、意識はこれ以上ないほどに明瞭に研ぎ澄まされていると感じるのに、それと同時に、夢の中にいるような現実感のなさがずっとつきまとっている。

 このまま、海に入っていくのもいいかもしれない、と、ふっと思った。

 苦しいだろうけど、でも、どの方法を取るのだって一緒だ。今日、こんな遠くまでこられて海に辿り着いたのは、ひょっとしたらそのためなのかもしれない。

 そう思って顔を横に向け、ふいに、気づいた。

 広場の脇に、花束が手向けられている一角がある。電信柱のすぐ近く。海と浜辺がよく見える広場のへりに、ビニールで覆われた花束がある。コスモスとカスミソウ。少し前に手向けられたもののようで、花の何本かが萎れていて、周囲には、他にもミルクティーの缶やぬいぐるみなどがあった。夏の名残のような、花火の袋も置かれている。

 誰かがここで亡くなったのかもしれない、と思う。交通事故か、それとも、水の事故。ひょっとすると、自分から――。

 そんな想像をしていた時だった。

「ねえ、ひとり?」

 近くから、急に声が聞こえた。

 

<次回は、宮部みゆき著「色違いのトランプ」をお届けします。>

<第3回に続く>

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