地下建築を探索中に見つけた「陰鬱なもの」――にわかに漂う不気味さ/方舟④【2022年話題のミステリを試し読み!】

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/31

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

 目の前にあった、208号室に入ってみた。廃品置き場らしい部屋である。

 備品を物色した。使用済みの軍手や、錆びた草刈り用の鎌、古いスピーカー、銅管や木の端材などのガラクタがいくらでも出てきた。かなり古そうなものも、そうでもないものもある。街角のゴミ捨て場に山積みにされているようなものばかりである。

「お? 犯罪組織のアジトにも麦わら帽子があるんだな」

 翔太郎は真顔で言って、つばの広い、傷んだ麦わら帽子を僕に見せた。

「ああ。なんか、もしかしてピストルとか白い粉とか出てくんのかと思ったけど、そんな感じでもないね」

「流石に引き払うときに持ち出しただろ。仮にここを使ってた奴らがそんなのを扱ってたならね。まあ、隈なく探せば何かしら出てくるかもしれないけどな」

 翔太郎は、麦わら帽子を乱雑にボロボロの木箱の上に放り出した。

 今度は、斜向かいの209号室のドアを開けた。

 一見して、そこもやはりガラクタを放り出した部屋だった。さっきのところより少ないが、廃品らしきものが部屋の隅に掃き溜められたようになっている。

 しかし、室内の照明のスイッチを入れると、そこにあったのは、208号室のようなありきたりで平和な品物ではなかった。犯罪組織が使っていたと聞いて僕が連想したのは凶器やら麻薬やらだったのだが、実際に見つかったのは、それよりさらに陰鬱なものだった。

 最初に目についたのは、長い鎖に手枷と足枷のついた拘束具である。一番奥に置かれているのは、真っ黒い鉄製の椅子で、座面が妙に尖っていた。

 さらには、太い木に革を巻いた棍棒や、どうやって使うのか、人の頭が入るくらいの金属の枠に、万力状の金具が付けられた器具。錆びた釘や、コンクリートブロックなどもあった。

 僕も裕哉も翔太郎も、まるで他人の秘密を覗き見してしまったような気まずさで互いの顔を見た。

 裕哉は、部屋の隅に歩み寄ると、屈み込んで、道具に触りはせずに歎声を上げた。

「噓だろ? ヤバっ。これ、拷問道具だよな?」

「どう見てもそうだね」

 翔太郎が答える。以前に来たときの裕哉は、この部屋を見なかったようである。

「それ、本当に使われてたのかな?」

「いや、分かんねえけど、そうっぽくない? こんなの博物館でしか見たことないわ。実在すんのかよって感じなんだけど」

 拷問器具は古くて錆びていた。血糊の跡が残っている訳ではないが、ただの悪趣味な飾りだったにしては傷みが激しい。僕はあたりの床を見回した。裂けたような傷がビニールの床材に残っていた。誰かが苦悶にのたうって床を引っ搔いたようにも見える。

 七〇年代の過激派組織の間で、内輪の不和が殺し合いにまで発展した事件の話を聞いたことがある。この地下建築の来歴が想像通りなら、拷問器具が見つかるのもそれほど不思議ではない。

 無機質な地下建築から、にわかに血なまぐさい不気味さが漂ってきた。

「――でもこれ、別に実際に使われてた証拠はないっすよね?」

「ないね。それに、使われたにしてもずっと昔の話だからな。もう、歴史的遺物だろう」

 翔太郎にそう言われて、裕哉は少し安心したようだった。

 僕も、彼の言葉を拠り所に、過去にここで何が行われたのかはあまり気にしないようにしようと思った。当然ながら、これまでに僕の人生に拷問器具が関係することはなかったし、どう転んだって、これからもそんなことは絶対にないはずである。

 

 それから、近くの部屋をいくつか覗いてみたが、拷問器具以上に物騒なものが出てくることはなかった。

「そう、裕哉君、ここは地下三階まであると言ってただろう? 地下三階にはどこから降りるんだ?」

 翔太郎が訊く。廊下には、地下三階に通じる階段は見当たらない。

「あ、えっと、降りるとこは一番端にあるんですけど、ちょっといろいろあって下は行けなくなってるんすよねぇ。まあ近くまで行きますか。見たらすぐ分かるんで」

 裕哉は先に立って案内をする。

 

 廊下を、部屋番号の若い方に進む。道中の廊下の照明は消えている。歩けなくもない明るさだが、一応僕らはスマホのライトを点けた。

 突き当たりに鉄扉が見えた。地下一階の入り口と同じようなものだが、しかしこちらはより小さく、狭い。

 裕哉はそれを指差して言った。

「ほら、多分この真上が、俺らが入って来た入り口なんすよ」

 ここまでやって来た軌跡をなぞると、おそらく彼の言う通りである。

 鉄扉を、裕哉はゆっくりと開いた。

 そこは他の部屋とは異質な空間になっていた。入ってすぐのところは瓶の口のように窄まっていて、その先の室内はどこを向いても黒い岩肌が剝き出しになっている。天井は、入り口近くだけが板張りでことさらに低い。そこ以外はやはり岩のままで、この部屋だけは、天然の洞窟の様相である。

 そして、部屋の奥の壁面には、沈没船に使われていたのかと思われるような、巻き上げ機のような装置が据え付けてあった。

「何だこれ。めっちゃ錆びてるな」

 巻き上げ機には太い鎖が巻きついていた。鎖の先をたどると、それは分岐して滑車を通り、扉近くの板張りの天井から地下一階に抜けていた。

「あ! これもしかして、あのでかい岩に巻きついてた鎖か?」

「そうだよ。あの岩はバリケードだって言っただろう」

 この巻き上げ機を回せば、大岩が引っ張られて地下一階の鉄扉を塞ぐ仕掛けになっているのだ。

「そうか、言われてみりゃこれ、どう見てもバリケードっすね。あんま深く考えてなかったわ。だからここの天井、入り口の近くだけ板張りなんだな。鎖を通すためか」

「まあ、そういうことだね。それ以上の理由もあるかもしれないが」

 意味深に翔太郎は言った。

「そう、そんで、この部屋に地下三階に行く階段があるんですよ。だけど下は駄目っすね。ほら」

 裕哉は、部屋の右奥を指差した。

 床に、四角い穴が切られている。そこに階段はあった。

 近寄って、階下を覗いてみると、裕哉の言うことの意味は一目で分かった。

 地下三階は水没していた。階段を降りた四段目、地下三階の天井とすれすれのところまでが水に浸かっている。しゃがんで思い切り手を伸ばすと、黒くてツヤツヤとした水面に僕の指先が触れた。

「冷てっ。マジかあ。浸水してんのか」

「地下だからな。それに素人の建築だから、浸水くらいするだろう。天然の岩に囲まれているから、当然といえば当然だ。排水設備も壊れてるんだろうな。このせいで地下建築が放棄されたのかもしれないね」

 確かに、さっき見た地下一階の外壁にも水が伝っている様子があった。

「さすがにこれじゃ、プール付き邸宅ですとか言ってる場合じゃないな。というか、ちょっと怖いな。だってこれ、いつか絶対建物全体が水没するってことだよね? このままいったら」

 裕哉が答える。

「まあ理論的にはそうだけどさ、流石にだいぶ掛かるっしょ。俺が半年前に来たときとあんまり水の量変わってる感じしないし。ちょっと増えてるっぽいけどさ。そうなるんなら五年後とかじゃないの?」

 それも、もっともだった。

 スマホの明かりで水中を照らしてみると、どうやら地下三階には、コンクリートで固まった鉄筋や鉄骨などが、乱雑に放置されているようだった。

 他に見るものもなかったので、僕らは廊下に出て、来た方へと引き返した。

 階段の近くまで来ると、廊下の反対側に、スマホのカメラを構えるさやかの後ろ姿があった。物珍しさで、写真を撮っているらしい。

 

「裕哉君、この地下建築の出入り口は、みんなで通ってきたあの穴だけか? 一つしかないということはなさそうだが」

「いや、一応もう一個あるんですけど、使えないっすね。ほら、あの地下三階にあるんですよ。そっから細いダストシュートみたいなのが地上まで延びてるんですけど、水没しちゃってるから全く通れないんです」

「なるほど」

「そういや、機械室に館内図的なのがあるわ。それ見たら早いな」

 三人で、さっきの機械室に戻った。

 裕哉は、機械室のデスクの引き出しを開けた。古い絆創膏や爪切り、それに鉛筆やボールペンなどの文房具が雑多に詰め込まれていた。

 彼はそれらを天板の上に摑み出していく。やがて、そんなものに交じって、A2サイズの大きな紙を四つ折りにした図面が見つかった。

「あ、これだこれ。俺、ずいぶん奥に突っ込んでたんだな。前見たとき」

<第5回に続く>

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