謎めいた地下建築に到着した一行。おそるおそる内部を探索していると…/方舟②【2022年話題のミステリを試し読み!】

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/29

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

「で、裕哉? お前さ、その地下建築? そこに泊まる気ってことだろ? もう帰る時間ないんだし。いいのか? なんかかなりヤバい場所だって言ってなかったか?」

「いやだから、昔ヤバいことに使われてたかもって話だって。昔だから。別にちょっと使うくらい大丈夫。誰もいる訳ないから。廃墟巡りみたいなもんだし」

 隆平と裕哉は、僕らを十メートルばかり後ろに残して、先を進んでいく。

 ここに来るまでも、ずっとそんな具合だった。隆平は、みんなを代表するような調子で、案内人の裕哉に不平を言い続けていた。

 隆平の様子を見て、右隣を歩いていた麻衣が、僕に困ったような、あるいは取りなすような笑みを向けた。宵闇の中で、彼女の白っぽい顔に、睫毛の長い眼がかえってくっきり浮き上がって見えた。

 返事をしようとしたが、きっと隆平に聞こえると思うと口を利くことはできなかった。麻衣もそれを求めてはいなかったようで、隆平に見つかる前にとばかりにそっぽを向いてしまった。

 振り返ると、少し遅れていたさやかが、小走りで僕らに追いついた。ウォームブラウンの髪をお団子にした彼女は、額に汗をかいていた。

 さやかは、ずっと気にしていたらしいことを口にした。

「あの、地下建築って、トイレとかはどうなってるんですかね? 寝るのも、リュックを枕にして床に寝っ転がるみたいになるんですかね。みんなそれで大丈夫なんですか?」

 裕哉からは、そんな旅館案内みたいな話は聞いていない。泊まるつもりで来たのではないのだ。

 一歩先を歩いていた僕の従兄、翔太郎が、さやかに答えた。

「あまり期待しない方がいいだろうな。多分、いろいろ曰くのある建物だ。しかし、野宿よりは流石にマシだろう。地下なら、それほど寒くもないだろうしな」

「そっか。そうですよね。夜、かなり冷えますよね」

 さやかは、翔太郎に、丁寧に同意してみせる。

 大学時代の友達と従兄とは、昨日初めて引き合わせたばかりだった。僕が思っていた以上に翔太郎はみんなに馴染んでいる。

 五年前に叔母から相当の遺産を継いだ翔太郎は、それ以来定職につくことなく、旅行をしてみたり、地質学の研究に凝ってみたり、ふらふらと過ごしている。遺産を食いつぶして悠々暮らすつもりなのかと思えばそういう訳でもないらしくて、百万円ばかり持って外国に行っては、数倍に増やして帰って来たりすることもある。

 従兄なのだから、どの友人よりも付き合いは長い。僕が誰よりも気を許していながら、いまだにその人物の全容が分からないのが彼だった。

 翔太郎を同伴しているのは、今回の集まりに揉めごとの気配を感じていたからである。彼はもともとこのあたりの地理に興味があったというので、連れて来やすかった。

 今のところ、僕が心配していたようなトラブルは起こっていないのだが、代わりに、思いがけず謎めいた地下建築に行くことになってしまった。何かあったときにことを捌いてくれそうな彼がいるのは、心強かった。

 

   二

 峻険な山に囲まれた荒野の真ん中で、裕哉は突然立ち止まった。そして、地面を指差し叫んだ。

「あった! ほら、これだ。入り口」

 裕哉はしゃがんで、枯れ草の中に手を突っ込むと、直径八十センチくらいの、マンホールみたいな上げ蓋を持ち上げた。

 覗き込むと、穴は垂直に地中へと通じていた。側面はコンクリートで、壁に鉄棒を塗り込めてはしごにしてある。

「こっから入るんだけどさ――」

「え? うっそ。怖っ。めっちゃ狭いじゃん」

 花はスマホのライトで穴の奥を照らした。明るさが不十分で、底は見えなかった。

 僕も同感だった。もちろん、こんな山奥にあるのだから、それが炭鉱じみたものなのは当たり前だったが、僕は裕哉の口ぶりから、もう少し文明的な建築を想像していたのである。

「いや、まあ確かに入り口はこんなんなんだけどさ、でも入っちゃえば大丈夫だから。中はマジで広いんだよ。地下三階まである。一晩くらい何とかなるって」

 花たちは明らかに尻込みしていたし、僕もあまり気が進まなかった。

 隆平が最初に動いた。

「まあいいや。俺行ってみよう。このまま通れんのか?」

 バックパックが擦れるのを気にしながら、隆平ははしごを伝って地下に降りる。裕哉は女子三人の顔色を窺ってから、隆平に一人先を行かれないように彼の後に続いた。

 花、さやか、麻衣は、「どうする?」「誰から?」とささやきを交わしてから、順番に穴を降りた。僕と翔太郎がしんがりである。

 七、八メートルほどはしごを伝うと、足が地についた。

 そこから先は、洞窟状に横穴が延びていた。なかなかの広さで、屈まずとも通ることができる。

 緩やかに降っていた。スマホの明かりをかざしながら進む。

 少し行くと、通路の途中に、巨大な岩が転がっていた。

 人力で動かすことは到底できなそうな大きさである。どういう訳だか、それは太い鎖でグルグル巻きにされていた。

「なんだ? これ。掘り出そうとして諦めたのかな?」

「どうかね」

 翔太郎が意味ありげに言った。

 巨岩の脇をすり抜けると、鉄扉が見えた。

 鉄扉の手前で、足元の天然の岩が、汚れた板張りの床に変わった。ここから先は明らかに人工の建築物である。

 裕哉が扉を開け、奥を照らした。

「うお? 本当だ。なんか凄いな」

 隆平は、感心したか、怯んだか分からない声を上げた。

 扉の先に続いていたのは広い廊下だった。天井は低い。少し進むと廊下は曲がっていて、その奥は見通せないが、鉄扉を開けた音の反響で、この地下建築の広さがかなりのものであるのが分かった。

「すごい。――カビ臭いね」

 麻衣がつぶやいた。

 饐えた臭いが立ち込めていた。陽の当たらない森の奥のような湿り気を帯びた空気に、少し化学的な臭気が混ざっている。

「ここ、照明はどうなってんの? 電気来てないだろ?」

「来てないけど、めっちゃでかい発電機があった。なんか、動きそうな感じだったけどな。駄目だったらまあ、スマホの明かりで頑張るしかないかもしんないけど。俺、モバイルバッテリー持ってるし」

 隆平と裕哉は鉄扉をくぐり、真っ暗な廊下に踏み出した。

 全員が手に明かりを持ち、ホタルの幼虫みたいな行列になって、恐々と続く。

 床には古びて安っぽい、ビニールの建材が使われていた。左右の壁には、ホテルみたいにドアがいくつもある。

 廊下が左に折れる手前の、右側の部屋のドアを裕哉は指差した。107という札が貼られている。

「ここに発電機がある。壊れてるっぽくはないんだけどさあ――」

 裕哉はドアノブを捻り、室内に明かりを差し向けた。

 そこは機械室というような部屋らしく、壁面には黒いケーブルが這い回っていた。そのケーブルは部屋の奥に集まって、発電機に繫がっている。

 昔バイトをしていた病院で見たような、風呂桶くらいの大きさの自家発電装置だった。排気のためのパイプが壁から天井に抜けている。僕が生まれる前に作られたらしい機械だったが、数本設置されている燃料のLPガスのボンベは新しそうだった。

 ボンベのメーターを見ると、まだガスは残っている。裕哉と隆平は、どうやって起動したらいいのかと、発電機を撫で回した。

 二人が操作方法を知らないのを見てとると、翔太郎が控えめに口を開いた。

「とりあえず、ボンベとホースがきちんと繫がっているか確認してくれ。それからエンジンスイッチを入れて、始動グリップを引くようになっていると思う」

 裕哉が言われた通りの操作をすると、バイクのようなエンジン音が響いた。

 次の瞬間、天井の蛍光灯がチカチカ瞬いた。かと思うと、機械室から廊下まで、青白い光が地下建築を満たした。

「良かったあ。さすがに明かりがないのはきつかったですよね」

 さやかが、みんなの顔を見回しながら言った。

<第3回に続く>

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