堀辰雄『風立ちぬ』あらすじ紹介。あなたと生きたい――結核に冒された婚約者との出会いと別れ

文芸・カルチャー

更新日:2023/4/4

 2013年に、同じタイトルを持つジブリ映画の作品が公開されたことでも知られる『風立ちぬ』。この作品をきっかけとして、映画のタイトルの基となった堀辰雄の『風立ちぬ』に興味を持たれた方も多いのでは? 今回は、堀辰雄の『風立ちぬ』の登場人物、あらすじを紹介します。

風立ちぬ

『風立ちぬ』の作品解説

『風立ちぬ』は、昭和期の日本の作家・堀辰雄が1938年に発表した中編小説で、堀辰雄の代表作の一つ。「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章からなり、サナトリウムで療養生活を送っている主人公と、同じ病にかかっている婚約者との出会いと死別を書き上げた作品です。

 情景描写の素晴らしさが特色の作品であり、病気や死という重いテーマを取り扱っているにもかかわらず、感傷的な雰囲気が少なく、明るく透明感のある作品に仕上がっているのが特徴です。

『風立ちぬ』の主な登場人物

私:作者の堀辰雄自身がモデルとされている。小説家。
節子:「私」の婚約者。婚約後に結核にかかる。実在の人物で、堀辰雄の婚約者であった矢野綾子さんがモデル。

『風立ちぬ』のあらすじ

 秋近い夏の終わりのある日、私と節子は出会う。山の近くのホテルに滞在し、森や草原でふたりの時間を過ごす日々を送っていたが、それも終わりが迫ってきていた。もうすぐ節子の父が迎えにくるのである。

 ある日、節子の描きかけの絵の側でふたりが休んでいると、ふいに風が吹いた。「風立ちぬ、いざ生きめやも」(風が吹いてきた、さあ生きよう)というポール・ヴァレリーの詩の一句が、口をついて出てきて、私は節子の方に手をついて呟き、それを繰り返していた。

 約2年後の3月に、私は婚約したばかりの節子の家を訪れたが、節子の結核は重くなっていた。彼女の父親が私に、節子をFという街のサナトリウムに転地療養させることを相談し、院長と知り合いである私が付き添って行くことになった。

 上京した院長の診断により、サナトリウムでの療養は2、3年という長期にわたるものとなった。節子の病状が芳しくないことを知らされた私は、節子とともにF高原への汽車に乗り、節子はサナトリウムの2階の病室に入院。私は付添人用の側室に泊まり、サナトリウムでの共同生活が始まるのだった。

 院長から節子のレントゲンを見せられ、病院の中でも2番目くらいに病状が重いことを知らされた私は、ある夕暮れ時に、病室の窓から素晴らしい景色を見ていて節子に問われた言葉から、風景がこれほど美しく見えるのは、私の目を通して節子の魂が見ているからなのだと、私は悟るのであった。

 やがて節子のことを小説に書こうと決めた私であったが、冬になって、物語の結末がもう決まっているような気がして、私は恐怖と羞恥に襲われるのであった。12月5日、節子は山肌に父親の幻影を見る。私が節子に「お前、家へ帰りたいのだろう?」と問うと、節子は、「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と小さくかすれた声でいう。

 1936年12月1日、3年ぶりに私は節子と出会ったK村に来た。雪が降る山奥でひとり、去年の節子のことを追想した。そして、私が今こんなふうに生きていられるのは、節子の無償の愛に支えられ、助けられているからだと私は気づいた。

<第52回に続く>

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