日本のインドカレー店が、どこもメニューがソックリな理由/カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」①

社会

公開日:2024/4/27

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)第1回【全7回】

 いまや日本中で見かけるようになった格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営で、いわゆる「インネパ」と呼ばれている。なぜ、格安インドカレー店経営者のほとんどがネパール人なのか? どこも“バターチキンカレーにナン”といったコピペのようなメニューばかりなのはどうしてなのか? そもそも、「インネパ」が日本全国に増殖したのはなぜなのか? 背景には、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさや、海外への出稼ぎが当たり前になっている国ならではの悲哀に満ちた裏事情があった。『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』は、どこにでもある「インドカレー店」から見る移民社会の真実に迫った一冊です。

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カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」
『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和/集英社)

同じようなメニューの店が多いワケ

「いま日本にはね、4000〜5000軒くらいあると言われてるんですよ」

「そんなに!」

 けっこうな数字に僕は驚いた。教えてくれたのはティラク・マッラさん(59)だ。日本でただひとつのネパール語新聞「ネパリ・サマチャー」を発行し続けて25年というベテランのジャーナリストなんである。編集部は僕が住む新大久保(新宿区)にあり、ご近所なのでたまに遊びに行く。そして編集部の2階にある編集長室で、日本に住むネパール人たちについてあれこれ教えてもらうのだ。ネパール語で情報発信を続けてきた日本唯一のメディアだけあって、マッラさんのもとにはいろいろな話が集まってくるし、ネパール人からの相談も寄せられる。とっても柔和なおじさんなので、みんな安心して話せるのだろう。僕もそのひとりだ。

 そんなマッラさんならきっと「インド料理店を開いているネパール人」について詳しいだろうと思って訪ねてみたのだが、「4000〜5000軒」という数にまずは驚いた(この数字には諸説ある。3000軒ほどではないかと話すネパール人もいる。ちなみに「食べログ」で「インドカレー」と検索すると、全国でおよそ5900軒がヒットする)。

「なんでまた、そんなに増えたんですか?」

「ひとつはね、やりやすい商売ってのがあるんじゃないかな。まず、専門的な難しい日本語はそんなにいらない。カレーをつくって、注文を受けて、料理を出して。いらっしゃいませ、どうぞ、ありがとうございました、あとはメニューの説明くらいでもなんとかやれる」

 確かにそれ以上の会話をレストランで交わす日本人は、あまりいないかもしれない。だからなのか、たまに僕が「このカレー、どうやってつくってるんですか?」「なんでこの場所に出店したの?」とか突っ込んで聞いても、うまく答えられず申し訳なさそうに苦笑する人もよくいる(もちろん日本語が堪能な人もいるが)。

「あとは、お金もそこまでかからない。何千万円なんてなくても、お店を開ける。家賃も安いところを選ぶし」

 これまた確かに、ネパール人経営のインド料理店はいかにもリーズナブルであろう老朽化した建物に入っているのをよく見る。それに、以前はラーメン屋だったのかな、居酒屋かなと、なんとなく想像できる居抜き物件をそのまま使っているところもある。すでに厨房の設備が整っているので、大がかりな工事をせずにすぐ開業できるし初期費用を抑えられるのだ。

「だから店長と奥さん、子供たち、あとコックさんを雇うこともあるけど、自分たちでどうにかはじめられるビジネスなんですよ」

 やっかいなのはビザや店の営業許可といった役所関係の手続きだ。日本人だって相当に手こずるややこしい書類仕事の山との格闘になるのだが、そのあたりは行政書士に依頼する。これは官公署に提出するものなど、オフィシャルな書類作成を行う職業だが、近年では「外国人専門」の行政書士も増えている。入管法(出入国管理及び難民認定法)の研修を受けて専門知識を学ぶことで、外国人の各種申請を代行する「申請取次行政書士」と呼ばれる存在だ。彼らに手数料を払って、自分や従業員のビザ、営業許可などをクリアする。経理関係は税理士にアウトソーシングすればいい。だから日本語があまり得意ではないカレー屋の店主も「ギョウセイショシ」「ゼイリシ」なんて言葉はちゃんと知ってたりする。

 こうして言葉の面でも資金面でも、外国人が比較的手を出しやすい商売が、飲食というわけだ。

 とはいえ、もちろんネパールから来ていきなり店を開くわけではないそうで、

「だいたい8年とか10年、日本のインド料理店で働いて、それから独立する人が多い」

 のだとか。インド料理店といっても、やはり店主はネパール人だ(インド人やバングラデシュ人ということもある)。そこにコックとして雇われ、しばらくは黙々と働く。

「日本で成功しようって夢を持ってくる人たちだからね。将来はこうなりたいって、目標を持って働くわけ。がんばるわけ。料理を一生懸命につくって、どうすれば日本人のお客さんが喜ぶか考えてね。もうカレーのことしか考えてない。だからお金も貯まる」

 そして独立資金とノウハウが蓄積できたら、自分の会社をつくり、店を開くのだ。そこで提供するメニューは、雇われて修業していた店の、まるでコピペのようにソックリなもの。というのも、それでお客が入っていたのだから間違いがないはず、これで日本人を満足させられるはず、と考えるからなのだとか。バターチキンカレーを軸に日本人の好むメニューを用意し、味つけは修業した店のレシピを流用。壁にはヒマラヤと、ネパールの聖地スワヤンブナート寺院の写真なんかを貼りつけて、いざオープンする。こうしたスタイルは、

「失敗できない、なんとしても日本で稼ぎたい」

 という必死さの表れなのだという。冒険してメニューや店のたたずまいにアレンジを加え、お客が入らなくなるのが怖いのだ。話してみれば愛想よくにこにこ笑って、お気楽そうな人々に見えるかもしれないが、みんな人生を賭けて外国に、日本に来ている。自分や家族親族の貯金も注ぎ込んでいる。だからどうしても慎重になるのだ。その気持ちを彼らは「模倣」という形で表現する。

 もちろんコピペではなくオリジナリティを出してくる人だっている。インド料理ではなくネパールの伝統的な料理を出したり、味つけを変えたり。あるいは日本語学校や専門学校経由でカレー界に参入してくる「留学生上がり」は、アルバイトしていた飲食店で学んだ、枝豆だとかタコわさみたいなちょっとした居酒屋メニューを出したりもする。

 しかしやっぱり王道は、修業先の店を模倣するやり方だ。そこには慎重さに加えて、「それなりに稼げている完成品を持ってくれば、成功する可能性も高いのだから、それでいいじゃないか」という考えもある。東南アジアや南アジアではありがちだ。うまくいっていそうなビジネスをそのままコピペすれば、手間もかからない。日本人からすると「もっと工夫を」と言いたくなるのだが、彼らからすれば効率的ということになる。悪く言ってしまえば安直なのである。

 しかも修業先のすぐ近所に出店しちゃうなんてこともある。これは土地勘があるとか引っ越したくないとか、子供を転校させたくないとか、さらにいえば「面倒くさい」とか、あるいは外国人に貸してくれる店舗が限られているのでどうしても似たような地域になるとか、そのあたりも絡み合っているのだが、近所にインド料理店が2軒もあれば需要に対して供給過多となり、お客の奪い合いとなって両者共倒れ……なんてケースを聞くと、やっぱり「もうちょっと営業戦略を」と日本人としては忠告したくなる。

 それでもそれなりに生き残っていったネパール人たちのインド料理店からコックが独立し、近隣地域に似たようなインド料理店を生み出していくという図式が生まれた。細胞分裂のごとく、ひとつの店から暖簾分け的にどんどん枝分かれしていって、同じような店が日本全国に増殖していった……というのが大まかな流れのようだ。

<第2回に続く>

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