危険な香りが混じるメッセージと最後に添えられた現在地。次第に私の家に近づいてきて…/名著奇変(山月奇譚)⑤

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/19

名著奇変』(柊サナカ、奥野じゅん、相川英輔、明良悠生、大林利江子、山口優/飛鳥新社)第5回【全8回】

日本文学の名作を若手実力派作家たちがリメイクした、短編ホラーミステリ集『名著奇変』(柊サナカ、奥野じゅん、相川英輔、明良悠生、大林利江子、山口優/飛鳥新社)。ベストセラーのDNAを存分に活かしながら、現代の小説家が極上のミステリーに生まれ変わらせました。その中から、中島敦『山月記』をベースにした『山月奇譚』(山口優:著)をご紹介。じわじわと追い詰められていくような感覚に陥る現代ホラーをお楽しみください。

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名著奇変
『名著奇変』(柊サナカ、奥野じゅん、相川英輔、明良悠生、大林利江子、山口優/飛鳥新社)

 李徴子の精神状態は今、どうなっているのだろう。私へのメッセージにも「トラ」をつけるということは、「人喰いトラ」を演じているままのつもりなのか。@の後に地名をつけるのは、人喰いトラというペルソナの奇矯な性格を反映した演技なのか。

 いずれにせよ、それが中央線に沿って徐々に迫っているのは気になる。

 そして―。

「……あれは去年の夏だったトラ。そろそろ身の振り方を考えなければならなくなったトラ。小説はうまくいかないんだから、公務員試験を受けるとか、企業にインターンに行くとか、そういうことを考えなければならないと気付いたトラ」

 李徴子がやっとメッセージを送ってきた。

「でもそれには遅すぎるのトラ。本当は一昨年の夏から準備してなきゃいけなかったのトラ。もともとそれに向けて準備していた連中にかなうわけないのトラ。そうしたら、もう全てを捨てたくなったトラ。ある夜のことだったトラ。その日も家族から将来について考えるように厳しく言われて、部屋に籠もっていたトラ。月が見えたトラ。何かに呼ばれているような気になったトラ。気付いたら、預金通帳と荷物を持って家を飛び出していたトラ@高円寺」

 それから、李徴子は大学にも行かず、実家とも連絡を取らず、八王子のアパートを借りて暮らし始めたという。

 家出したときに持ち出した貯金を食い潰していく不安定な生活のなか、ひょんなことからVチューバーが流行っていることに気付き、残りの貯金をはたいてVチューバーになることを選んだという。

「なるほどね……。それはそれで人生の選択だと思うけど……。秘密にしていてほしいならそうするよ? 友達でしょ?」

 私は親しみを込めたメッセージを送った。李徴子は孤高の人間だ。だが、私にとっては李徴子は高校時代からの親しい友人だ。その親しみの心は私の中では消えていない。

「RI☆CHOに友達はいないトラ。人間は全部えさトラ。食べるだけトラ@中野」

「ねえ、@のあとにつけてるのなに?」

 私はついに我慢できなくなって訊いてしまった。それが徐々に迫ってきている、という事実が、だんだんと気になってしょうがなくなってきた。

「たぶん……RI☆CHOの心は昔からトラだったトラ。人間と親しく交わることが昔から怖かったトラ。きっと、自分が馬鹿にされるのが怖かったのトラ。臆病な自尊心というトラが、李徴子の中にあったのトラ……。だから外見もトラになってしまったトラ……。今では人間だった頃の記憶も忘れて、夢中でトラミミVチューバーになりきっていることも多いトラ@新宿」

 李徴子は私の疑問には答えず、淡々と述懐を続ける。

「いや外見は今でも人間でしょ。トラミミなのはバーチャルの世界だけでしょ。なりきってて偉いと思うよ? ところで@のあとにつけてる地名っぽいのは何? 今いる位置なの? なんで近づいてくるの?」

 李徴子の境遇には同情できる部分もあったが、今は@のことが気になってしょうがない。

 人喰いトラ。

 過去を知る人間は要らない。

 ところどころに挟んでくる単語にも危険な香りが混じる。

 トラ、というのは李徴子にとっては自省を込めた自称なのだろう。

 臆病な自尊心―言い得て妙だ。人と交わるからには、きっと人よりも劣るところがある。全てにおいて他者に卓越することなどできない。

 私、という主語で他者と交わるとき、いつも人はそのトラを飼い慣らす覚悟を試される。

『私』はぼんやりとした如才なさでそれを回避してきたが、自らに恃むところ大な李徴子には、きっとそれは難しかったのだろう。

「トラの心を持ってしまったRI☆CHOには、もうトラとしてバーチャルで生きていくしかないトラ。でも過去を知る人間が一人できてしまったトラ。サナは良い友人だったトラ。優しかったトラ。ごめんトラ@御茶ノ水」

「なぜ謝るの……? そこは私の最寄り駅なんだけど、どういう意味なの? 教えないともう返信しないよ」

 私はついに、強く答えを要求した。

<第5回に続く>

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