「竹藪に人の骨がある」幼児期の体験が、その人の人格形成に与える影響は大きい/今日も、私は生きている。②

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/27

今日も、私は生きている。 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(曽野綾子/ポプラ社)第2回【全6回】

修道院付属の学校に通いキリスト教の道に進みながら、数多くの国や地域を巡ったベストセラー作家・曽根綾子さん。『今日も、私は生きている。 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』では92歳になる著者が、富める人、貧しい人、キリスト教徒、イスラム教徒など様々な人と出会い感じたことをもとに「勝ち負けのない人生」を説いています。丁寧に綴られた言葉に思わず背筋が伸びるような気持ちになる、珠玉のエッセイ集をお楽しみください。

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今日も、私は生きている。
『今日も、私は生きている。』
(曽野綾子/ポプラ社)

竹藪でみつけた“人骨”

 幼い時の体験が、その後のその人の人格形成にどのような大きな影響を与えるかは、まともに考えたら、恐ろしくて、子供にどのような体験をさせたらいいかわからなくなるくらいのものであろう。

 多くの場合、その結果は、その人の全般的な心理の深層に影響すると言われるが、もっと皮層の部分で、外国の文化に対するその人の成人後の心理的影響がどう残るかなどということも、調べてみるとおもしろいかもしれない。

 私の初めての外国体験は、修道院付属の学校の幼稚園の、受け持ちのイギリス人修道女に出会ったことだった。彼女は子供の能力より、自分の信念で教えたいことを教えたが、そのおかげで私は五歳の時から、人間が死ぬべきものであることを教わった。毎日私たちは「今も臨終の時も祈りたまえ」と祈ることを教えられたのである。

 世界は、生とその最後に訪れる死の概念から始まるのであって、自分もいつか臨終という時を迎えるであろうということをぼんやりと感じていた。それが、私を後年キリスト教へ向かわせるスタートとなった。

 私は幼稚園から初等科に進んだ。この学校はほとんど無試験であった。希望者がそれほどなかったのである。当時の制度で言うと、そのまま旧制の女学校まで行けることになっていて、将来を心配することなど全くなかった。

 この学校は国際的な人的構成を持っていた。修道女はイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、スペインなど各国の人がいたし、語学校と呼ばれた国際学部には、海外で育って日本語ができない日本人の学生だけでなく、さまざまの国の生徒たちがいた。

 さらにまだ大東亜戦争も始まらない小学生の時、私は、後々まで大きな意味を持つ一つの体験をしたのである。

 それは或る昼休みのことだった。私は当時、昼の食事代を特別に払って学校で食べる生徒の一人だった。うちが金持ちだったということではなく、母が恐らくお弁当を作るのがめんどうくさいという怠け者で、しかしそれだけではなく、テーブル・マナーを厳密に躾てもらえるのがいいと考えたかららしい。私たちは修道女たちが作る昼の食事を待って、食堂の外でドッジ・ボールをして遊んでいた。

 すると、友達の投げたボールが裏庭の端に茂っている竹藪の中に入った。私はそれを取りに行き、思わず恐怖で立ち竦んだ。

「人の骨がある」

 私は言った。藪の中には乾いて白くなった骨がうずたかく積まれていたが、私は骨と言えば人骨としか思わなかったのである。

 それが私たちも飲んでいたスープを取るために毎日毎日使われた牛骨だということがわかった時、私は新たな現実に直面した。

 典型的な日本の小市民の家庭に育った私は、修道院というものを、仏教的な風土で解釈していたのだった。農耕民族である我々は穀物を食べるのは当然だが、動物を殺して食べるということには、罪の意識がある。しかし二世紀に上エジプトで生まれたという修道院はまさに荒野と牧畜文化の真っ只中でその形態を取り、そのまま中世のヨーロッパで発展完成したのであった。その土地もまた牧畜文化の土地であったのである。だから修道院が肉食をするということに、基本的な違和感があるわけはなかったのである。

<第3回に続く>

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