まつもとあつし 電子書籍は読書の未来を変える?(後編)

更新日:2013/8/14

本との出会いが変わる

仲俣:そういえばこんなことがありました。昨年、図書館関係者の集まりに呼ばれて、山口市に初めて行ったんですよ。講演の前日に現地入りして、湯田温泉というところに宿を取っていただいき、風呂から上がって気分よく、部屋からTwitterで「湯田温泉なう」とかってやってたんですよ。

そうしたら、「湯田温泉にいらっしゃるなら、中原中也記念館がありますよ」というTweetが返ってきた。僕は中原中也という詩人が若い頃とても好きだったんですが、いま泊まってる湯田温泉が中也の故郷だということをすっかり忘れていたんです。

――Twitterはそういう出会いを与えてくれることがありますよね。

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仲俣:まさにそうなんです。翌朝、早めに起きて近所を回ってみたら、宿の本当にすぐ近くに、中原中也の生家を改装した記念館があった。「おお!」と気持ちが高まり、せっかくだから近所で本屋を探して中也の本を買って読もうとしたんですが、町中に本屋さんが見つからなかった。

そこで仕方なく、青空文庫で中也の作品をあたってみたんです。有名なふたつの詩集以外にも、中也の小説やエッセイが青空文庫には収められている。そのなかに、死んだ弟について書いたエッセイが見つかったんです。さっそくダウンロードして読み始めると、弟の思い出を書いている文章なので、自分の育った生家の周りのことが書いてあるわけです。

iPhoneアプリで青空文庫の中也の文章を読みながら、いま自分がいる風景のなかに残っている当時の面影をさがしてしまいました。そうすると、中也が子ども時代をすごした昭和初期の雰囲気が、湯田温泉の界隈にはわりと残っている。それでじわっと、感動してしまったわけです。電子書籍を読んでこんなに感激したのは初めてでした。

――ソーシャルメディアとデジタル読書が生んだ出会いですね。

仲俣:そのとおりですね。ああ、これはものすごく可能性があるな、と実感したんですよ。こういう偶然の出会いがもたらすセレンディピティみたいなことが、文学作品だけでなく、ビジネス書の分野でもありうるかもしれない。その日の講演は予定を変更して、「ネットとコンテンツとソーシャルと結びつくことで読書が変わる」という話をし、例としてこのエピソードを紹介したところ、大変好評でした。

突き詰めれば電子書籍は「ライブラリー」

――先日のブックフェアでも「本棚が果たす重要性」に関心が集まっていました。

仲俣:そうですね。僕は大学の非常勤講師として、ウェブと紙の本の両方を視野に入れた出版メディア論の授業を6年ぐらいやっているんですけど。学生につねに言っているのも、本を単体で捉えるのではなく、図書館とか本棚といった、集合体として考えてほしい、ということなんです。英語でいう「ライブラリー」には、図書館とか文庫とか蔵書という意味がある。日本語では表現が違ってしまうけれど、これらの本質をひとことで言えば、集合体としての本=ライブラリーということになるわけです。

――確かに。

仲俣:図書館もライブラリー、自分の蔵書もライブラリー、文庫本の機能もライブラリーだ、ということを考えると、広い意味での「ライブラリー」が電子書籍の本質だといえると思うんです。かりに家にたくさんの蔵書がなくたって、図書館に行けば誰でも好きなだけ勉強できる。そうやって図書館で学んでえらくなった人はたくさんいます。カール・マルクスや南方熊楠は大英図書館で学んだわけですし、アメリカの在野の知識人エリック・ホッファーは公共図書館を自分の書斎にしていたといわれます。

家に本をためこまなくても、図書館や広義のライブラリーで学んだ人の、行動的な知の伝統がある。電子書籍がその伝統をあらためて活性化させることができないか。ビジネスの面だけでなく、その可能性を僕は考えたいんです。家に書斎や本棚がある人はそもそも少ないし、ある人でも本の多くはたんなるデッドストックになっていることが多かった。電子書籍の時代の本は、そうあってほしくないんです。

1冊も紙の本をもっていなくても、電子図書館にアクセスができればいい、ということもありうる。それはようするに、内風呂なんかなくても、銭湯=公衆浴場があればいい、というのと同じ感覚です。必要最低限のコストで、各自にみあったの場所でいつでも本にアクセスできるということが、本の未来を考えるうえで、非常に重要なことだと思います。

――さらに言えば、銭湯、つまり図書館に行けば、そこで刺激とか交流があるわけですからね。

仲俣:そうなんですよ。もともと銭湯や図書館はソーシャルな場所、社交場でもあったわけで、利用者のコミュニティがあった。その役割を電子書籍が果たすことができれば面白くなってきます。

――デッドストックだともう閉じた世界で終わってしまう。

仲俣:自分の家のなかだけに本を貯めこむ時代は、個人的にももう終わりにしたいです(笑)。とくに東日本大震災以後、そうほんとにそう思うようになりました。そういう意味でも、梅棹忠夫さんのコンセプトである「行動的な読書」という言葉にならって、読書をよりアクティブにしていくことには賛成です。