官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第71回】栗城偲『忠犬カウンターアタック』

公開日:2015/1/20

 「ところで白倉さんの初恋って、苦いけど、なんかほんの少し甘いというか変わった香りがするんだよね……これってトニックとかグレープフルーツの香りだけじゃないよね?」

「キュンメルというリキュールが少しだけ入っています。でも本当に少量なのに、よく気が付かれましたね」

 白倉が感心したように言うと、妹尾は微かに得意な顔をした。

 キュンメルというのは姫茴香(ひめういきょう)のことで、そのリキュールは独特の甘みと香りを持つ。それを少量加えたのは、カクテルのバランスのためではなかった。顔には出さないが、そんな気持ちを見透かされたような気がして居心地が悪い。

 グラスを磨きながら、白倉は「初恋」のことを思い返した。

 姫茴香には、人を引き止めたり結びつけたりするという伝承がある。かつては惚れ薬の材料とされたこともあったという。

 白倉の初恋は苦いまま、終わっていない。

 諦めたはずなのに捨てることの出来ない気持ちが、まだ胸の中に燻っている。

 いつかまた、なんらかの繋がりが持てれば――そんな叶うはずのない詮のない願いを込めているのだと知ったら、妹尾は笑うだろうか。

 未練がましい己を嘲笑いながら、白倉は目を伏せる。不意に落ちた沈黙を、妹尾はすぐに破った。

「……白倉さんて、若そうだけどいくつなの?」

「今年二十三歳になります」

 白倉の答えに、妹尾はオリーブをつまみながら目を丸くした。

「若そうじゃなくて若いんだ。俺と一回り違うのか……いつからこの仕事してるの?」

「高校を卒業してからなので、この世界に入ってからはもう五年です」

 初めのうちは見習いという名の雑用で、ちゃんとバーテンダーとしてカウンターに立ち始めたのは二十歳になる年だった。

「へえ……すごいなあ。でも、どうしてこの仕事しようと思ったの?」

 当初はこれほど本格的にバーテンダーとして働くつもりはなかった。もっとぶっちゃけて言ってしまえば、バーでなくともよかったのだ。

 酒を扱うこと自体も、客との空気も気に入っており、今は誇りを持って仕事をしている。十八歳で今の店に雇ってもらい、二十歳になった年にはバーテンダーの資格認定も受けた。

 けれど当時は、子供の入れない場所へ、行きたかったのだ。絶対に見つからないところへと逃げ込みたかった、ただそれだけの動機だった。

「……さあ、あまり記憶にないです」

 微笑みながら返すと、妹尾は少々意外そうな顔をした。そして、グラスの縁を指でなぞり、きらりと目を光らせる。

「で、その件の『苦い初恋』の子はどういう子だったの?」

 唐突に話を蒸し返されて、指先がぴくりと強張る。

 随分とポーカーフェイスもうまくなったつもりだったが、妹尾にはなにか読み取られてしまったのだろうか。内心ひやひやしながら、白倉は首を傾げた。

「……もういいじゃないですか、その話は」

「えー? いいじゃない。教えてよー!」

 少々前のめりになって、妹尾が人の悪い笑みを浮かべる。恋の話というのは、どうしてこうも老若男女の別なく盛り上がるのだろうか。まんまとオーナーの策にはめられている気がする。

「……じゃあ、いつも僕の『初恋』をご贔屓にしてくださる妹尾さんにだけ、言ってしまいましょうか」

 初恋のカクテルを作るたびに、溜め込んでいる己の鬱屈を客に飲ませているような気になっていたのも確かなのだ。

 罪悪感もあり、感謝の気持ちもあり、白倉は口を開く。

「……幼馴染みです。一つ下の、懐いてくれていた可愛い子でした」

 初めて他人に吐露した気持ちは、口にしたらやはり苦い。

 妹尾は「初恋」を飲みながら、ほう、と相槌を打った。

「幼馴染みか。いいね」

 でも苦い結果に終わったんですよ、とは言わなかった。そんなものは、カクテルを飲んでいる相手にはわかりきったことだろう。

「白倉さんて、地元どこ? もともとこの辺の人?」

「実家は横浜です」

「あ、じゃあ近いんだね」

 俺は九州なんだ、と笑う妹尾に、いいところですよねと返しながら内心で安堵の息を吐いた。

 妹尾のお国自慢へと話はシフトしていく。もっとも、妹尾が気づいて逸らしてくれたのかもしれないけれど。

 実家から都内にあるこの店へは、通えないほどの距離ではない。けれど白倉は、高校を卒業してから一度も、実家へ帰ったことはなかった。

 家族との仲は良好で、母や二人の弟とはきちんと連絡も取りあっている。特に両親は、高校の卒業式も出ずに出奔した白倉のことを当初は随分心配し怒っていた。今は連絡を取っているからか、うるさくは言うものの心配はしていないようだ。

 それでも「たまには帰ってこい」と言われることもあったが、はぐらかしたまま一度も帰省せずにいる。

 帰らずにいるのは、地元に会いたくない、会えない男がいるからだ。

 白倉が「初恋」から逃げて、既に五年の歳月が経過していた。

 

 

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