【第6回】ちゃんもも◎『刺激を求める脳』/真理子#1

文芸・カルチャー

公開日:2018/8/30

 まだ右も左もわからないくらいに若く幼かったあなたをみつけたのは、もう八年も前のこと。

 私の主演する映画に脇役として出演していたあなたは、どこか放っておけない妙な雰囲気を醸し出しながら、まるで群れからはぐれた草食動物のように不安で今にも泣き出しそうな顔をしていたわね。

 それが新進気鋭の若手俳優だなんて言われているものだから笑っちゃうわよね。事務所も残酷なことをするものだわ。だってあなた、そのときは演技なんてまったくできなかったし、台詞もまるで覚えていなかったじゃない。

 ただ恵まれたお顔を持って生まれてきただけのかわいそうな男。それがあなたの第一印象。

 ただ、なぜかしらね。

 なにもできないのに共演者からはすごくチヤホヤされていたあなたを見て、理由はわからないけど、どうしてもあなたが欲しくなってしまったの。

 今考えると、それがあなたの天性だったのかもしれないわね。

 女優という職業を選んでから、女優としてステップアップできる相手としか寝てこなかったし、いつ報道されてもいいような大物としか付き合ってこなかった私が、はじめてあなたのような何も持たない男に興味を持ってしまった。チヤホヤされているあなたを、他の誰にも渡したくなかった。

 二十代の半ばを少しすぎて、女として旬を迎えた頃の私に対して、まだ若かったあなたは拒否なんてできるはずがなかったと思う。

 現場ではあんなに草食動物だったのに、ベッドでは貪るように私を抱いた。

 何時間も。何度も。毎晩のように――。

 それからというもの、あなたは俳優として日に日にステップアップしていった。まだ誰も私たちの関係を知らなかった頃。まだあなたが只の新人俳優だった頃。

 分不相応な私という女を抱いて自信がついたのかしら? それとも、幾分か経験を重ねて実力がついたと思った?

 画面の隅に少し映っているくらいだったあなたが、ありえないほどのスピードでステップアップしていく様は面白かったわ。あなた自身が一番ありえないと思ったでしょうし、ずいぶん混乱していたもの。

 それもそのはずよね。そのためにずいぶんと骨を折ったのよ?

 吐き気がするような頭の禿げたプロデューサーとも寝た。還暦をとうに過ぎた大物俳優にも抱かれたわ。

 早くあなたを私に相応しい男にするために、ベッドで必ず言っていたの。あの子は伸びる、あの子は何か持っているって。必ず将来、大化けする。だから今のうちに使っておいた方がいいってね。

 この私がそう言うのだから、当時それに耳を傾けない男なんていなかった。

 自分でもわからないくらい、あなたの為ならなんだってできた。その甲斐もあって脇役から助演に、助演から主演に、あなたは着実に俳優としての階段を上っていった。

 相変わらず、二人きりのときには草食動物のような顔をしていたけれどね。

 主演した作品がヒットして世間的に認知度も出たし、賞だって貰ってた。それでも不安が拭えないあなたに、色々とお説教したこともあったわね。

「テレビや映画だけでなく、役者として成長したいなら舞台に立ちなさい」だとか、

「外見でチヤホヤされているだけではダメ。演技で人をだまらせなさい」なんて。

 口うるさいことも言ったから、余計に不安にさせたかもしれないわね。

 でも、それもこれも、すべてはあなたを私に相応しい男にするためだったの。悪く思わないでね。そして、それが影響したのかどうかはわからないけれど、あなたは順調に階段を駆け上っていった。

 あなたの所属する事務所の社長さんも驚いたでしょうね。次から次へと出演のオファーが来て。

「真理子さんとこうなってから、信じられないことばかりです」

 なんてかわいい事を言っていたのも覚えてる。

 年々、忙しくなっていくあなたと会えなくなる事がどうしても我慢できなくなって。

 とうとうやっちゃったの、私。

 新聞の見出しに大きく出ていたでしょう?「高橋真理子、熱愛」って。

 当時、一緒にびっくりしたフリをしていたけど、実はアレ、情報を流したの私なの。会えない間に誰かがあなたを誑かさないように、そして堂々と同じ屋根の下で暮らせるようにね。

 そうすればどうしたって毎日あなたと会えるでしょう?

 こう見えて私、ヤキモチやきなのよ。もうコソコソしなくってもいいんだって、結局あなたも喜んでくれていたからいいわよね。

 それからは、もう言葉にするのも恥ずかしいくらい、毎晩愛し合ってた。子供ができなかったのが不思議なくらいにね。

 若いあなたに合わせるのも大変だったんだから。

 それだけ愛し合っていれば、まさか他でなんてできる筈もなかっただろうし、私も安心していたのよ。

 でもやっぱり、あなたも男なのね。

 私、知ってるのよ? ただの一度だけだとしても、あなたに消えない過ちがあった事。

 あれは泊り込みで地方に撮影に行っていたときだったかしら? 怒りにまかせてあなたに詰め寄る事だってできたのだけど、やっぱりあなたの顔を見てしまうとそれもできなかったから。

 知ってるでしょう? あの子がその後どうなったか。あなたに何もできなかったから、消えてもらったの。

 だって、どうしても我慢できなかったから。『私のあなたに』手を出すなんて。

 いくらあなたから誘ったのだとしても、私のものだってわかっているものを、一時でも自分のものだと勘違いしたのだから。それ相応の罰は当然必要よね。

 だから、ダメよ? あまりかわいそうな事をしては。まあ、今となってはもう遅いかもしれないけど。

 ちょうどその頃からだったかしら。あなたが、はじめて出会った頃の私と同じ歳になったくらいから、あまり私を抱かなくなった。

 あんなに貪りつくようだったのに。

 思えばあの頃からすこしずつおかしくなっていったのかしらね。私はどこにいてもあなたを感じていた。きっとあなたもそう。

 そう思っていた。

 私も三十を過ぎて、女優としても女としても、より深みを出していく必要が出てきたの。いつまでも若手女優ではいられないものね。

 歳を取る毎に成長していっているつもりではあるけれど、昔のように黙っていてもキレイなままでいられるような状態ではなくなってきたのね。『今』をキープするために努力が必要になってくる。

 それは並大抵の努力ではないのよ。だって私は『女優 高橋真理子』なのだから。羨望のまなざしで私を見るすべての人に対して責任があるのだから。

 そこにはもちろん、あなたも含まれているわ。

 いつまでも愛されるように。ずっとあなたが愛せるような私でないといけないの。

 あなたと過ごす時間を削り、お仕事を少しずつセーブして、そのために時間を割く。エステに通う頻度を高めて、慣れないスポーツジムにも通う。顔には注射を打ち、また毎晩あなたに貪られるような私をつくっていく。

 日々、失っていくものを努力で取り戻していく。あなたの興味も、世間からの羨望も。

 でも、不思議なものね。

 努力をすればするほど、少し前まで別段なにもしなくても向こうから擦寄ってきたものが、遠ざかっていくの。

 女優としての努力しかしなくてよかったのが、段々と努力の方向が違ってくる。

 女って大変よね。

 私のことしか見ていないような顔をしていた人たちが、歳をとるに連れて見向きもしなくなってくる。

 以前、人気絶頂だった当時の私にこう言った人がいたの。

『女は産まれたときが一番幸せで、ひとつ歳をとる毎に不幸になっていく』

 確かにそのとおりかもしれない。

 産まれた瞬間はみんな無条件で祝福してくれる。

 女の子から女になり、男から重宝される。

 女が旬を過ぎるとずっと歳が上な男以外からは見向きもされなくなる。

 それを過ぎると……。考えたくもないわ。

 いつ頃からなのかしら。

 雑誌の表紙に私が写らなくなったのは。どの媒体でも必ず1位だったアンケートから私がいなくなったのは。

 それでも映画に出演すれば今でも話題になるし、結構な動員数もある。テレビに映ればネットニュースにもなる。今は。

 明日は……?

 来年は……?

 三年後は……?

 一昔前まではこんな不安に駆られる暇さえなかったの。それだけお仕事も忙しかったし、悩む事柄といえば更に上を目指そうということばかりだったし。

 それも、振り返ってみると本当に幸せといえるものだったのかしら?

 私を見る人たちは、そんなに幸せなことはないと口を揃えて言うのはわかっているの。華やかな世界で、羨望のまなざしを浴びて、キレイで、美人で、スタイルもよくて。

 その陰に並大抵ではない努力が隠されていることをみんなは知らない。どれだけの孤独を抱えているかみんなは知らない。おそらく、私しか知らない。

 あなたに冷たくされる度に、そんなことを考えてしまうの。

 そんな私と反比例するかのように、あなたはどんどん人気者になっていく。

 それに伴って、男としても脂がのっていく様を日々日常まざまざと魅せつけられる。

 関係を持った当初は『真理子さん』だった呼び方が、『真理ちゃん』になり、今ではすっかり『真理子』になった。

『あなたが私のもの』なのだろうか、それとも『私があなたのもの』なのかしら。すっかりわからなくなってしまった。

 あなたは元々私のいた地点を通過してしまったの? それとも私以外の何かを見据えてしまっているの?

 時間というものは残酷で、なければ無性に欲しくなるのに、あればあったでこうした不安を抱かせるのよ。

 怖いの。

 ずっと目を背け続けてきた事に目を向けるのが。

 本当はからっぽだっていう事に。

 きっと今の私は、あなたが帰ってきた時、昔私が家に帰ったときのあなたと同じ顔をしているでしょうね。

 順調に俳優として、男として、人生の階段を上っていくあなたは、とうとう私を追い抜いていった。出演する映画は連日満員御礼、舞台に上がれば割れんばかりの拍手喝采。日本で一番チケットの取れない舞台俳優なんて言われるまでになったね。

 もう二人きりでも草食動物のような顔なんてしていない。

 私は三十代半ばの、もうじき落ち目のやってくる女優。あなたはこれからも上る階段が残されているこれからの人。

 わかっていたつもり。いつかその日が来ることを。

 できることなら見栄やプライドやあなたの将来やファンの事など気にせずに、子供を産んでいればよかった。

 こんなに狂ってしまうくらいなら、もっと泣き叫んであなたの膝に縋り付いていればよかった。

 そしてあなたはまたひとつ、またひとつと階段を上り続ける。いつまでも続くその階段の、その時点での最上段を踏む。私を置いて。

 もう、私は「あなたのもの」ですらない。

 気が済まないの。私がその「何か」を手に入れられず、他の誰かが「それ」をさも自分の為にあるかのように振舞っているところを指を咥えて観ているのが。

 許せないの。私のものにならないものが。

 いっそ壊れてしまえばいいのよ。そんなものは。

写真モデル=シイナナルミ
撮影=飯岡拓也
スタイリング=TENTEN

ちゃんもも◎ 1991年、神奈川県生まれ。リアリティ番組『テラスハウス』に初期メンバーとして出演。2014年よりアイドルグループ「バンドじゃないもん!」加入。著書にエッセイ『イマドキ、明日が満たされるなんてありえない。だから、リスカの痕ダケ整形したら死ねると思ってた。』。

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