総理大臣視察中の高校を武装勢力が占拠! JKが日本を救う!? 『高校事変』/連載第3回

文芸・カルチャー

更新日:2019/6/12

超ベストセラ―作家が放つ衝撃のアクション巨編!
平成最大のテロ事件を起こし死刑となった男の娘・優莉結衣(ゆうり・ゆい)の通う高校に、総理大臣が訪問。
そこに突如武装勢力が侵入し、総理が人質にとられそうになる。
結衣が化学や銃器の知識を使って武装勢力に対抗するが…。
武装勢力の真の目的、そして事件の裏に潜む驚愕の真実とは…?

『高校事変』(松岡圭祐/KADOKAWA)

 五十五歳で、月給も冗談のように五十五万円。それが公立高校の校長という役職だった。自分の人生そのものへの評価でもあるのだろう。

 峯森佐生尾(みねもり・さうお)は憂鬱な気分とともに、ひとり校舎の屋上にたたずんだ。秋というのに正午近くの陽射しは苛烈をきわめる。階段塔がつくりだす日陰に身を置かざるをえない。

 きょうは蒸し暑い。遅れてきた夏日のようだ。フェンスの向こう、複数の高層タワーマンションが、陽炎に似た霞のなかに林立する。どれも未来的なフォルムを誇っていた。だが大都会にはなりきれていない。近場に目を転じると、多摩川の広々とした河川敷を見下ろせる。緑地ばかりか草野球場まで存在した。最近のゴジラ映画で破壊された丸子橋に、きょうも渋滞の列ができている。神奈川と東京を結ぶ県境、両者をつなぐ橋は数えるほどしかない。

 三十代、学級担任を務めていたころ、武蔵小杉といえば工場地域にすぎなかった。四十代に入り、学年主任となった時期には、街並みに発展の兆しが見受けられた。教頭になるため、管理職試験を受験し、合格したのが五十歳。翌年、五十一歳で教頭の肩書きを得た。

 再開発された武蔵小杉の人気が急上昇したのは、東日本大震災のせいでもあっただろう。海を埋め立てた新興住宅地を避け、いくらか内陸にあるタワーマンションが好まれるようになった。JRや私鉄の路線で都内各所とつながる、交通の利便性も大きかった。もっとも負の側面もある。あまりに人口が増大したせいで、毎朝のように駅構内への入場制限がかかっている。通勤客は長いこと改札前の行列でまたされるのが常だ。このぶんではいずれ繁栄も頭打ちになるかもしれない。

 自分の出世もそろそろ行き詰まってきた。教頭になってほどなく、校長の管理職試験に臨んだ。ちがいは小論文の出題があることぐらいだった。前の校長が定年退職するタイミングでもあった。峯森は思惑どおり、その後任となった。

 ここしばらく、自分が実際以上に偉くなった気がしていた。グランツリーで妻の買い物に付き添っていても、新丸子の喫茶まりもでコーヒーをすすっていても、見知らぬ人々に笑顔を向けられる。やがてそれがテレビを観る目だと気づいた。ベトナム帰化少年、田代勇次に将来への夢と希望をあたえた校長。ニュース番組のインタビューを数多く受けるうち、いつしかそんな認識がひろまっていた。

 初めのうちは気分がよかった。講演の依頼も舞いこんできた。だが質問されるのは田代勇次のことばかりだった。しだいに醒めていく自分の心に気づかされた。

 名門ならいざ知らず、公立高校が外国出身というだけで生徒を弾いたりはしない。校長にさして権限があるわけでもない。田代勇次はすでに帰化していて、定時制でなく全日制の高校に通いたがっていた。彼の親は武蔵小杉に住むのを希望し、川崎市中原区に転入届をだしていた。すべては成りゆきでしかなかった。けれどもそんな正直な話は求められていない。生徒を差別せず、分け隔てなくあつかう学校、そういう美談こそが好まれた。あらゆる人権保護団体が、自分たちの主張を具現化する理想形として、武蔵小杉高校の名を挙げたがる。峯森も調子をあわせるしかなかった。かねて自由な校風を心がけるとともに、人権をこそ重要と教えてきました。いじめは絶対に許しません。人種や出身に関係なく、生徒はみな平等です。インタビューでは常にそう告げてきた。最近では保護者会でも同じ発言を期待される。

 ふいに嘔吐感がこみあげてきた。思わず前のめりになる。教職員の前では平静を取り繕ってきたが、二日酔いがひどい。ゆうべは日吉駅前の居酒屋で遅くまで飲んだ。もはや酒は精神安定剤、毎晩の睡眠導入剤がわりだった。

 背後で階段塔のドアが開く音がした。三つ年下の教頭、磯谷恭司(いそがい・きょうじ)の声が呼びかけてくる。「ここにおられたんですか」

 峯森は身体を起こし振りかえった。頭髪の薄い黒縁眼鏡が、気遣うようなまなざしを向けてくる。どこまでが本心かわかったものではない、峯森はそう思った。磯谷も校長になるため、管理職試験の準備を進めている。現校長が体調不良と見るや、全力でこの座を奪いとりにくるのではないか。

 だがいま磯谷の表情は穏やかだった。「こちらから首相官邸に電話しまして、確認をすませました。いたずらではありませんでしたよ。矢幡首相がご訪問なさるんです」

「しっ」峯森は両手で磯谷を制した。「口外しないよう釘を刺されてる。声高に喋ることじゃないよ」

「そうでした」磯谷はばつが悪そうに笑った。「すみません。つい嬉しくなって」

「私たちのほかに知ってるのは……」

「神奈川県教育委員会の教育長と委員だけです。川崎市教育委員会へは直前に知らせる手筈だとか」

 教育委員会というと大勢いるように思われがちだが、教育長と委員で六人だけだった。現状、政府関係者を除けば、首相訪問の事実を知るのはごく数人のみになる。

 また吐き気が襲ってきた。峯森はネクタイの喉もとを緩めた。深く息を吸いこみ、胸のむかつきを鎮めにかかる。

 磯谷が妙な顔になった。「校長。緊張なさるのはわかります。首相に失礼のないよう、生徒への指導を徹底します。重責ではありますが、きっと無事にすみますよ」

「指導でなんとかなる生徒ならな」峯森は苦い気分とともにいった。「問題はそこじゃない。優莉結衣(ゆうり・ゆい)だ」

「ああ」磯谷が表情を曇らせた。「優莉……」

「首相官邸には伝えてあるのか」

「いえ。思いつきもしなかったので」

 苛立ちが募りだした。峯森は声を荒らげた。「重要なことだ。知らせるべきだろう」

「おっしゃるとおり重要なことですから、校長からお伝えにならないと。いや、しかし……」

 矢幡首相訪問が中止になったら困る。ほかの学校に鞍替えされたくない、磯谷の顔にそう書いてある。

 峯森も同感だった。公立校のあいだにも私立校と同じ、競争の原理が持ちこまれて久しい。少子化で減少するばかりの生徒を、ひとりでも多く獲得しようと、どの学校もしのぎを削っている。降って湧いた首相訪問が、本校にとって追い風になるのは明白だった。

「なあ、磯谷君」峯森は身をよじり、胃の痛みをまぎらわせようとした。「武蔵小杉高校は、武蔵小杉病院と並んで、過去の遺物だとよくいわれる。建物も職員も再開発前から居座っているだけ。現在の住民の生活水準にそぐわない、そんなふうに揶揄される。たしかに偏差値は五十二、近くの住吉高校に劣る始末だ。だが田代勇次のおかげで状況は変わろうとしてる」

 磯谷がうなずいた。「入学志望者が増えれば、それだけ高い学力を持つ生徒の割合も増えますからね。大学進学率の向上も期待できます」

「まして首相訪問となれば、未来はおおいに明るい。文字どおり幸運が幸運を呼んだわけだ。しかし残念ながら、窓を開ければ新鮮な風ばかりでなく埃も入ってくる」

「ええ」磯谷の顔に翳がさした。「失敗だったかもしれません。優莉結衣については、受けいれずにおけば……」

「そんな選択肢はなかった。弁護士や人権保護団体が抗議してくるのは目に見えていた」

<第4回に続く>

優莉結衣(ゆうり・ゆい)は、平成最大のテロ事件を起こし死刑になった男の次女。事件当時、彼女は9歳で犯罪集団と関わりがあった証拠はない。今は武蔵小杉高校の2年生。この学校を総理大臣が訪問することになった。総理がSPとともに校舎を訪れ生徒や教員らとの懇親が始まるが、突如武装勢力が侵入。総理が人質にとられそうになる。別の教室で自習を申し渡されていた結衣は、逃げ惑う総理ら一行と遭遇。次々と襲ってくる武装勢力を化学や銃器のたぐいまれなる知識や機転で次々と撃退していく。一方、高校を占拠した武装勢力は具体的な要求を伝えてこない。真の要求は? そして事件の裏に潜む驚愕の真実とは? 人質になった生徒たちと共に、あなたは日本のすべてを知る!