不倫やハーレム、陵辱モノも純粋に楽しめる。作家・うかみ綾乃が語る、官能小説ならではの魅力【官能小説家という生き方】

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/11

『指づかい』(幻冬舎)でデビュー後、『窓ごしの欲情』(宝島社)で2011年日本官能文庫大賞新人賞を受賞、そして『蝮の舌』(イースト・プレス悦文庫)で第二回団鬼六賞の大賞を受賞、と立て続けに作品を高く評価されてきた官能小説家のうかみ綾乃さん。

 巧みな官能表現はもちろんのこと、細かい仕草までこだわり抜かれた人物造形や、ときに命を賭してまで交わるような、鬼気迫るセックスシーンからは強い文学性も感じられる作家である。

 果たして彼女はどのような経緯で官能小説家という道に足を踏み入れたのか。年間50冊以上は官能小説を読むという生粋の官能小説マニアとしての顔も持つうかみさんに、官能の世界の魅力について伺った。

エロと向き合わざるを得なかった幼少期

 うかみさんに官能小説家になった経緯を問うと、「とにかくずっと、性を嫌悪していた幼少期から振り返らないといけない」と答えた。

「私、田舎で生まれ育ったんですね。それで、幼い頃から発育がよくて、他の子に比べて背も高かったし胸も大きかったんです。田舎って、そういう異質な存在が悪目立ちしやすいんですよ。

 普段は優しいおじさんや学校で人気の先生が、私を前にするといやらしい顔で近寄ってきたり、ストーカーをしてきたりする。おじさんたちが『かわいいなあ』とふざけて身体を触ってくる。その後ろで、彼らの奥さんたちは助けることもなく、嫌な眼差しを私に向けている。人はいろんな顔を持っているんだな、というのは幼心にもわかったし、人にはいい面も悪い面もあるとわかった上で、私は悪い面を向けられやすい側なんだ、とも思った」

「一度、高校生のとき、習い事から帰る道すがら、公園の女子トイレに寄ったんです。もう日も暮れていて、他には誰もいなかった。用を足して出ようとしたら、出口のところに男がひとりニヤニヤして立っているんですよ。その場で固まってしまって、他のおばさんが入ってくるまで10分くらいは、じっと息を潜めて立ち尽くしていた。あのときほど怖くて脂汗をかいたことはなかったかもしれない。

 おまけに、私の父は弁護士をしていたんですけど、金融や不動産が専門だったんです。当時(80年代)って暴対法(暴力団対策法)もない時代ですから、当然のように反社会の人たちが出入りしていました。毎日のごとく家族で嫌がらせを受けていたんですよ。『一家絶滅』って墨で書かれたハガキが投函されていたり、玄関にネズミやコウモリの死体が落とされていたり。

 彼らにとっては思春期の娘なんていいネタです。当然、私にも近寄ってくる。友達と遊んでいるときも、鼻息がかかるくらい背後にぴたりと無言でくっつき続けられたこともありました。無言の脅しです。そんなもんだから、友達にも不気味な思いをさせるのが申し訳なくて、外で遊ぶのを控えるようになりました。

 とにかく、悔しかった。女じゃなければ、ここまで惨めな思いをしなくてよかったのに、と」

 うかみさんにとって、自らの性はわずらわしいものであった。しかし、同時に思春期の彼女は性的なものに焦がれている自分にも気づく。

「嫌でも毎日突きつけられるわけですから、考えざるを得ない。幼い頃からずっと、ひとりで性と向き合ってきました。

 私にとっては、普通のエロ雑誌に載っているようなセックスよりも、SMや緊縛の方が男性の性欲がストレートに出ていないように見えて好きでしたね。『女をどうこうしたい』よりも、まず『様式美』があるんですよ。情動の剥き出しではなく、彼らの変態性と美学に黙々とこだわっている姿を、覗き見するような感じ。

 それにモデルさんも、一般的なエロ雑誌と違って、男好きするような美女ばかりでもないのがよかった。お腹や胸をわざと醜く縛って、でもそこに美しさを見出すような、そういう表現を私はエロいと率直に感じることができたんです」

80年代、男のための「エロ」が溢れていた時代

 田舎の閉鎖的な空気に嫌気が差していたうかみさんは、大学入学を機に上京することを決める。

「東京って、女性が女性であることをとても自由に謳歌している街のように映ったんです。私も東京に行けば、自分が女性であることを肯定できるんじゃないか、と。人の目ばかり気にして『変わってる』と言われることを恐れて周りに合わせて、とにかく目立たないように生きることがもう限界だった」

 その選択は、彼女にとって正解だったのだろう。東京に来てから、今まで抑圧されていたものが弾けるように、彼女は自分の人生をのびのびと歩み始めたのだ。

「学生のときに音楽活動も始めました。子どもの頃からずっと鬱屈とした思いを言葉にして溜め込んでいたので、試しにそれに音楽をつけてみよう、と。必然的にセックスのことだって歌うことになる。

 そしたら、『エロいことを歌っている』と注目を浴び始めるようになりました。当時のエロって、男性の下半身のためだけに存在していましたから、扇情的な歌詞じゃなくても、若い女がセックスのことを歌っているというだけで『エロ』なんですよね」

 彼女の活動の方向性は、その後「脱ぐ」という選択をしたことで拍車がかかった。

「25歳のときに、好きな写真家と写真詩集を作ることになって、撮影中、その場のノリでヌードになったことがあるんですね。エロく撮りたいというよりは、本能のままに脱いでみた。

 そしたら、当時はヘアヌードブームの終わりかけだったんですけど、そこに引っかかった。週刊誌とか深夜放送でもよく取り上げられるようになって、当時所属していた事務所もレコード会社も、『この方向でいきましょう』と。つまり『セックス好きのセクシーな女ということで売りましょう』ということです」

 しかし、そのような活動も30歳を過ぎてから、限界が訪れ始める。

「無意識のうちに、なんだか蝕まれていたんですね。若い頃は怖いもの知らずだから、緊縛ショーに出演したり、蛍光塗料を全身に塗って舞台で全裸になってブラックライトの下で歌ったり、好き放題にやっていました。

 でも、私は自分のことはもちろん、周囲の人間を守る術を知らなかった。たとえば、他のバンドと対バンライブをすると、そのバンドのお客さんが私たちのファンを盗撮したり、女の子にちょっかいを出したりする。もしくは、著名人と仕事をすると、私がエロをしていることを理由にして、その人が揶揄されてしまう。

 人を悪く言いたいときに、エロって一番傷つけられるんですよね。簡単に名誉を損ねることができる。もちろん周囲は堂々としていました。でも私は彼らの評価を少しでも損なうことが怖かった。自尊心を見失うと、他人の信念も信じきれないんですね」

 やがて、彼女はアーティスト活動に一旦の区切りをつける。その後、バンドは組まず、ひとりでシンガーソングライターとして小さなライブハウスを回るようになった。

 名前を「うかみ綾乃」にして再出発した瞬間だった。

「醜さ」は生きるリビドーになる

「官能小説を書いてみませんか、と言われたのは、38歳くらいの頃かな。前の仕事をすべてやめて8年くらい、エロには一切触れていませんでした。でも、どこか欲求不満なところはあったんです。どれほどライブで高揚しても、裸で舞台に立ったときのあの悦び、達成感を超えることはできなかった。

 官能小説は、前の名前のときに一冊だけ出しましたけど、当時はまだベクトルが音楽に向かっていました。でも今回、せっかく声をかけてもらったのだから、と思って書いてみたのが『指づかい』です。そしたら、思った以上に売り上げがあった。そして、読者も男女で半々だったんです。ああ、女の子も読んでくれているのか、という驚きがあった」

『指づかい』(うかみ綾乃/幻冬舎)

「その次に出した宝島社の『窓ごしの欲情』は、女性向けに書いてくださいという依頼でした。そしてこれが賞(2011年日本官能文庫大賞新人賞)を受賞した。当時はすでに、深志美由紀ちゃんとか蒼井凜花ちゃんもデビューしていて、女性作家による女性読者のための官能小説というのもたくさんあった」

『窓ごしの欲情』(うかみ綾乃/宝島社)

私がエロから目を背けていた8年の間に、どうやら世間はずいぶんと様相を変えていたようです」

 手応えを感じていたうかみさんは、ここで腰をすえて官能小説と向き合ってみよう、と団鬼六賞の応募を考える。そして出来上がった『蝮の舌』は見事、第二回「団鬼六賞」大賞を受賞するのだった。

『蝮の舌』(うかみ綾乃/イースト・プレス)

 当作品は、そのエロティックな描写はもちろんのこと、人間関係の機微が細部の描写にまで表れており、うかみさんの腕を感じさせる。それはたとえば、使用人の政巳が想いを寄せる雇い主の京香に対して自室で酒を注ぐ、そんなさりげないシーンにも表れる。

「私もお酒をもらっていい?」
頷いて、政巳は台所の棚から湯呑み茶碗をひとつ取ると、流しで洗い直した。洗い終えて、棚にかけた布巾で拭きかけ、これも使って良いのか迷っているようだ。
 京香が何も言わずに眺めていると、政巳は結局ティッシュペーパーで茶碗を拭き、六畳間に戻ってきた。
(『蝮の舌』より)

「官能小説において、私はストーリーよりも人物造形が大事だと思うんです。その人がそのときどんなセリフを言うのか、どのようにためらうのか、どのように恥じらうのか、一挙手一投足にこだわることで臨場感が生まれる。たとえば茶碗を無造作に置く姿でも、その人が自信のない人だとしたら『強がっているんだな』とわかってエロスにつながったりする。

 汗一筋、糸くず一本、そういうものをどう描写して読者の目に浮かばせるか。脇に伝う汗を一緒に感じてもらえたら成功だな、と思って描いています」

 人物造形でいうと、デビュー作の『指づかい』では男性に見間違われる容姿を持った女性や太った女性が、『蝮の舌』では「垂れ下がった瞼」の下に「三日月のような三白眼」をもった気味の悪い使用人・政巳など、醜い人物が度々描かれる。その後2014年に出版された『ドミソラ』(幻冬舎)も太って醜い女性のコンプレックスが主軸に描かれる。彼女はそれをこだわりだと言う。

『ドミソラ』(うかみ綾乃/幻冬舎)

「コンプレックスって、エロスの核だと思うんですよね。自分に欠けているものを必死にもがきながらつかもうとする、みっともないけど一生懸命にならざるを得ない人、そういう姿こそエロティックだと感じる。そこにリビドーが燃え上がる瞬間があると思うんです。

 だから、たとえば『指づかい』に出てくる女性、冬木灯子は綺麗で人生も成功している人ですけど、どこか生きづらい性格を持て余していたりする。登場人物を決める際、その人の屈折した部分は何なのかを、最初に自然と考えています」

「生きよう」と懸命にもがく姿こそエロい、といううかみさんの作品は、命をかけて(ときに死を覚悟しながら)セックスをする場面が印象的だ。

「この間出した最新刊『蜜味の指』の感想に『うかみさんの作品なのに人が死なない!』とあって笑ってしまいました。たしかに、私の作品けっこう死にがちなんですよね。それはもう、私がセックスに何を求めているか、だと思います。私は、本当の意味で『ひとつ』になりたいんです。内臓も目玉もすべて溶け合って、一緒になってしまいたい。

 エクスタシーには『甘い死』という意味がありますけど、私にとってセックスとは性器の結合の話ではなくて、内臓同士の潰し合いであり癒着なんです

『蜜味の指』(うかみ綾乃/幻冬舎)

官能小説は「お約束」の連続だからいい

 野暮な疑問ではあるものの、たとえばうかみさんが理想とするような「内臓の潰し合い」のような抽象的なセックスを描こうとする場合、実用性に重きが置かれる「官能小説」というジャンルの中で描くことは足枷にはならないのだろうか。

「別に、官能小説を書こうと思って官能小説家になったわけではなく、大体のことがそうであるように、なりゆきなんですよね。目の前のことをやり続けていたら、そう呼ばれるようになっていた。なりゆきこそ最高の人生の理由だと思います。官能小説を書こう、と思って書いてるつもりもあまりない。わりと好きに書かせてもらっている気がします。

 ただその一方で、私は官能小説を紹介するコラムなども書いているので、毎月5冊は官能小説を読む生活を20年続けています。ページを開く前はいつもワクワクする。笑えるものもあり、凄まじい情動の描写にゾッとするもの、微笑ましいものと、作家さんや作品ごとに魅力は様々です。

 官能小説のよさって、バカバカしさにあると思うんですよ。たくさん読んでこそわかるのですが、このストーリー展開なら、濡れ場までの持っていき方はこうで、そろそろ3Pがくるな、って思ってたら、ちゃんと3Pが出てくる。この『お約束感』が愛らしいなって思うんですよね。

 吉本新喜劇のようなものです。島木譲二のパチパチパンチを出すために強引でもフリを用意して盛り上げる。書く側も読む側も、それをわかって楽しんでいる」

「もちろん、そういうテンプレートを崩そうとする作家もいます。セックスするかと思ったら、覗きで終わった、とかね。女性作家には、チャレンジングな作品を描く人も多いかもしれない。でも、たとえば紙雑誌で読んでる往年のファンの方は、昔からのお約束を楽しみにして読んでいるわけです。

 それに、挑戦しすぎたエロって抜けない、というのもあります。多くの人は安心した状態でないと自分を解放しきれませんから。アバンギャルドなエロってエロくないんですよ。ある程度道筋がわかっているからこそ、危ない人間関係や冒険的なセックスを楽しんで読むことができる」

官能小説は自分の倫理観を無視できる

 官能小説のテンプレート的なストーリーラインでいうと、不倫やハーレム、陵辱ものなど、世間一般の人間関係から逸脱した関係でのセックスも挙げられるだろう。うかみさんはそれも官能小説の「よさ」だと答える。

「そもそも、人の価値観なんて国や時代によって流されるものです。一夫一婦制の国もあれば、一夫多妻制の国もあり、その生まれ育ちで人間関係に対する考え方は変わってくる。だから、いま自分が断固として『ダメ』だと思っていることも、理想なり矜持なりでも、いっときの思い込みかもしれない。でも、人間には本能という確かなものがあります。その部分を批判的に描かないのが官能小説です。

 たとえば、純文学を読むときって、自分の倫理観や価値観と一度向き合わないといけないですよね。私は子どもの頃、村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだとき、遊んでいるように見える少女の『みんなから非処女だと思われているから、私は逆に意地でも処女を貫くの』というようなセリフがあって、それにいたく感動したことがあるんですね。私もまさに周りの人たちからいやらしく否定的な目で見られて、それに対して屈折したプライドを育てていた時期ですから。この少女は私だ、私は一人じゃなかったんだ、と孤独から解放された。それは、私が自分の倫理観や正義と向き合って悩んでいたからこそ、感動できたんです」

「一方で、官能小説って、そういうのはどうでもいいんです。倫理観なんてどうでもいいから、本能の赴くままに気持ちよくなりたい。たとえ誰にも許されなくても、こんなことがしたい、こんな自分になりたい、という欲望がそのままに描かれている。日常の倫理観の延長線上にはない世界軸です。現実だったら社会的な制裁を受けてしまうような、そんな危険と隣り合わせのセックスの『意味』を考えなくていい。自分と向き合わなくていいんです。だって、向き合うとバカになれませんから。

 どちらがいいという話ではなく、描こうとしているものが違うだけです。そして私は昔から、そういうバカバカしくて、お約束や様式美のあるエロに救われてきたんです。音楽はひとりで聴くものだし、エロもひとりで感じるもの。自分はバカでもひとりでもいい。でも、ひとりきりではないのかもしれないな、と、読者が感じるような作品を書いていきたいんです」

取材・文=園田もなか 写真=宮本七生

【プロフィール】
うかみ綾乃
うかみ・あやの●奈良県在住。アーティスト活動を経て、官能小説家としてデビュー。2011年、『窓ごしの欲情』で日本官能文庫大賞新人賞を受賞。2012年には『蝮の舌』で団鬼六賞大賞を受賞する。性愛を通じ、人間を描くことのできる実力派として活躍中。
公式ブログ http://ukamiayano.blog.fc2.com/
公式サイト https://www.ukamiayano.com/