安藤さんの予防接種中に次々お客さんが…私はスタッフじゃないんですけど/『高遠動物病院へようこそ!』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/19

独立したてのWEBデザイナー日和は、姉夫婦から頼まれ、2年間だけ雑種犬「安藤さん」と暮らすことになった。安藤さんの予防接種のため、初めて訪れた動物病院は、診察券すらなくスタッフは獣医の高遠のみで…。
待望のシリーズ2巻が11月15日に発売!

『高遠動物病院へようこそ!』(谷崎泉:著、ねぎしきょうこ:イラスト/KADOKAWA)

 追いかけて様子を見たいけど、またあの仏頂面で「なんだ?」と聞かれるのが厭(いや)で、カウンターの内側まで入り込んで、奥を覗き込むようにしながら様子を窺っていた。もしも安藤さんの鳴き声なんかが聞こえて来たりしたら、どんなに怖くてもすぐに駆け込むつもりでいた。

 安藤さんに何かあったら、絶対助けなくてはいけない。姉から預かっている責任があるし、私自身、安藤さんをひどい目に遭わせる奴は許せない。

 しかし、実際、高遠先生が安藤さんをひどく扱うはずはなかった。高遠先生にとって、私と安藤さんのどちらが大切なのかはその表情や態度から明白だ。ひどい目に遭うのは安藤さんでなくて、私の方だろう。

 などと考えていると。

「こんにちは」

 背後から声が聞こえ、振り返ってみると、ケージを持った女性がドアを開けて入って来ていた。反射的に「こんにちは」と返した私に、「あの」と話しかけてくる。

「初めてなんですけど、フィラリアの検査と薬をお願いしたいんです」

「え…」

 もしかして、私を病院のスタッフと間違えている? 確かに、安藤さんが心配で、奥まで入り込んでいたものだから、無理はない。慌てて待合の方へ戻って、「違うんです」と否定しようとしたところ。

「すみません」

 またしてもドアが開き、今度は親子と思しき二人連れが、リードをつけたフレンチブルドッグを連れて入って来た。そして、また。

「初めてなんですけど…」

 と、私に話しかけて来たのだ。いや、違う違う。私はスタッフじゃないのでと説明しかけたものの、これは高遠先生に知らせて対応して貰った方がいいだろうと思い、「ちょっと待って下さい」と言ってから、奥へ入って行った。

 安藤さんの様子を知りたかった私にとっては都合がよくもあった。「あのう」と声をかけながら、壁の向こう側へ回り込むと、そこにはガラス張りの診察室があった。中央に診察台があり、安藤さんはその上で高遠先生に聴診器を当てられている。

 邪魔をしては悪いかなと思ったが、用事があるのだから仕方がない。診察室のドアを開けて、「すみません」と切り出した私を、高遠先生は鋭い目でぎろりと睨んだ。聴診器の片方を外し、不機嫌そうに「なんだ?」と聞く。

「いえ、その…患者さんが来てるんですけど。誰かいませんか?」

「誰かって?」

「先生の他のスタッフさんは…」

 午前中に病院を訪ねた時に会った彼を頭に浮かべて言ったのだが、高遠先生はぶっきらぼうに答える。

「いない。俺一人だ」

「えっ…」

 じゃ、彼は何者だったんだろう。首を傾げながらも、一人でやってるというのに驚く。病院ってワンオペで出来るもの? いやいや、出来ないよね。だって、今現在、診察中の高遠先生は新しい患者さんの相手が出来ていない。

 なら、どうしたら…。

「あー…じゃ、待ってて貰ったらいいですか?」

「カウンターのところに問診票があるから、書いて貰っておいてくれ」

「分かりました」

 問診票って…私、書いた覚えないなあと思いつつ、診察室を出て受付の方へ戻る。診察されていた安藤さんはいつもと変わらない様子だったし、高遠先生は丁寧に診てくれているようでもあったので、心配は必要なさそうだ。

 高遠先生の言った問診票というのはすぐに見つかった。カウンターの内側には受付業務が出来るような机があり、そこにバインダーと共に問診票が用意されていた。それを二組用意し、待っている飼い主さんに渡す。

「これに記入して下さいということです」

 バインダーを受け取った飼い主さんたちはばらばらの椅子に座って書き始める。椅子は三つで、やってきたのは三人だから埋まってしまった。

 私は仕方なく、カウンターの内側へ戻り、受付の椅子に座って記入を始めた。飼い主の名前と連絡先、犬の名前と生年月日、種類。安藤さんの場合、事情があって生年月日は分からないので空欄で、種類は雑種と記入する。

 あとは人間でもあるような、体調で悪いところやアレルギーの有無などを尋ねる項目が続いた。分かるところだけ記入し、最後の備考欄に「狂犬病の注射をお願いします」と書き込んだ。

 これでいいかな。問診票を見直していると、記入を終えた飼い主さんたちが「お願いします」と言ってバインダーを持って来る。私はスタッフじゃないんだがと困りながらも、とりあえず受け取って机の上に置いた時だ。

 背後で診察室のドアが開く気配がし、安藤さんを連れた高遠先生が現れる。先生は安藤さんのリードを私に預けながら、何気ない口調で聞いた。

「次は?」

 次って…ええと、今、問診票を持って来た人が先に来たから…。

「この方です」

「入って貰って」

 机の上へ置いたバインダーを反射的に渡すと、高遠先生はそれを見ながら私に指示する。え…? 今、なんて言った?

「あ、の…」

 私は飼い主なんですけど? そう突っ込む間もなく、高遠先生はバインダーを持ってさっさと診察室へ戻って行ってしまう。

 おいおい、ちょっと待て。心の中では激しく戸惑いながらも、仕方ないかという思いが生まれた。そもそも一人で病院を切り盛りするなんて無理な話だ。たいしたことじゃないし、目くじらを立てるべきじゃない。大人な考えでもって、先に来た女性に声をかけ、診察室へどうぞと勧める。

 彼女が診察室へ入って行くと、戻って来た安藤さんに声をかけた。

「安藤さん、大丈夫でしたか? 注射したんですよね? 痛くありませんでしたか?」

 椅子の横でお座りしていた安藤さんはきょとんとした顔で私を見る。心配は無用ですよ。全然大丈夫です。そんな風に言ってるようで、ほっとした。

「ちょっと待ってて下さい。お金を払わなきゃいけませんし」

 高遠先生しかいないのだから、会計も先生の手が空くのを待たなきゃいけない。今入っていった患者さんの次も続けて診るのかな。だとしたら、ちょっと時間がかかりそうだなとになりかけた時。

 また患者さんが入って来た(ひゃー)。

 

 受付に座っているのだから、新しい患者を連れた飼い主さんは当然のように私のところに来る。困ったなと思いつつも、説明するよりも、問診票を挟んだバインダーを手渡して記入をお願いする方が早いと思い、さっきと同じようにした。

 しかし…。鈴木履き物店という看板がかかったままのここは、一見しただけでは動物病院だとは分からない。ドアの横に高遠動物病院と書いてはあるけど、立ち止まってよく見ないと分からないような小さな文字だ。

 なのに、こんなに続けて患者さんが来るのって、もしかすると、高遠先生は優秀な獣医師なんだろうか。新たに来た飼い主さんから問診票を受け取り、「お待ち下さい」なんてスタッフみたいな言葉をかけてから、意を決して診察室へ向かった。

 このままでは、エンドレスでスタッフの振りを続けなきゃいけなくなる。高遠先生が一人で大変なのは分かるけど、初めてここを訪れた飼い主の私に協力する義理はない。

 そもそもこれまではどうしていたんだろう。不思議に思いつつ診察室を覗くと。

「……」

 ガラス張りの診察室の中で、高遠先生はひどく難しい顔で腕組みをして飼い主さんに何か話していた。診察台の上にはケージに入っていたらしい茶色のミニチュアダックスがいる。それを支えて、高遠先生と会話している飼い主さんの顔は引きつっているように見えた。

 もしかして…深刻な話でもしてるのだろうか。確か…何かの検査と薬が欲しいって言ってたような…。難しい病気だったりするのかなと心配になり、診察室のドアを開けるのに躊躇した。

 けれど、ここは病院なのだし、遠慮していたらきりがない。息を吸って、ドアを開ける。

「すみ…」

「もう結構です!」

 女性の尖った声が聞こえ、目を丸くする。え? なんで怒ってるの? びっくりする私の前で、女性は診察台に載せていたミニチュアダックスを抱き上げてケージへ戻した。そのケージを引っつかみ、ドアの傍にいた私を押しのけるようにして診察室を出て行く。

 女性は明らかに怒っていた。しかし、その理由が分からない。治らない病気だと言われたんだろうか。けど、だったら怒るよりも哀しむんじゃ?

「ど、どうしたんですか?」

 何が起きたのかと聞いてみると、高遠先生は仏頂面で肩を竦める。

「フィラリアよりも先にダイエットを勧めようとしたら断られたんだ」

「ダイエットって…」

 つい人間の方を思い浮かべてしまい、不思議に思う。ダイエットなど必要とは思えない、ほっそりとした女性だったのだ。だが、高遠先生の診察対象は動物である。

「あの犬ですか?」

「ああ。かなりの肥満で、歩行にも支障を来してたんだ。ミニチュアダックスは股関節の弱い犬種だから太らせるのは厳禁だ。なのにどうして太らせるような真似をするのか理解出来ん」

 確かに、ミニチュアダックスって脚が短いし、太ったりしたら歩きにくそうだ。診察台の上にいるのをちらりと見ただけだから分からなかったけど、犬にも肥満ってあるんだなと感心しながらも、「ん?」と首を傾げる。

 適正体重の倍以上もあって、獣医から注意を受けたら、飼い主としても心配なはずである。それなのに、怒って出て行ったのは…。

 高遠先生の言い方が悪かったんじゃないだろうか?

「食事制限とかを勧めたんですか?」

「与えているフードの種類を聞いたら、名前を覚えていないっていうし、量は欲しがるだけあげてるっていうから、ローカロリーのフードに替えて量を決めて与えるように言った。そしたら、おやつはいいんですかってアホなことを聞くんで、犬を早死にさせたいのか確認した。長生きして欲しいって言うから、バカな飼い主のせいで病気になって早死にするパターンを幾つか説明してたら、途中で向こうが結構だって言ったんだ」

「……」

 うわあ。悪びれもせず、淡々と説明してるところが悪い。アホとか、バカとか、本人にも直接言ったんだろうな。さっきの人はきっと、二度と来ないだろう。引きつった笑いを浮かべる私に、高遠先生は。

「次の人、入って貰って」

「っ…?」

 しれっと命じてくるものだから、唖然としてしまう。やっぱり、この人、ちょっと問題を抱えてるのかもしれない。

「あの、私は飼い主なんですが…」

「……。ああ、そうだったな」

「うちの犬はもう終わったので、会計をお願いしたいんです」

「会計か。狂犬病だったな?」

「……。注射、打ってくれたんですよね」

「もちろん。注射は打ったんだが…狂犬病は書類を作らなきゃいけないんだ。ちょっと待ってくれないか」

「…分かりました」

 書類の作成に時間がかかるというのは仕方がなくて、引き下がるしかなかった。しかし、頷いて戻ろうとした私に、高遠先生は。

「次の人を呼んでくれ」

「……」

 いや、だから。

<第6回に続く>

●谷崎 泉:1月9日生まれ
子供の頃からずっと犬のいる生活を送っています。
今は黒柴とキジトラ猫と共に暮らしています。