明智光秀の義理の妹が生きていたら「本能寺の変」は起こらなかった!?/『誤解だらけの明智光秀』②

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/12

歴史は時としてウソをつく。「そんなバカな」と思う人こそ、要チェック!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢されて、大注目の明智光秀。東京大学史料編纂所で歴史研究に勤しむ本郷和人教授が明智光秀が生きた戦国時代の“リアル”を愉快に解説します!

『誤解だらけの明智光秀』(本郷和人/マガジンハウス)

信長と光秀をつなぐ、謎の美女がいた!

 信頼性の高い史料『多聞院日記』の天正九年(一五八一年)八月の記述に、以下のようなものがあります。

「八月、光秀の妹である御ツマキが亡くなった。信長がとても気に入っていた人だった。光秀は、比類なきほど力を落としていた」

 この「光秀の妹」は、光秀の奥さん・煕子さんの妹だと言われています。つまり、亡くなったのは実の妹ではなく、義理の妹でした。にもかかわらず、比類なきほど力を落とすというのは、少々オーバーなのではないでしょうか?

 この女性は、織田信長の使者として奈良へ出向き、興福寺と東大寺の調停役を務めたという記録もあります。信長から強く信頼された、非常にデキル女性だったということでしょうか。

「本能寺の変」の一年前、光秀は織田信長に取り立てられたことを感謝し、褒め称える手紙を書いています。ところが、その二カ月後に御ツマキさんが亡くなり、光秀は比類なきほど力を落としました。そして、その十カ月後に信長を討ったわけです。

 もしかすると、御ツマキさんは、怒りっぽい信長を「まあまあ、そう怒らずに」と上手になだめ、光秀との仲をうまく取り持っていたのかもしれません。その御ツマキさんの死が、信長と光秀の関係悪化を決定的にしたのかもしれません。彼女が生きていたら、「本能寺の変」は起こらなかったのでは、という説もあるくらいです。

妻の妹、御ツマキは、信長にとって特別な人だった。
その死で、信長と光秀をつなぐ太いパイプが断たれてしまったのかもしれない。

<第3回に続く>