テーマをうまく見いだせば8割は完成する! AI時代に高まるテーマ選択の重要性/書くことについて⑦

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公開日:2020/12/16

「文章を書く」とは、「自分の考えを伝える。意見を言う。主張を述べる」ことに尽きる。長年にわたりベストセラーを多数書き上げた作家・野口悠紀雄氏が、自らの「書くことについて」を解き明かした新時代の文章読本。「日々の継続」を「驚くべき成果」に変える文章法がここに…!

書くことについて
『書くことについて』(野口悠紀雄/KADOKAWA)

第2章 テーマをどう見つけるか?

 書籍のテーマが、あらかじめ決まっている場合には、執筆は比較的楽です。

 しかし、実際には決まっていない場合が多いでしょう。こうした場合に重要なのは、伝えたいメッセージを見いだすことです。「テーマを探し出すこと」が、文章執筆の第1歩です。

 テーマは、基本的には「考え抜く」ことによってしか見いだせませんが、この章ではそれを補助する仕組みを提案します。とくに重要なのは、「クリエイティング・バイ・ドゥーイング」です。

1.テーマを見いだすことこそ重要

テーマ探しは金脈を探すようなもの「うまく見つかれば8割は完成」

 文章を書く場合にまず最初に必要なのは、「そもそも何について書くのか?」を決めることです。

 私は、『「超」文章法』(中公新書、2002年)において、「問題を捉えることが最も重要」と書きました。そして、それが8割の重要性を占めているとしました。

 このことはいまでも正しいと思っています。

「何について書くか?」、「何を目的にするのか?」という「テーマの選択」、あるいは「目的の選択」こそ、最も重要です。

 これは、創造活動の第1歩です。適切なテーマが見つかり、問題を設定できれば、仕事は8割はできたといっても過言ではないでしょう。

 物書きにとって、「テーマ」とは金鉱のようなものです。それをうまく探し当てられれば、そこを採掘することによって、大量の金を掘り出すことができます。

 アルキメデスは、「我に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせる」といったそうです。文章を書く場合に当てはめれば、「我にテーマを与えよ。そうすれば世界の常識を覆してみせる」ということができます。

 逆にいえば、金脈がないところをいくら掘っても、金は掘り出せません。採掘の努力は徒労に終わるのです。

 金鉱は、地表からはなかなか見つかりません。大量の金が埋蔵されている金鉱を見いだすことは、物書きにとって、最も重要なことです。

 組織の一員として仕事をしている場合、「何をすべきか」についてのおおよその方向付けは、上司の判断などによって決められている場合が多いでしょう。しかし、その枠内においても、それをどのような観点から見て、どのように処理するかということについては、あなた自身の判断が重要なはずです。

「よい質問」をすることが重要

 私がアメリカに大学院生として留学したときに最も印象的だったことの1つは、教授が学生の質問に対して、「それはよい質問だ」としばしばいったことです。

 アメリカの学生はよく質問します。その質問がよい質問か、平凡な質問か、あるいは悪い質問かの評価をされるのです。

 日本の学校では質問をする学生がそれほど多くないので、教師からこうした反応を聞くことはありません。そのため、「よい質問だ」というコメントは、大変新鮮な印象でした。

「よい質問をした」ということは、「よい問題を捉えた」ということです。つまり、「探求すべきテーマを見いだした」ということです。ですから、「よい質問をする」のは、大変重要なことなのです。

 教授自身が、学生の「よい質問」に触発されて、何かを思いついたこともあるのではないかと思います。

 私は、日本に帰ってきて大学で教えるようになったとき、学生からできるだけ多くの質問を受けるようにしました。そして、その質問をメモしていました。質問に触発されて私が思いついたことを、メモしていたのです。

問題だけを残した人も数学に寄与した

 問題を設定して、その答えを書かなかった人もいます。

 最も有名なのはピエール・ド・フェルマー(1607年-1665年。フランスの裁判官)です。

 フェルマーの最終定理と呼ばれるものは、「3以上の自然数nについて、xn+yn=znとなる自然数の組(x, y, z)は存在しない」という命題です。フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって初めて完全に証明されるまで、この命題が正しいかどうか分からなかったのです。

「問題を設定できれば答えを見いだすのは簡単」といいましたが、どんな場合にもそうであるわけではないのです。

 数学には、「○○○予想」といわれるものがいくつもあります。問題だけで、それが正しいかどうかの答えがいまだに見つからないのです。しかし、こうした問題が数学を進歩させたことは間違いありません。質問こそが重要なのです。

テーマに関する需要と供給の法則

 書籍や論文のテーマであれば、需要が大きいもの、つまり、多くの人が必要であると考えているもの、あるいは多くの人が関心を持ちそうなものを選ぶというのが、多くの著者の選択です。

 しかし、そのようなテーマに対しては、供給も多いのが普通です。そこで、供給側の条件、つまりあなた自身の相対的な位置を考える必要があります。

 多くの人が書けるようなものを書いても、大量の供給の中に埋もれてしまうでしょう。その逆に、あなた以外の人には書けないものを書くことができれば、大変有利な立場に立つことになります。

 現代の世界では、インターネットの反応を全く無視するわけにはいかないので、ツイッターなどの「いいね」の数を無視するわけにはいきません。霞を食って生きている仙人であればともかく、世の中の動向を全く無視して超然としているわけにはいかないのです。しかし、私は、それに振り回されることがないように努力しています。

 需要が大きいものに対応することは必要です。しかし、それだけでなく、自分がどのような供給ができるかを考えることも重要です。この両者の調和が必要なのです。

 なお、多くの人が関心を持っていることについて、一般にいわれていることが間違いであるとか、観点を変えれば全く別の結論が出てくるといった場合があります。多くの人の考えをただ受け入れるのではなく、それにチャレンジすることが必要です。

 事実そのものに関する情報は、いまやウエブの検索をすればいくらでも得られます。そんなことを述べてもしようがありません。それに、事実に関しては、現場にいる人のほうが詳しく知っているのは間違いないことです。2次情報や3次情報を広げたところで、価値は少ないでしょう。

 事実に関する2次情報を、あなたが書く必要はありません。リンクすればよいだけのことです。

 しかし、その事実の意味、背景、解釈、あるいは将来における予想などを述べるのであれば、価値があります。そうしたことにこそ、力を注ぐべきです。

 なお、「問題の設定こそ重要」というのは、書籍や論文の執筆に限ったことではありません。「何をしたらよいのか?」、あるいは、「そもそもどんな職業に就いたらよいのか?」ということこそ、最も重要な選択なのです。これらの選択に関しても、先に述べたこと(需要、供給の両面を考慮する必要がある)がいえます。

AI時代に「テーマ選択の重要性」は高まる

 ITの進歩によってもたらされた大きな変化は、テーマさえ見つけられれば、それに関する情報を探し出すのが簡単になったことです。

 30年ほど前までであれば、テーマを見つけたとしても、それを掘り下げていくための情報を得るのは、容易なことではありませんでした。そのためには、書籍や雑誌などを参照しなければならなかったのです。

 しかし、いまでは、そうした情報は、ウエブを検索することによって簡単に集まるようになっています。とくに統計データについて、そのことがいえます。また、海外の論文へのアクセスも、グーグルスカラーによって可能となっています。

 ただし、ウエブで得られる情報は断片的なものが多く、ものの考え方、とくに基本的なものの考え方について、ウエブが適切な情報を提供してくれるのかどうかは、大いに疑問です。

 第1章の2で紹介したように、AIによって自動的に文章を書くアプリも、すでにインターネットで提供されています。実際、スポーツ記事などについては、AIが書いた記事が配信されています。一般的な文章については、現在のところ性能が悪く、ほとんど実用にならないのですが、将来は進歩するかもしれません。

 しかし、こうした機能を利用するためには、「何について書くのか」というテーマを与える必要があります。

「何について書くのか」、「どのような観点から書くのか」は、著者が決めなくてはならないことです。それについての重要性は、AIの時代に高まるでしょう。

<第8回に続く>