なぜか後ろにいる人に笑われる…普通の子どもらしく“遊び”に出た半郎だったが…/板倉俊之『鬼の御伽』④

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/9

お笑い芸人・板倉俊之(インパルス)が、新解釈で新たな御伽噺を紡ぐ最新作『鬼の御伽』(ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)。本連載では、有名な童話「泣いた赤鬼」を、オリジナル要素をふんだんに盛り込んで新たなエンタメに昇華させた「新訳 泣いた赤鬼」の冒頭を5回に分けて試し読み。

鬼の御伽
『鬼の御伽』(板倉俊之 :著、浅田弘幸:装画/ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)

 目の前を、お河童頭の女の子が横切った。

「風が吹いてくるほうに走ると、もっと回るよ」

 教えてやると、女の子は素直にそれを実行し、「わあ」と大きな声を上げた。

 頰に心地いい風を受けながら、半郎は北側を眺める。門の脇には厩舎があり、外にも二頭の牛が見えた。門とこの丘のあいだは広場になっており、村人たちが作物や着物や陶器などを売り買いしている。

 東側に首を回した。村の議会などで使用される、立派な平屋が見える。隣には煙突から煙を上げる、鍛冶工場が林立している。

 南側を振り返った。村人たちが寝起きする居住区が広がっている。真ん中にある長老の屋敷の三階部分は、ここからでも見上げる恰好になる。

 西側を振り向いた。眼下を横断する水路の向こうに並んだ田畑では、村人たちが生き生きと農作業に励んでいる。上流側の牧畜場には牛や豚の姿が認められるが、さすがに鶏の姿までは見えなかった。

 無意識に、半郎は微笑んでいた。この美しい風景を守るためなら、僕は何度でも戦える。

 田圃の奥に広がる訓練場に、人影があることに気がついた。一心不乱に剣を振っているのは、雷閃に違いなかった。

「もう一人稽古を……」

 戦闘後、すぐに休める半郎とは違い、雷閃には長老への戦果報告が義務づけられている。当然まだ休んでいるだろうと考えて、こうして時間潰しをしていたのだが、どうやら見当違いだったようだ。

 丘を下り始めたとき、後ろから無邪気な笑い声が聞こえてきた。

 振り返ると、お河童頭の女の子が、半郎を指さしていた。ほかの子どもたちもこちらを見て笑っている。

「かお」

 満面の笑みを浮かべて、女の子は言った。

 自分の顔がそんなに変なのか、それとも泥でもついているのか、半郎にはわからなかったが、袖で顔を拭い、笑い返した。

 前に向き直ると、また背後で笑いが起こった。

 気にせず斜面を駆け下り、水路をぴょんと飛び越えた。そのまま田圃のあいだの畦道を駆けていく。農作業中の村人が声をかけてきたので、走りながら手を振って応じた。村人の横を通り過ぎたあと、なぜかまた笑い声が聞こえた。

 木人が並べられた訓練場に、やはり雷閃はいた。

 細身だが筋肉質な上半身を曝け出し、自らを痛めつけるかのように、絶え間なく真剣を振りつづけている。

「雷閃殿」

 その横顔に声をかけた。雷閃の手が止まり、顔だけがこちらを向く。

「おう、半郎」

「羽織をお返しに上がりました」

 半郎は立ち止まり、背負っていた風呂敷包みを差し出す。

「いつでもかまわんのに、律儀な奴だ」

 笑いながら白い羽織を取り出すと、雷閃は手近な木人に引っかけた。彩音に言われるまで忘れていたことは黙っておいた。

「ゆうべあんなに戦ったから、まだお休みかと」

「ああ。あの程度で息を上げているようでは、俺もまだまだだからな」

 雷閃の右胸、そして肩甲骨のあたりには、手裏剣みたいなかたちをした傷跡がある。かつて一本角と対決したときに、鎧ごと貫かれたのだそうだ。

「お前こそ、まだ寝ていたほうがいいんじゃないのか?」

「自然に目が醒めちゃいました」

「そうか」

「あの、僕にも稽古をつけてくれませんか?」

 村の平和を維持するためには、遊んでいる時間などないのだ。遊びに行くと彩音に告げたのは、半郎に「普通の子どもとして生きること」を望んでいる姉への気遣いだった。

「体術ならいいぞ。ちょうど剣に飽きてきていたところだ。何より、お前に剣術は必要ないだろうしな」

 鬼化して戦うときでも、半郎本人の運動能力や技術は反映される。雷閃もそれを理解しているのだ。

「では、お願いします」

 雷閃に背を向け、半郎は距離を取る。と、雷閃が大笑いした。半郎は振り返る。

「何が可笑しいのです?」

「わからんか」

「はい。今日はなぜだか、後ろにいる人に笑われるんです」

 雷閃は脇差を抜き、両手にそれぞれ刀を持った状態で近づいてくる。そして半郎の頭を横から挟むようにして、二本の刀を宙に静止させた。

「見えるか?」

 目の前の刃に反射して、後ろの刃が見える。そこには半郎の後頭部が映っている。地肌が三か所露出しており、それらは二つの目と笑った口みたいな形をしているのだった。

「やったな、姉上め!」

 半郎の叫び声が響き渡る。

「彩音の奴、面白い女だな」

 雷閃はまた笑った。

 柵の向こうには、むせかえるような緑が広がっていた。

<第5回に続く>