私を救い回復へと導いてくれた、ひとつの欲求/料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。②

食・料理

公開日:2021/5/20

料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』から厳選して全8回連載でお届けします。今回は第2回です。36歳のときにうつ病を患い、料理だけができなくなってしまった食文化ジャーナリストの著者。家庭料理とは何か、食べるとは何かを見つめなおした体験的ノンフィクションです。

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料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(阿古真理/幻冬舎)

恐るべき食い意地

 自慢ではないが、私は食いしん坊である。子どもの頃は、食べることが何よりの楽しみだったし、本やアニメ番組は、食べるシーンばかりいつまでも覚えている。

 よく知られているアニメの場面と言えば、『アルプスの少女ハイジ』での、おじいさんが火にかざしてとろけさせるチーズのかかったパン、ハイジがペーターのおばあさんに食べさせたかった白パン。『はじめ人間ギャートルズ』に、しょっちゅう出てくるマンモスの肉などがある。昭和の子どもで、これらが好きだった人は多いだろう。でも私の記憶に残る食べものの場面は、もっとたくさんある。

 それは児童文学や小説に出てくる。特に英語圏の文学には、なぜか食べものの描写が多い。たぶん、アガサ・クリスティの推理小説だったように思うが、よく登場したのが、ローストビーフに添えられるヨークシャープディング、シェパーズパイ。どんな食べものだろうと妄想したものだ。

 お茶の時間の場面にお菓子がたくさん並べられている描写もあり、特に『赤毛のアン』シリーズは、お菓子だらけだった。お菓子と洋服の描写が続く中に、物語が埋め込まれているような印象すらある。『小公女』や『マッチ売りの少女』『ヘンゼルとグレーテル』『アラジンと魔法のランプ』に出てくるごちそうも、食べてみたかった。

 

 食べることへの関心がやたらと高いので、「食欲がない」という経験がほとんどない。だから高校2年生の夏、お腹にくる風邪で食欲を失い2キロやせたときは、初めて食べられない病気になった自分に感動したりした。何しろ周りには、細いくせに体重増加を心配して、「ダイエットしなきゃ」「甘いものセーブしなきゃ」とばかり言う同級生がたくさんいたのだ。いつでも大きめの弁当箱の中身を平らげ、さらに売店へおやつを買いに行く自分は、きっと女の子らしくないのだろうと感じていた。

 しかし、うつを患った私の命を救い、回復へと導いてくれたのはきっと、その食い意地だったのだと思う。うつは、欲望が失われていく病気である。食欲を失う人も多いと聞く。私も、何を食べたいかすらわからない状態だった。それでも、朝目が覚めたらお腹が空いているし、12時頃になると空腹を覚えるし、夕ご飯だって食べたかった。

 スナック菓子やせんべいなどは、台所に常備していた。うつですっかり冷え性になってしまったため、冬場はチョコレートが手放せなくなった。温かい飲みものも体を温めてくれるが、お湯を沸かす手間がかかるし、お腹がタプタプになってしまうので、飲み続けるわけにはいかない。しかし、チョコレートの1粒2粒なら、気軽に何回でも口にできる。体がふんわり温まるし、その濃厚な甘さが心を癒してくれる。

 チョコレートの医学的作用はわからない。しかし、きっとうつには役立つ。そう思わされるシーンが『ハリー・ポッター』シリーズにある。

 ちょっと回復した頃、私は児童文学のファンタジー作品から読書を再開したのだが、その頃次々と刊行されて話題になっていた『ハリー・ポッター』シリーズも全巻読んだ。その中で、吸魂鬼(ディメンター)という、人の魂を吸い取るファンタジー界の生きものが登場する。そいつに出会って心が冷えた人は、チョコレートを食べると回復するのである。生きる希望を失わせる吸魂鬼は、たぶんうつの象徴だと思う。

 食欲の話だった。最初の数年間、治療にあたってくださった内科の先生は、診察のたびに脈を測って「食欲は?」と尋ねた。そのたびに、「あります」と答える自分が、バカみたいな気がする。こんなにしんどくて、何も楽しくないのに、お腹だけは空いてしまうからだ。

 夫が仕事に追われて、なかなか食事の支度ができないときも、だんだん耐えがたくなってくる空腹感が恥ずかしい。つくれないし、せかすのも悪いような気分になる。

 なぜ私はお腹が空くのだろう。なぜがまんができないのだろう。それに、健康だろうが病気だろうが、空腹になるとイライラする。うつになってからは、お腹が空いた自覚がなくても、何だか気分が落ち込むようになった。

 そういう私のパターンにやがて気づいた夫は、一緒に出かけて夕方になり、私がダメな気分になってきたとみると、「何か食え」と言うようになった。何しろ空腹の私は、いつも以上にグズグズとうざいのである。

 

 毎日毎日、お腹は空く。たとえ今が死にたい気分でも、明日に何の希望もなくても、仕事でやってみたいことも、遊びに行きたい先もなく、会いたい人もおらず、叶えたい夢を何にも思いつかなくなってしまっていても。

 なぜ何も希望がないと言いながら、食べて生きていたいと体は望むのか。なぜ自分は空腹に耐えられないのか。あの頃、自分の中に残ったわずかばかりの欲望の最大のものが、食欲だった。その原始的で制御が難しい欲望だけが、私を明日へと導く力となった。料理がどうこうと考えるより前に、食べることが大事だ。料理は、食べるためにつくるものなのだから。

 人は、食べるために生きることも、生きるために食べることもある。食欲は、生きるうえで最も基本的で、そして何よりも大切な欲望である。それは時に、その人の命綱となる。

 子どもの頃、毎週の放送を楽しみにしていたテレビアニメの『銀河鉄道999』で、主人公の鉄郎と同伴者のメーテルが、危険な星へ降り立つ前に食堂車へ行くシーンがあった。ステーキをぱくつく鉄郎を見て、メーテルが「食欲があるのはいいことよ」と話す。緊張や怖れのため食欲を失い、戦闘時の体力が続かず倒れる人を、彼女はたくさん見てきたのだろう。

 その場面を心に刻んだからというわけではないが、私はその後、早朝に起こった阪神淡路大震災の当日も、いつものようにトーストを焼き、紅茶を淹れて飲んだので、母からあきれられた。

 そのときは、直前の連休中にスキー旅行で借りた部屋で連日和食の朝食だったため、いつものトーストの朝食が欲しかったのだ。それに、先が見えないからこそ、食べられるときに食べておきたいと思った。「よくこんなときに食べられるわね」と母に厭味を言われたが、そんな風に時間が来たらお腹が空く体に育てたのは、毎日主婦として台所に立ち、規則正しい食生活を提供してくれた母なのである。塾に行っていた小学校高学年のとき以外、わが家は毎日、夕食は午後6時半と決まっていた。父が仕事でいないときも、ほかの家族は同じ時刻に食卓を囲んできたのである。

 そういう習慣を高校時代まで守ってきたため、私は毎日とても健康的にお腹が空く。つまり、朝目が覚めたらお腹が空き、お昼どきになったらお腹が鳴り、夕方になると空腹を覚える。朝寝坊が習慣化した大学時代など、10時や11時に朝ご飯を食べていたくせに、12時を過ぎると、もう母親に「お昼まだ?」と聞いて「あんたは食べてばっかり!」と嘆かれた。大きななりをして手伝おうともしないくせに、お腹を空かせる娘。そりゃあいら立つだろう、と料理する生活を送る今ならわかる。

 たぶん、私の生命力は、食べる欲望で維持されてきたのだと思う。死にたい衝動が何度やってきても、生きていても何も楽しくないと思っても、体が動かなくても、鳴ってしまうお腹が私を守ってくれた。

 食べないと機嫌が悪くなるのはやっかいだし、そのことで困る場面もあるだろう。でも、体の衝動を自覚できることは大事である。どんなに文明が進化しようが、生きものである人間は、食べものを通して栄養とカロリーを摂らないと生きていけないことに変わりはない。食べものの香りで食欲を高め、味わい咀嚼することが、自分の体と心を守ってくれる。食べるものは、食べる人の命を守ってくれるのだ。

<第3回に続く>