甲子園出場は一度きり…。高校野球界の“一発屋”で終わるチームに欠けているもの/「一生懸命」の教え方

スポーツ・科学

公開日:2021/8/21

我慢強さがない、打たれ弱い、すぐにあきらめる…。そんな「今どきの子ども」との向き合い方に、悩んでいませんか?

甲子園の常連校・日大三高を率いる名将・小倉全由(まさよし)監督が実践するのは、選手に「熱く」「一生懸命」を説く指導。その根底にあるのは、「人を育てる」ことでした。
個を活かし、メンバーの心をひとつにまとめあげ、強力な集団に変えていく方法とは――?すべての指導者に知ってほしい、本当のリーダーのあり方を教えます。

※本作品は小倉全由著の書籍『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』から一部抜粋・編集しました

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「一生懸命」の教え方
『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』(小倉全由/日本実業出版社)

「毎年、甲子園を狙う」チームと、そうでないチームとの差とは

 ひとつの壮大な目標があるからこそ、人はそれに向かって邁進できる。

 どんなに時代が変わろうとも、人が成長していくうえで持ち続けなければならないものが「明確な目標」です。私たちの場合で言えば、「甲子園に出場する」。これを目標に掲げることによって、途中でどんな困難な状況が訪れたとしても、それを乗り越えていくための力へと変えていくことができるのです。

 

監督の姿勢でチームはひとつにも、バラバラにもなる

 甲子園出場を狙えるような好素材の新1年生が多く集まった場合、「2年先の甲子園を目指して、3年計画でチーム作りをしていく」と考える指導者もいるようですが、私はそうした考えはいっさい持たないようにしています。

 3年生であれ、2年生であれ、彼らは入学してきた段階で、「甲子園に出場する」ことを目標に掲げ、日々の練習に取り組んでいます。

 それにもかかわらず、「この学年のメンバーでは甲子園出場は厳しいから、新入生に期待しよう」という考えを指導者が持つと、どうなるでしょうか?

 おそらく、3年生や2年生のプライドを傷つけてしまい、「どうせオレたちは期待されていないんだ……」と冷ややかな雰囲気がチーム内に蔓延した結果、チームが空中分解してしまう、ということだって十分に考えられます。

 監督から期待されていない3年生、2年生と、期待されている1年生の間に温度差が生じてしまい、チームが一体となれない―。そうした状況でいざ大会に臨んだとしても、相手チームに先制されたとたんに、同点に追いつく場面すら作ることなく、あっさり敗れてしまう。チームが一体となれない場合は、こんな負けパターンになりがちです。

 

 それでは、期待された1年生が3年生になったときに、指導者の思惑通りに甲子園に出場できるのでしょうか? もちろん出場できることもあります。もともと個々の選手のポテンシャルが高ければ、それだけで地方予選を勝ち抜くことが可能な場合もあります。

 けれども、このようなチームほど、その年はたまたま出場できたものの、その後の世代では甲子園に出場する機会が一度もなかった……というケースが実に多いのです。

 

いつも問いかける言葉は「熱くなれるか?」

 1回だけ大ブレイクして人気を博したものの、その後は鳴かず飛ばずとなった芸能人のことを、世間では「一発屋」と呼んでいるようです。芸能界に限らず、一発屋というのは、高校野球のチームにも存在しています。高い能力を持つ選手がそろった学年のときには甲子園に出場することができたものの、翌年以降はまったく勝てなくなってしまう―。

 このような結果に陥ってしまう原因として考えられるのは、「熱くなれないから」だと、私は思っています。

 

 甲子園出場を目標に掲げれば、そこに向かって努力をする。そして予選になれば、たとえ劣勢でもどうにか事態を打開しようと、個々の選手が必死になってプレーをして、形勢を逆転しようと試みる。それでも最後は力及ばず負けてしまい、甲子園出場を果たせなくなってしまっても、後輩たちは先輩たちの「決してあきらめることのないがんばり」を目の当たりにしているから、その戦い方を次の自分たちの代に生かそうとする。そうなると、すべてが好循環していくようになるわけです。

 けれども、「今の3年生の実力では、甲子園に出場できないだろう」などと監督が一方的に選手の力を見限ってしまうと、選手たちに「自分たちは監督に期待されていないんだ」というマイナスの思考が伝染してしまいます。普段から力を抜いた練習に終始してしまい、それが勝負どころでの甘さにつながり、予選で意外なほどあっさりと負けてしまうのです。

 そうして力のある世代がやがて上級生となり、甲子園に仮に出場できたとしても、下級生たちは、「自分たちは上級生のように力があるわけではない」という理由で、甲子園を目指すことを早々とあきらめてしまう。その後は甲子園に出場したときと同じような実力を持った選手がそろわない限り、甲子園とはまったく縁のないチームになっていく―。このようなことが、高校野球の世界では、ときとして起こり得ます。

 

 それだけではありません。3年計画でチーム作りをしていく学校というのは、卒業するとOB同士のまとまりに欠け、甲子園に出場した世代のOBだけが大きな顔をして、グラウンドにやってきては、「オレたちが甲子園に出たときは……」などとしたり顔で、後輩たちに説教めいた話をするようになります。これでは話を聞く立場となる後輩たちも、うんざりしてしまうのは仕方がありません。

「全員で甲子園に出場する」という目標を毎年持つか持たないかで、これほどまでにチームの状況は大きく変わります。目標を掲げて試合に臨んで、たとえ負けたとしても、その姿勢は後輩たちも見ています。そうした連鎖が長く続くことで、「伝統」が作られ、ひいてはそれが「先輩たちから引き継がれたよい伝統」になっていくのです。

小倉流ルール ひとつひとつの積み重ねが伝統となる

<第4回に続く>

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